えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

分類学をちゃんとした科学にしようとした人達とその失敗 ヨーン (2009) [2013]

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

  • 作者: キャロル・キサク・ヨーン,三中信宏,野中香方子
  • 出版社/メーカー: エヌティティ出版
  • 発売日: 2013/08/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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  • ヨーン, C. (2009) [2013] 『自然を名付ける』 (三中・野中訳 NTT出版)

第2章 若き預言者
第4章 底の底には何が見えるか ←いまここ
第6章 赤ちゃんと脳に損傷を負った人の環世界
第10章 数値による分類

・1950年代までに博物学は時代遅れになり、実験的な「生物学」が誕生します。生物学を先導した歴史ある分類学は、進化論の影響から「進化分類学」と名を変えましたが、実質は変化しませんでした。大きな変化と言えばアマチュアの排斥くらいです。

・分類学は、進化に基づいた科学となるべく抜本的な改革を必要としていました。そこで登場したのがエルンスト・マイアなのですが、彼の試みも失敗に終わることになります。環世界センス〔直観的な生物分類能力〕にとらわれていたからです。

・ドイツに生まれたマイアは極度の自信家で、若いころから鳥類の識別に才能を発揮しました。ニューギニアでのフィールドワークを経てアメリカ自然史博物館に職を得ると矢継ぎ早に論文を発表し、50年代までには鳥類学者として高名になっていた人物です。

・マイア以前の試みとして20年代に「実験分類学」がありました。これは、異なる地域の植物のタネを同じ環境で育て、両者の違いの原因を調べる「CG実験」を手法とするものです。しかしこの手法は環境の影響の研究には有益ですが、植物を系統樹に位置付ける役には立ちません。
・またJ・ハクスリーらの「新たな体系学」は、分類学者の仕事を進化の過程の研究だとむしろ再定義してしまうもので、結局分類学者の自己批判に留まりました。
・多くの分類学者はあくまで分類と命名という仕事を手放しませんでしたし、分類学の問題は実験や統計の欠如ではなく、「細分主義者」と「統合主義者」の対立にあると考えていました。

・細分主義者は生物を過剰に分類し命名すると相手から批判されます。一方の統合主義者は、認識すべき違いを不注意にも見逃していると相手から非難されます。
・この対立は、環世界センスが主観的なため起こるのです。そもそも、当時の分類学者は自らの判断の根拠を殆ど何も提示しません。

・ここでは進化も役に立たちません。例えばフクロオオカミの分類が問題な時、進化分類学者は系統樹のどこから発生したかを考慮しますが、結局こいつは哺乳類の方から来たとも有袋類の方から来たとも考えられる特徴を持つので、問題は先送りにされるにすぎないのです。マイアも走鳥類に関して主観的な分類を提出していました。

・この混乱の中「種」の定義が最優先課題となってきます。進化論によって種概念は揺らいでいましたが、マイアは定義可能だと考えました。というのは、「原始的な」ニューギニアの原住民と鳥の分類が一致する事を知っていたからです。そして交配可能性による定義が提出されることになります。
・しかしそもそも多くの生物は有性生殖しないなど、問題と例外が山積します。しかし、種の存在と定義可能性は確信されてつづけました。

・こうしたあまりの惨状に分類学者は科学者から嫌悪され、大学から追放され始めるほどです。

・結局分類学者を近代科学の世界から遠ざけているのは環世界センスで、科学的見地に立てば、環世界センスの主観性が大問題なのです。進化の道理からすれば生物には多様な個体変異があるはずですが、環世界センスは明らかに生物の不変性を見せつける。このセンスの説得力により、分類学者は種の変化を否定して憚りませんでした。
・分類学の誕生を促した環世界センスが分類学を破壊しつつあるのはなんとも皮肉です。

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・しかし逆に進化分類学者は、環世界センスによる認識は正当にして重要な地位を持つという滅びかけの信念の擁護者でもありました。