えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

始源神話的思考と系譜 ハインリッヒ (1966)[1973]

哲学と神話にかんする四考察

哲学と神話にかんする四考察

  • ハインリッヒ・K (1966)[1973] 『哲学と神話にかんする四考察』(池田芳一訳 未来社)

第一部 神話における系譜の機能

 神話が持つ「始源の諸力」に、そこから離れてしまったものたちが関与できるのはなぜか。この問いに答えるのが「系譜」です。神話における系譜の機能とは、聖なる諸力をそこからの派生者へ送り届けることです。なお「神話」には、「素材」(神々の歴史)と「特殊な心的状態」(始源の諸力によって絶対的に心奪われている状態)という二つの意味合いがあります。

 系譜化は〔過去を知りたいという〕知的欲求を満足させるだけのものではありません。始源と派生者の断絶は、派生者に深い不安をもたらします(ふるさとの地や家族の母親的な親密さ、支配的な社会集団の父権的保護から切り離されること……)。だから、両者の断絶を系譜によって橋渡すことは、「救済への回答」という性格をも持ちます。
・<なにものとも同一でない>という生を破壊する脅威 ―【系譜】→ 同一性の確保
 しかしこの同一性の確保には大きな努力・代償が必要です。始源と派生者の断絶は決して解消することが無いので、人間は祭司や犠牲によって<絶えず>源泉を確認しなくてはならない上に、この断絶克服のための行為がまさに断絶の存在を暴露してしまうからです(始源の思想の弁証法)。始源からの発生は、出来・継承と同時に分離・隔離を意味します。派生者は独立と孤立・不安を同時に得るので、逆に始源の保持のためには独立の喪失(自己の犠牲)が必要なのです。
 始源の保持とは、永遠に同一の実体を固持することです。これは空間的には、生命体や社会階層が聖地へと結合していること、時間的には、永遠に同一な祭祀の反復ということです。こうした反復によってはしかし隠蔽しきれない始源からの隔離は、堕落・没落・変質を意味し、変質の進行する世代は、始源の世界に比べてより劣った「代用世界」なのです。

 始源の諸力をめぐる断絶は2つあります。一つは今まで問題にしてきた、始源と派生者の間の「垂直的な断絶」、もう一つは、始源には互いに抗争する同じように聖なる力が複数あるという「水平的な断絶」です(神々の戦闘、神々の名による戦争、諸力の擬人化としての多神教)。始源の諸力間における抗争には「解決」が存在せず、人には運命の力へ従属するか瞑想によって運命を超越するかのアンチノミーが残されるばかりです。
 〔このような苦境を踏まえ、〕諸力を和解させようとする試みにおいても、系譜は働きを持っています。植物の世界から借用された「歳時記」モデルは、聖なる諸力を一年の循環の特定の時と場所に呪縛し、社会的領域から借用された「ヒエラルキー」モデルは聖なる諸力に天国の宮廷における官位を割り当てます。これと同じように、動物の世界から借用された婚姻関係の「系譜」モデルは生殖と誕生の連鎖の中に諸力の位置を指定するのです。
 系譜的な体系は、合理性の形式にも重要な意味を持ちます。〔まず、〕我々は演繹的な推論を「拘束的」(必然的)だと言いますが、ここにも、「個を支えると同時に抑圧する」という始源からの演繹の両義性がみられます。ギリシャ論理学は脱神話化の企てですが、その核をなすのは系譜であり、論理学はもひとつの始源神話的精神状態に基づいているのです。
 また、ポルピュリオスはアリストテレス論理学入門〔『エイサゴーゲー』〕において、ゼウスという始源からの演繹を、演繹的推論の具体的なモデルとしてあげました。そのあと、神話における最高の始源(ゼウス)の位置に十のカテゴリを、相互に独立で等しい権利を持つものとして並列しました。ポルピュリオスは、系譜では全ては一者に還元されるという点で、系譜と演繹的論理学の違いは説明されると信じました。しかしここには、系譜が解決しようとしたがし切れなかった問題、「互いに並列する複数の始源からの演繹という問題」が、論理学という抽象的な形式の中にも回帰するが示されてしてしまっているのです(『神統記』においてもカオス・ガイア・エロースという最高の始源は並列されています)。

 ここまで、始源神話的精神状態の基盤の上に立つ演繹論理学と系譜の類似性を検討し、系譜による媒介の限界が明らかになってきました。ここで我々は冒頭の主張を、「ここで論じたような系譜の機能に遭遇するところでは、常に始源神話的な思想が支配的である」と逆転することが出来ます。特に重要なのは、世俗的な形式の中に隠されている始源神話的精神状態への逆行現象を認識することです。例を3つ挙げます。

【理論の領域】
 『存在と時間』には、始源からの遠ざかりは存在論においても「変質」を意味するとあり、現象学的方法については、「始源的に理解された概念もしくは命題」は「硬直化」、「土着性」の喪失の危険を有するとあります。こうした系譜学的概念の使用が始源神話的精神状態を表示していることは明らかであり、<理論はどこまで理論的領域に限定され得るか>を我々に問わせます。
【実践の領域】
 明白な例ですが、土着民族や高貴な家系に属する者たちは、血と大地の聖なる権力を援用し系譜的正当化を行います。この援用は、始源神話的精神状態を現出させることから、政治的手段として利用されています。
【臨床心理学の領域】
 〔精神分析的な〕臨床心理学は、個人と社会の現在の状況を、個体・系統発生的に最古の状況へと関連させます。この治療実践は、意識の底にある始源の諸力との系譜的な再結合を、破滅の危機にある意識の救済法として追及しています。

 これらは本論文の主題のアクテュアリティを示す例です。現状でも存在する、個人の意識を破壊しその意識を支配するあらゆる諸力は、人々がそれらを権威として崇拝し、生と死を供することによって支えられているのです。このように、始源神話的精神状態を積極的に作り出すのが、神話の系譜的機能の最も強力な役割だといえます。

 本論文で始源神話的思考を客観的かつ批判的に考察することが可能だったのは、それに対する抗議の伝統があったからです。この抗議の伝統において「始源」とは、自然の永遠の相に見られる聖なる諸力ではなく、無限に新たな目的によって開示される現実の創造的なプロセスです。この伝統は、世俗化した啓蒙主義のうちにも、〔過去へと遡及する始源神話的精神状態に対して未来を志向する〕<予言者的思考>として表れてくる古いものです。
 多くの哲学者や神話学者がこの伝統に依拠し、<始源神話の素材>と<始源神話的精神状態>とを切り離してきました。たとえばベイコンは、神話の形象を盲目的に信頼し従うべき現実の原像とは見なさず、自分の目的に至る道のりの中で部分的に成功を見た古代の例にすぎないと考えました。ベイコンは神話をアレゴリーとして扱う事で、神話の素材を始源神話に対する戦いの同志とし、創造の始源を問う事で、<系譜学的伝統>に<目的論的伝統>を対置させたのです。現代の神話研究が客観的かつ批判的に始源神話的思考における系譜の役割を叙述できるようになったのは、こうした啓蒙主義的神話解釈に多く因っています。
 神話の研究者たちが意識的にこの伝統の立場を守り抜くか、それとも再び始源神話的な精神状態へのロマン主義的な再結合へと退行してしまうかは、神話の考察において決定的な差異をもたらすでしょう。