えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

一般性制約と自己同定 Roos (2004)

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1467-9329.2004.00248.x/abstract

  • Roos A. (2004) "An Objection to Gareth Evans' Account of Self-identity" Ratio 17 2 pp.207-211

エヴァンズの自己同定に関する見解まとめ(pp. 207-212)

・自分自身についての自覚的な知識は「ここ」思考と同じ特徴を持つ
=「私」思考は、情報要素・行為要素をもち<一般性制約>を満たす
・ある思考が一般性制約を満たすためには、その思考対象の<根本的観念>が持たれる必要がある
→「私」思考のためには、私の<根本的同定>が必要
→[δ=I](δは人の根本的同定)という命題の把握 = 自分自身を時空地図の中に位置づけられること
=自己の<差異の根本的根拠>はそのほかの物的なものの<差異の根本的根拠>と種類が同じ

問題

「私」思考の必要条件である<一般性制約>と、自己の同一性の基準である<時空地図における位置>の間には緊張がある。というのも、

  • 1)私は時空地図の中に位置を持つ
  • 2)神は時空地図の中に位置を持たない

これらの文は理解可能であるが、一般性制約によってここから次の文が理解可能でなくてはならない。

  • 3)神は時空地図の中に位置を持つ
  • 4)私は時空地図の中に位置を持たない

しかし自己の同定基準が時空地図の位置なら、4は無意味か不整合のはずである。

カテゴリーの適切さ

・エヴァンズは第4章注17で、一般性制約の適用に関してこう言っている。「ただし、述語が主語に対してカテゴリーの適切性を持っている場合に限る。しかしこの補足で実質的な論点が変わることはない」。今出した例はカテゴリーの適切さを欠いていると反論されるかもしれない。たとえば

  • 5)時間は青い

のように。
・しかしカテゴリーの適切さという補足認めても一般的な問題点がある。ポイントは2通りの言い方で言える

【A】
4)と5)には重要な違いがある。5)がナンセンスなのはすぐ〔直観的に〕わかるが、4)は実際有意味であるように思われるという違いである。そして上記の批判はこの<思われる>という〔直観〕を根拠にしている。

【B】
<カテゴリーの適切さ>によって4)のような文は一般性制約から出てこないと論じるのは論点先取である。

結論

論点

・自己の同一性の基準が<時空地図における位置>だというのは<一般性制約>自体から直接出てくるものではない