えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

現象的連続性を中心にした人格の同一性の理論を作ろう Dainton (2008)

The Phenomenal Self

The Phenomenal Self

  • Dainton, B. (2008). The Phenomenal Self. Oxford: Oxford University Press.

【要約】
現実には、人間の現象的連続性・心理的連続性・物的連続性は分ちがたく結びつき合っている。しかし、これらの糸が互いに切り離されるという事態を想像することは容易にできる。こうした思考実験を重ねると、人格の同一性にとって一番重要なのは現象的連続性であることがわかる。

  ◇   ◇   ◇

1 Can it be so easy?
  • 私はどんな種類のもの [what sort of thing] なのか。
    • 我々の同一性条件は人間という動物の同一性条件であると、アニマリズムは答える。
      • アニマリズムは、私たちは私たちの生物学的な始まりと終わりを超えて存在しないという点を捉えるなどいくつかの魅力がある。
    • だが架空の例を考慮すると、アニマリズムはあきらかにおかしい。
      • ナノマシンによる全身の細胞を入れ替え(CRT: cell replacement therapy)が可能になったとしよう。施術中には意識を保つことができ、一切の経験の乱れがないまま入れ替えを完了できる。
      • この手続きによって作られる存在者は生物ではない。だが、術の前と後で「あなた」は連続していると明らかに思われる。
  • しかし、架空の例への直観的応答から形而上学的あるいは科学的真理を得ることは出来るのだろうか?
    • 私たちとは何かという問いは、科学もしくは形而上学一本で探求すべきだと考える人もいる。
  • たしかに思考実験には限界もある。だが、これを全廃するのは誤りだ。
    • 人格の同一性の場合、架空の例に対する直観的応答は極めて直截で強力である。
    • 人格の同一性条件について、私たちが何らかの洞察を持っていると考えるのは理にかなっている。人間は意識的かつ自己意識的であり、自分の現実存在と存続に何が関係しているのかについて固有の視点から理解する特殊な存在者だからだ。
  • ただし、全ての思考実験で一般的な合意が得られることはないだろう
    • (i)先行する哲学的コミットメントの影響
    • (ii)フィクションが描く多様な自己観の影響
      • とはいえ、コミットメントを保留し、対立する見解の魅力を理解することはできるし、物語の中の自己観にも実質的な制約はある(人間が普通の石として生きたりしない)。
  • また、自己の理論はより一般的な哲学的根拠にも基づく必要があるため、そのぶん思考実験から学べることは減る。
    • とはいえ、最も直観的な説明が棄却されてもできる限り直観的な説明を発展させるべきで、思考実験が完全に無駄なわけではない。
  • 以上を鑑みると、思考実験は少なくとも荒いアイデア、探求の良い出発点を与えてくれるだろう。実際にそうであることを、この章で示す。
2 Psychological Continuity
  • CRTが示唆するのは、心的生活が保存されていれば私たちが存在し続けるのには十分であるということだ。
    • 脳をスキャンして記録する装置を用い、寝ている間にあなたと私の脳の構造を取り替えた場合、あなたは私の体で目覚めて驚くだろう。これが心理説一般を支える直観的根拠である。
  • しかし、心の連続性には様々な形が想定できる。ロックは記憶の連続性で人の連続性を説明したが、これでは幼少期あるいは健忘症の場合の人格の同一性を説明できない。そこで近年は「因果心理説(or P説)」が標準的である。
    • 私の任意の心的状態Sについて、未来の人物Yが同じ内容の心的状態を持ち、かつこの心的状態はSと適切な因果関係をむすんでいる場合、私とYの間に「心理的連関」があると言う。そして、心理的連関の重なり合う連鎖が、「心理的連続性」(P連続性)を構成する。
      • 私とY、YとZに心理的連関があるが、私とZにはないことがある。この場合でも私とZは心理的に連続である。
    • 先にある人格Pが後にある人格Qと同一なのは、PとQが心理的に連続しているまさにその場合である。
    • ここで因果性は2つの役割を担う。まず、「適切な因果関係」という条件により、私と私の複製との心理的連続性を否定する。また、心的状態トークンの存続を人格の存続によらず説明し、説明上の循環を防ぐ。
  • 一部の「狭い」P論者は「適切な因果関係」を標準的な脳過程に限る。だが脳が重要なのはP連続性を保存するからにすぎず、脳が「必要」だと考える根拠は薄い。そこで以下では、機械的な心の交換を含む様々な過程を適切な因果関係にふくめる「広い」P説をもっぱら検討とする。
3 First Doubt
  • P説が正しい場合、原子レベルで人の情報を記録したのち身体を破壊し別の場所で同じ組成をくみ上げることで、あなたはテレポーテーションできることになる。だが、この事例の場合これは明白な帰結ではないだろう。
  • また、あなたが何らかの理由で全身麻痺したままベーコン状態になりスライスされた後、そのスライスの情報が侵襲的な方法で記録され、この情報をもとに教科書が作られ、未来の医学生は実習としてあなたと物的に等しい意識的存在者を練習として一週間に2回づつ作っては解剖するとしよう。この存在者は、あなたではなくあなたの複製にすぎないと思われるのではないか?
    • しかし、この事例においてあなたとその複製の間と因果的関係はテレポーテーションの場合と同じくらい直接的であり、P説によればこの存在者はあなただと言うことになってしまう。
  • とはいえ、「狭い」P説をとることも出来ない(CRT直観が説明できない)
    • P説は、問題となる心の連続性をP連続性とした点で誤ったのでは?
4 Some varieties of virtual life
  • 感覚器官ではなく脳を直接刺激することで現実と区別できない経験を生み出すヴァーチャルリアリティ装置が出来たとしよう。この装置ではさらに、自分の信念、意図、欲求、性格などの心的状態を数分のうちに変化させることが出来る(VR-3)。このとき人は、ちょうど鮮やかな夢から目覚めて混乱を経験するように、心的状態の大きな変化を経験する。つまり、変化の前後で意識の流れは途切れていない。VRを楽しんだ後は、装置の中に記録されていたもとの心的状態に戻ることができる。
    • 新たな心的状態は前の心的状態と適切な因果関係を結んでいないため、P連続性が失われている。このとき狭いP説によれば、あなたは死んだか、もしくは心的状態が変化しているあいだ一時的に存在しなかったことになる。広いP説だと、あなたはコンピュータの中に転送されたのだと考えることも出来る。
    • だがいずれの場合でも、あなたはVRを経験していないことになる。これは明らかにおかしい。
  • さらにVR-4は、あなたに新しい心的状態を与えるのではなく、コンピュータによって生み出された意識の流れを与える。あなたの脳から「取り上げられた」意識の流れが機械産の意識の流れにスムーズに接続され、あなたの脳はしばらく深い昏睡に似た状態になる。あなたには自分が選んだ場所と心で冒険しているように思われる。だがVR-3とは異なりあなたは実際には何もしておらず、あらかじめ決定された経験をもっているにすぎない。
    • ここで冒険を経験しているのは、やはりあなただろう。だがその経験は機械により作られている。仮に事故が起きて脳がダメになったとしても、あなたには自分が冒険しているように思われているのだ。従ってこの例は、普通の心理システムのようなもの無しの生を思い描くことは容易だと示している。

