http://hps.c.u-tokyo.ac.jp/publications/kagakushi-kagakutetsugaku/24/index.php
- 信原幸弘 (2010) 「自己知と自己制御」in 『科学史・科学哲学』No.24
1 ふたつの自己知
<自己知にはふたつの観点がある>
【理論的な自己知】
「事実としてどうなっているかを明らかにしようとする観点」
・すでに成立している心的状態について、それがどういう状態なのかを知ろうとする
・心の状態が正しくわかればいい。その状態を承認したり否認したり、関係する事柄(信念なら真理性)を引き受けたりしない
【承認的な自己知】
「自分の心の状態に承認を与えようという観点」
・心の状態があるべきあり方をしているかどうかを確かめるために知ろうとする
・単に知るだけでなく、知られた心の状態をそれでよいのか確かめ、良ければ承認し、良くなければ改める試みがなされる
2 透明性および実践知モデル
<自己知にはふたつの形成方法(知られ方)がある>
【認識的接近】
・自分の行動の観察や内観による。理論的自己知の形成され方。
【透明性による自己知】
・信念ではなく、信念の対象である世界のあり方を問題にしても、自分の信念について知ることができる。
・透明性による自己知は、われわれが合理的な信念形成者であるがゆえに可能になる。信念形成が合理的であれば、〔世界について考えて〕pだと判断すべきだということから、自分はpだと信じていることを導き出すことができる。
・透明性による自己知にはその心的状態に対する承認が含まれる。というのも、私はpだと判断すべきなのだから、pの真理性は引き受けられている。
・透明性による自己知は「観察によらない知」であり実践的な知の一種。
・自分の心的状態でも、自分で合理的に形成できるものでなければ、透明性による自己知は成立しない(例:知覚、欲求)
→このような特徴から、承認的な自己知は透明性によって形成されるかのように見える。しかしそれは違う。
3 心の自己制御
承認的な自己知は透明性による自己知ではない
というのも、透明性によって獲得された自己知は<承認が与えられないことがない>。知られた心的状態があるべき状態ではなく、それを改訂した上で始めて承認が得られるなどということはない。この点が承認的な自己知とは違う。
承認的な自己知と自己制御
・人は必ずしも心的状態を合理的に形成しない。そうした心的状態を訂正するために、承認的な自己知が必要となる。人は常に合理的でないので、自己の心的状態を<認識的接近によって>知り、それがあるべき状態かどうかを確かめて、場合によって改訂する必要が生じてくる。
・承認的自己知は必ず達成されるとは限らない(例:錯覚は訂正されない)。しかしこうした場合にはその心的状態を<承認しない>ことによって、それに基づくまずい行為や信念の生成を阻止できる。
あるべき状態の判定
・ある心的状態があるべき状態か否かの判定は、理由に基づく合理的な考慮による。
まとめ
承認的な自己とは、透明性による自己知の考えに含まれる重要な要素、すなわち何があるべき心的状態なのかは合理的な考慮によって判定されるという考えに則って、認識的な接近によって知った自己の心的状態について、それがあるべき状態かどうかを確かめ、そうであればそのまま、そうでなければそれを改訂して承認する。あるべき状態でないのに改訂できない場合には、承認を与えず、その心的状態が関わる事柄を引き受けることを差し控える。このようにして承認的な自己知は心の自己制御に貢献するという役割を担うのである。 p. 15