えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

リンネの分類 ヨーン (2009) [2013]

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

  • 作者: キャロル・キサク・ヨーン,三中信宏,野中香方子
  • 出版社/メーカー: エヌティティ出版
  • 発売日: 2013/08/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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  • ヨーン, C. (2009) [2013] 『自然を名付ける』 (三中・野中訳 NTT出版)

第2章 若き預言者 ←いまここ
第4章 底の底には何が見えるか
第6章 赤ちゃんと脳に損傷を負った人の環世界
第10章 数値による分類

・カール・リンネは1707年スウェーデンはロースフェルトで生まれました。父を継いで牧師になることを期待されましたが、高校の成績も悪く花以外のものに関心を持っていませんでした。この情熱は生物分類の才能として開花することになります。

・はるか以前、人間は地理的に狭く区切られた世界にいたため、生物は分類しやすく理解しやすかったいものでした。しかし、18世紀初頭までにヨーロッパ人が世界を探検し尽くすようになると、彼らにとって新しい生物が豊富に見つかり、混乱がもたらされることになります。それでも、自然の中に秩序があるという確信は捨てられませんでした。

・リンネの時代は人々が生物に魅了された時代でもありました。王侯貴族のみならず、旅館や居酒屋にも生物のコレクションがおかれて市民の自然史への関心は高まり、正しい生物分類の方法があらゆる層の人々から求められていたのです。

・リンネは、ウプサラ大学で植物(薬草)の知識が求められる医学を専攻しましたがが、大学は衰退しており。リンネも経済的に困窮します。そんな1729年、神学教授で植物学者でもあるセルシウスが、リンネの知識の深さに感銘を受け、住まいと図書館への出入りの自由を与えます。
・これを皮切りにリンネは富裕層と交流し、植物学者の前で様々な謎を次々に解き明かしていきます(シナモンをゲッケイジュ属に分類するなど)。なぜこんな事が出来たのでしょうか。

・ひとつには、分類にあたり、二名法やリンネ階層分類(界−門−網−目−科−属−種からなる分類体系)などの厳格なルールを定めた事があるでしょう。これは後世にリンネが残した最大の遺産ですが、リンネの才能の真髄ではありません。

・リンネは、論理的で物静かで客観的といった近代科学者像とはかけ離れ、感覚的で、世界の美と脅威を正面から受け止め、極端なものの見方をするような人物でした。
・彼が成功したのは、往時の分類が論理的・客観的な作業ではなく、感覚を研ぎ澄ませて周囲を観察し、五感で捉えた自然の秩序を視覚化する作業だったからです。

・1735年の『自然の体系』は生物界全てを分類するための体系であり、改定を重ねるとともに、各地の博物学者が生物を理解するのにリンネの体系に基づくようになります。
・『自然の体系』は、生物が個人の直観に基づいて分類されるべきだと言う事を、実際にそのように分類してみることによって立証した貴重な遺産です。

・『自然の体系』が名著とされたのは、それが実際「正しい」と思われたからでした。後に人類学者は、二名法と階層的分類が民族分類の基本要素であることを見出すでしょう。誰もが直観的に理解していた自然の秩序をすっきりと説明したリンネは、1777年70 歳で死にます。
・しかし、我々の直観と科学の合意は長く続きませんでした。リンネに刺激された多くの若き博物学者は、その体系に収まらない未知の動植物を大量に発見しましたし、種は不変だと考えたリンネを裏切って、ダーウィンは進化という事実を明らかにすることになるわけです。