えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

『指示の諸相』 6章3節からの論点 Evans [1982]

The Varieties of Reference (Clarendon Paperbacks)

The Varieties of Reference (Clarendon Paperbacks)

  • Evans, G [1982] The Varieties of Reference (Oxford Univ Pr)

6.3 自己中心的空間的思考:「ここ」

「認知地図」

 我々が行う場所の同定は、場所について思考する際に、「認知地図」と呼ばれるようになったもの依拠する場合には常に、この全体論的性質をもつ。認知地図とはいくつかの異なる事物の空間的関係が同時的に表象されている表象のことである。空間の真の概念の存在と、知覚とは独立に空間内に存在する対象という真の概念の存在にとっては、思考者は認知地図のような表象を形成し運用する能力を持つことが本質的に重要である。  pp.151-152

「特殊な空間についての情報」対「空間についての特殊な情報」

私が「自己中心的な空間における位置を特定する」情報について語る時、私は特殊な空間に関する情報について語っているのではなく、空間についての特殊な情報――その内容が自己中心的空間の語彙で特定可能な情報について語っているのだと言う点に注意せよ。こうした語彙における名辞は公共的な三次元空間における点を指示していなくてはならないということは、わたしがその語彙に割り当てた意義とは完全に整合的である。(それどころか、いやしくもそうした〔自己中心的な〕名辞が何かを指示しているのだとすれば、それ〔公共的な三次元空間における点〕こそがそれだと私は主張するつもりである。)  p. 157

意識的経験に経験の自己帰属はいらない

 このような事例を反省することで、哲学者と心理学者はこう考えてきた。意識的経験という我々の直観的概念の適用の必要条件は、適用される主体が経験を自分自身に帰属できること、つまり、「私はかくかくの経験を持っている」と言ったり考えたりできることである、と。〔……〕
 しかし、たしかに我々の直観的な概念は、経験の主体が思考を持つことを要求しはするのだが、その思考とは今問題となっているような<経験についての思考>ではなくて、<世界についての思考>なのである。言いかえると、感覚入力が〔……〕行動の傾向性に結びついているのみならず、思考すること概念適用推論システムへの入力とも結びつく時、我々は意識的な知覚経験に達するのである。この場合、主体の思考、計画、熟慮もまた、入力の情報的性質に依存することになる。このような<更なる結びつき>があるばあいに、我々は、単なる脳の一部ではなくて<その人>が情報を受け取り、処理しているという事が出来る。 p. 158

経験の内容は非概念的であっていい

 私は、感覚入力のもつ情報を担う側面の中でも、主体がそれに関して概念を持てるようなもののみが、彼の経験の報告の中に現れうるのだなどと言おうとしているのではない。例をあげると、主体がある音を右にあるものとして経験できる場合に、彼が「右に」という自己中心的な概念を持つ必要があるわけではない。意識的経験それ自体の内容が概念的内容であることを私は必要としていないのである。私が意識的経験にとって必要だと考えるのは、主体がなんらかの概念を行使している(思考を持っている)ということ、そして、その思考の内容が、入力の情報的性質にかならず体系的に依存しているということだけである。  p. 159

潜水艦への没入

あるいは、我々は潜水艦のストーリーを次のような形で語ることもできるだろう。主体の水上艦艇における位置が、ますます彼にとって重要ではなくなっていき、彼は動かず、自分自身の周りの音やにおいを感じないようになっていく。(この種のことが十分に起きれば、あるいは主体には外科的な変化が必要かもしれないが〔とにかくそういう場合には〕)潜水艦が彼の身体であると我々が考えることが可能となるかもしれない。この場合、かれの世界の中心は海底の方にあることになろうし、「ここ」や「それ」といった彼の発話は、概念的な補助手段を必要とすることなく、直接的にそれらの〔直示されている〔と思わしき〕〕対象へとむかう事が出来るだろう。この例の細部や究極的な整合性はここでは問題ではない。この話が整合的だということにしておこう。それでも私の指摘したいポイントに影響はない。さて、この主体が、水上艦艇から受け取っている何らかの情報(例えば、突然何らかの音が鳴る)は、もちろん、(この情報がそもそも彼の思考に組み込まれるとして、)あの〔海底という〕特権的な点から思考可能であるのでなければならない。彼は恐らく、「どこか上の方で誰かがささやいている」と考えるだろうし、彼はこの思考を概念的な要因(私の計算中枢があるところという概念を含む)を用いて把握していることだろう  p. 167