CRT: 物的連続性変化、心理的・現象的連続性保存
VR-3: 心理的連続性変化、現象的連続性保存
VR-4: 心理的連続性消滅、現象的連続性保存

1.5 Strands Untangled
  • 経験の連続性と心理的連続性の乖離を容易に思い描けるのはどうしてか。
    • ある時点において心理的状態のほとんどは経験されないので、これが置き換えられてしまっても経験は変わらないだろうと思える。
    • 心的状態間の因果関係自体は経験できないものなので、これらがなくても経験は変わらないと思える。
  • もちろん、想像可能でも法則的・論理的に不可能なことは存在するため、連続性の乖離が本当に可能なのかどうかについて結論は出来ない。
    • しかしここでの目的は、私たちの生存と最も密接にむすびついていると思われる糸をはっきりさせることにあった。現実には、現象的連続性は物的連続性、心理的連続性とともにある。しかし思考実験によれば、少なくとも直観のレベルでは、最も重要なのは現象的連続性である。
    • このことは、私たちの存続条件をなによりも現象的連続性の観点から説明する可能性を探求すべきだと示唆する。このプロジェクトを展開するにあたって、経験・心・物質の間の正確な関係を知ることは便利ではあるが、しかし必要ではない。
      • 仮に連続性同士の乖離は論理的に不可能だとわかったとしても、全ての連続性が等しく重要な訳ではないのだ。
  • 現象的連続性は重要でないという印象を与えるようなシナリオを考案することは出来るだろう。
    • だが本当に重要なのは、現象的連続性にじっさい注目したときでさえそれが重要でないと思われるか、という点だ。これまでの思考実験からもわかるように、そんなことはないだろう。
  • 別の方法で現象的なものの重要性を強調してみよう。最大限のもっともらしさをもつ人格の同一性条件に関する説明は、先行するXと後続のYの間の関係のうち、それが成立していれば「YがXでないと真剣に疑うことが不可能」であるようなものに訴えるだろう。
    • だが既に見たように、心理的、物的連続性はこのようなものではない。一方で、XとYが単一の意識の流れの主体だというのに、この二人が別人だと考えることが出来るだろうか。
  • (なおVR-4はいわゆる経験機械だが、経験だけが人生において重要なわけではないというノージックの指摘は全く正しい。だがここでのポイントは全く別で、我々は機械によって生み出された生も実際に「生」だとみなすということだ。)

【Sテーゼ】同じ流れに属する経験は同じ自己に属する [co-streamal experiences are consubjective]

  • このテーゼが真であることを確かめるためにはさらなる探求が必要だ。だがこれはかなり尤もらしく思われる。
    • あなたの意識の流れがその他の点では普通にながれているが、しかしあなただけがそこから取りこぼされているようなシナリオを考えつけるだろうか。わたしたちは意識の流れから逃れることは出来ない。
  • しかしながら、現象的連続性はせいぜい人格の存続の十分条件にすぎないようにみえるかもしれない。熟睡してしまったら今日の経験と昨日の経験は現象的に連続していないではないか。
    • 橋渡し問題:異なる意識の流れがそれでも同じ自己に属することはいかにして可能なのか?
  • 現象的連続性と生存の間のつながりは強力であるから、あくまで現象的連続性を基盤にしつつ、橋渡し問題を解くという方針で話をすすめていくのが理にかなっている。これが「経験ベース説/現象主義説」だ。この説の指導原理は単純、出来る限り現象的統一性と連続性以外に訴えないこと。