The Varieties of Reference (Clarendon Paperbacks)
- 作者: Gareth Evans,John McDowell
- 出版社/メーカー: Oxford University Press
- 発売日: 1982/12/23
- メディア: ペーパーバック
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- Evans, G. (1982) The Varieties of Reference (Oxford Univ Pr)
第8章 再認ベースの同定
8.1 序論
8.2 再認と情報システム 8.3 再認能力と空間 ←いまここ
8.4 再認と想起 8.5 記述による再認 8.6 混合観念
8.2 再認と情報システム
再認の重要性
われわれはあったこともない対象に関して伝聞で得た情報が極めて多いので、再認もその対象に<たまたま詳しい>〔記述が豊か〕程度のことだと考えがちである。しかし多くの伝聞による知識は、ほぼ確実に対象を再認できる人から派生しているのであり、再認は重要である。空間的世界という考え方を行使するためには場所、そして物体の再同定が必要であり、このためには再認能力が必要だという説がある。これは尤もらしいが、ここではもう少し具体的に再認の重要性を明らかにしたい。
「個体の情報」保存機能とその選択
「個体の情報」の保存は我々の重要な認知機能である。ただし「種の情報」しか保存しない生き物も想像可能であり、おそらくこの機能は選択されてきたのだと思われる。そして自然に考えると、個体xの情報を保存する利得は、そのxに再び対処する場面に現れる。そうするとこの機能が選択されるには次のことが必要になる。
(1)有機体が対処する諸個体はその種の内でも別の態度を向けるのが適切な仕方で差異をもち、それは出会いのインターバルの間にも保たれる特徴である。
(2)適当な数の個体が複数回出会われるだけでなく、再会したときそれとわかるようにそこそこ素早く再会される。つまり、この有機体は(個体に対する単なる親近感だけでなく、適切な情報一式に結びついた)再認能力のようなものを持たねばならない(理論的には記述の所持でも構わないが、現在の個体に過去時制の記述が当てはまると知るのは困難なので、実際的には役に立ちそうにない)。
従って、〔個体の情報を保存する利得がある場合には、〕再認能力をもつ生物に強い淘汰圧がかかると思われる。また殆どの生物は、同種の別個体(少なくとも血縁個体)を再認する基本的能力をもつ(一個体の福利は他個体との相互作用にかなりかかっているので(Dawkins 1976))。われわれのような有機体の再認能力もこの基本的能力から出てきたと思われる(実際人間は、顔をきわめてよく再認する)。
小括
以上より、個体の情報を保存する生物の中でも中心的なものは、個体の再認能力にむすびついた情報を持つと期待できる。その中でも、長期間かけて個体の豊かな描像を構築している事例がパラダイムケースである(再同定の機会は新情報獲得の機会でもある)。再認能力なしで個体の情報を扱うシステムは絶対に現れて来ないとは言わない。〔ただし〕再認能力をもつことで個体の情報の有効性が圧倒的に上昇するので、この種のシステムが出現しやすくなる。〔このような形で〕再認能力は「有効」であるので、〔知覚場面で〕同時に与えられるかもしれないその他の同定への手がかり〔記述〕よりも、再認は強力なのである。
8.3 再認能力と空間
【困難1】再訪
再認能力を持つ人が、例えばある人を自余の人から区別できるか明らかでない。さらに、複製宇宙が存在していて再認能力で一つの対象を区別できない場合でも、思考は対象を持つように思われる。……再認は同定に無関係 or ラッセル原理は誤り?
再認と位置の考慮
しかし再認能力は、対象の「現れ」とさらに「位置」を基盤にしてなされる。個体再認行うものは、対象の時空点の考慮ができなくてはならない(通時的同一性に可感的であるため)。 この種の空間の考慮は、主体が短期的再認能力を持つ場合によくあらわれる。羊の群れの中で咳をしている一匹を見た時、視線を外してもしばらくはこいつの信念を持つことができるだろう。羊それぞれがいかに似ていようと、この時空的なセッティング(<探索領域>)内では、問題の羊をその現れに基づいて区別することができる。
探索領域と二つの再認能力
探索領域の広さは、〔対象の〕運動の蓋然性と速度に関する主体の見積もり、および、最後に見たときからの経過時間の〔正の〕関数であり、この領域は最後に見たと見積もられる位置を中心に〔展開する〕。また、関連する領域における主体の位置は自己中心的なものである。この条件下で、
(i)主体がxをその現出を基に関連する羊だと同定する傾向を持ち、
(ii)そのように同定する傾向が持たれている他の羊が領域内におらず、
(iii)xが正しい羊である、
の3条件がそろう場合には、主体は特定の羊xの再認能力をもっていると言える。
ここで行われる関連領域の特定は自己中心的であり、主体がしばらくのあいだ(あまり)動かないことを前提としている。一方で、自分の部屋の中で家具を再認できるときのように、自分の位置の変化を通じて持続する再認能力もある(部屋の外では見分けられなくても)。この場合、関連する領域は自己中心的に特定されるわけではない。ただし、この種の対象の観念を行使するためには、別の種の事物や場所を再認する能力が必要となることがほとんどである(家具を再認できるためには部屋を再認できなくてはならない。)
自己中心性と複製
羊の例でみられる構造は、時間および距離は空いているにせよ、ふつうに人を再認する能力と同じものである。この場合の関連領域は自己中心的な仕方で知られる(全地表に至るかもしれない広大な「この辺」)。だから、仮に双子地球が存在していても、〔領域外にある〕多くの羊が再認能力を妨げなかったのと同じように、われわれが人を再認する能力は妨げられない(もちろんこのような絶対的な識別能力を持つためには、我々の空間移動が標準的なあり方をしており、いつ移動しているのかを言うことができること、寝ている間に移動は起こらないことが必要である)。再認能力をコンピュータをモデルにして考えるなら、パターン認識能力のみならず、そのパターンの運動を追跡する関連能力を備え付けなければいけない。
小括1
小括:標準的な再認能力から、ラッセル原理にかなった対象の観念はでてきうる。たとえ識別不可能な諸対象が存在していても、それらが十分に離れている場合には関係ない。関係領域の中に複製が出てきた場合のみ再認能力は損なわれる。
第二の問い
しかしその場合でも、個別の対象「について思考する」能力は損なわれない。とすると、対象の観念が再認に基づいているというのはいかにして可能なのか?]
しかし、純粋に再認ベースの観念と、再認要素と「私が出会った」のような記述を含むような複合的観念の間には違いがある。通常の再認能力が有効な場合には、記述的要素は冗長物にすぎない。しかし、例えば双子を目にしていてどっちを知っているのか言えない場合のように、記述的要素などによる補完が必要な場合もある。関連領域に複製が出てきた場合に行使されている観念はこっちである。
それぞれの観念に基づいた思考には実践上の違いがある。羊の例で関連領域にそっくりな羊が入ってきた場合、再認能力は不能になり、主体はどの羊が咳をしたのか知らないと言うほかない。しかし、このような「know which」の口語的用法から、<主体が観念をまったく持たなくなった>という主張は引き出せない。この用法が指し示しているのは、主体は、咳をしたと信じている対象を「以前と同じ仕方では」知っていないということである。
小括2
小括:そっくり対象の導入は、その対象の思考を持つことを妨げないが、ある個別の観念はだめにする。しかし、主体は次善の同定法が利用可能である。