http://www.princeton.edu/~ppettit/papers/2006/Joint%20Actions%20and%20Group%20Agents.pdf
- Pettit, P & Schweikard, D. (2006) "Joint Acitons and Group Agents" Philosophy of social Science 36 1 pp. 18-39
推論のジレンマ(discursive dilemma) と呼ばれるものがあります (Pettit 2001, 2003)。「p」「p → q」「q」のそれぞれの真理について、集団全体として判断しなくてはならないA・B・Cの3人がいるとしましょう。さらに、全体としての判断は多数決で決めることになっているとしましょう。この時、それぞれの命題が1, 1, 0という論理的に不整合な判断が採用されてしまう可能性があるのです。つまりこういう場合です。
人\命題 | p | p→q | q | |
A | 1 | 0 | 0 | ←整合的 |
B | 0 | 1 | 0 | ←整合的 |
C | 1 | 1 | 1 | ←整合的 |
↓ | ↓ | ↓ | ||
全体 | 1 | 1 | 0 | ←!??!?!?!?? |
あるいはこういう事例もあり得ます。
人\命題 | p | q | r | p&q&r | |
X | 0 | 1 | 1 | 0 | ←整合的 |
Y | 1 | 0 | 1 | 0 | ←整合的 |
Z | 1 | 1 | 0 | 0 | ←整合的 |
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ||
全体 | 1 | 1 | 1 | 0 | ←??!???!?! |
◇ ◇ ◇
この論文はこのジレンマを共同行為と集団的行為者の話題に結び付けます。共同行為が遂行される際、参与者は一体となって新たな集団的行為者が形成されると考えるものがいます。しかし、何かが行為者であるためには、それが形成する判断の整合性が保たれていなければなりません。既存の共同行為の分析の中には、参与者にこの種の不整合を出現を禁じる要請が存在しないため、共同行為の際に集団的行為者が現れると考える根拠はない、とペティットらは論じます。
しかし同時にペティットらは、人間の集団が行為者を構成する事は実際にあるとも考えます。それにはおおよそ以下のことのためにメンバーが一緒になって行為している必要があるとされます。
- (1)特定の共通目標 および 今後更なる目標を同定するための手続きを設定するため
- (2)こうした目標を達成するための行為を合理的な形で導くための一連の判断 および 必要とあらばこうした判断をさらに合理的に展開していくための手続きを設定するため
- (3)こうした目標を追求するため、特定の時点で誰が行動するのかを同定するため
これに類する条件に合致する集団的行為者として、共著者、夫婦、市民団体、会社、教会、裁判所、内閣などが挙げられています。すなわち共同行為の全てではなく、かなり限られた一部のみが、集団的行為者を出現させるのです。
また、集団的行為者はそれ独自の心を持つものとして存在しうると言う点が指摘されます。上のXYZによって集団的行為者が構成されているとすると、集団的行為者が適切に機能するためには、4つの判断のうちどれかが放棄される必要があります。もしp&q&r=0が放棄された場合、この集団は1111という、メンバーの誰も採用していない見解を持つことになるのです。