えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ビクトリア時代の進歩の観念 ボウラー 1989[1995]

進歩の発明―ヴィクトリア時代の歴史意識

進歩の発明―ヴィクトリア時代の歴史意識

 ヴィクトリア時代は過去に魅了された時代であった。過去を学ぶことでわかる歴史の進歩の中に現在を位置づけ、急速な物質的進歩から生じた社会的緊張をほぐす秩序の感覚を得ようとしたのだ。あらゆる過去の事実を進歩の概念図式で解釈したヴィクトリア時代人は、文字通り過去を「発明」した。ただし異なる集団は異なる秩序を求め、その結果複数の進歩の観念が生み出された。

 ヴィクトリア時代の歴史への執着は、歴史学、考古学、人類学、生物進化学などの領域毎に研究されてきた。本書はこの垣根を超え共通のテーマの存在を指摘したい。進歩の観念が重要だったのは、古来の創造説と極端な唯物論を妥協できたからだ。創世記が保証する宇宙の静的秩序は信じられなくなったが、生命の創造からヨーロッパ文明の世界的拡大に至る進歩という動的秩序がこれに代わった。

 歴史の進歩的解釈の明確な例として、イギリス政体の歴史に関する「ホイッグ主義的解釈」がある。とはいえ、ホイッグ党のような自由主義者以外も、歴史は大英帝国的方向へ進歩するという同じ見方をとっていた。考古学により進歩主義は現代史の枠を超え、先史時代からの技術・社会の進歩が語られるようになる。同時に人類学者は、原始的な同時代人から現代人の祖先について学べると考え始めた。そして生物進化論は進歩主義の適用範囲を更に拡大させた。進歩主義者たちは発展の全プロセスを生物個体あるいは人間の活動の産物と見なし、往時の中産階級の価値観を発展の推進力と見なすことができた。そして進歩の先端に人類を位置づけることにより、人間の地位を下落させたという批判を回避した。

 だがこの批判からわかるように、往時の社会的発展を悲観的に見た保守的な人の目には、進歩の観念では伝統的価値観を守れないと映った。そこで彼らは、歴史は隆盛・衰退のサイクルを持つのだが、何か個人の力以上のものにより、各サイクルごとに高みに登っていくという別の進歩のモデルを生み出す。このモデルには、古代文明の衰退に関する知識が力を与えた。

 発展にかんする進歩主義者と循環論者の緊張関係がヴィクトリア朝時代の歴史研究全般を活性化させたというのが本書の主張である。この歴史モデルの緊張関係の起源は、歴史的発展の比喩として用いられた個体のライフサイクルのうちにある。すなわち、個体が成熟に向かうという点に着目するか、衰え死んで次世代に代わる点に注目するかが、2つの歴史モデルを分けた。

 なおダーウィンの進化論は非発展論的であるが、20世紀中葉まで進化論は断固として発展論的だったことを忘れてはならない。ヴィクトリア時代に自然の無目的性や文化相対主義を受け入れられた人はほとんどいなかった。また、不適格者を排除する「社会ダーウィニズム」の無慈悲さは、自分が進歩の先端におり優越しているというヴィクトリア時代人の広範な信念の特徴なのであり、この主流派から見ればダーウィンの分岐的な進化論はむしろ逸脱的であった。