えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

言語の一般性から強い利他性を導出する サール (2001) [2008]

行為と合理性 (ジャン・ニコ講義セレクション 3)

行為と合理性 (ジャン・ニコ講義セレクション 3)

  • サール・J (2001) [2008] 『行為と合理性』 (塩野直之訳 勁草書房)

1.私は痛みがある。それゆえ私は、「私は痛みがある」と言う。「私は痛みがある」と言った以上、私は一般性の要求により、似たような上場ではあなたに痛みがあると認識する事への確約〔コミットメント〕を負う。「痛み」は言語中の一般名辞だから、その真理条件はあなたにも私にも、平等に当てはまるのである。私は、ちょうどその条件を充足するいかなる対象にも、「Xには痛みがある」という解放文を適用する事への確約を負う。

2.私の痛みはある必要性を創り出す。私は痛みがあるから、手助けを必要とする。私は、自らの痛みと必要性の両方を意識している。そこで私は、「私は痛みがあるから、手助けを必要とする」と言う。ここで注意すべき事として、これは手助けへの懇願と解釈されるべきではない。これは間接的な言語行為ではなく、私によって私についてなされた言明である。すると、同じ一般性の要求が再び当てはまる。こんどは私は、似たような状況で、立場が入れ替わってあなたに痛みがあるとき、あなたが手助けを必要とすると認識することへの確約を負う。私は、タイプ的に同一のいかなる状況に置いても、「Xには痛みがあるから、Xは手助けを必要とする」という解放分を適用することへの確約を負うのである。

3.私には痛みがあり、手助けを必要とする。そして私は、手助けへの私の必要性は、あなたが私を手助けすることの理由になると信じている。そこで私は、「私は痛みがあり、手助けを必要とするから、あなたには私を手助けする理由がある」と言ったとしよう。またしても、同じ一般性の要求が効いてくる。私は、これと特定の面でタイプ的に同一ないかなる状況においても、つぎの普遍的なものへの確約を負うのである。

「すべてのxとすべてのyについて、xに痛みがあり、xに痛みがあるがゆえにxが手助けを必要とするならば、yにはxを手助けする理由がある」。

だが、これは私に、あなたに痛みがあるとき、私はあなたを手助けする理由があると認識する事への確約を負わせる。われわれはここで、言語行為の遂行における話者の確約について論じている事を忘れてはならない。ここでは、真理や命題間の帰結関係は話題に上がっていない。われわれはむしろ、この形式の主張をなすとき、話者がいかなる確約を負うかを考えているのである。  pp. 176-177


強い利他性:他者の利益を行為への妥当な理由と認識し、自分にそうする性向の無いときでさえ、その点は変わらない。
弱い利他性:他者の利益に配慮する自然的性向を持つ