えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

「思考について考えるとき言語の語ること」 飯島 (2014)

シリーズ 新・心の哲学I 認知篇

シリーズ 新・心の哲学I 認知篇

I 認知篇

  • 第2章 飯島和樹「思考について考えるとき言語の語ること」

 『シリーズ 新・心の哲学』から、気鋭の認知神経科学者による一章を紹介します。近年ますます経験諸科学との融合著しい心の哲学。この章の存在は、本シリーズの「新」たる所以の一つではないでしょうか。「言語と思考の関係」という華々しいテーマにしかし着実に挑んだ巧みな実験的研究がたくさん紹介されている、全animal symbolicum必見論考です。

    ◇    ◇    ◇

  言語が異なれば世界も違うように見えるという「サピア・ウォーフ仮説」は、経験的証拠の不足から支持を得られなくなっていました。しかし今日、言語が思考に与える影響が実証的に示されつつあります。その例の一つは「色」です。例えばGilbert et al., (2007) は、言語が思考に影響するなら、言語を司る左半球が司る右視野への影響が大きいはずだと考えました。そして、ある色のターゲット刺激、例えば「青色(a)」を、そこから色空間上で等しい距離にある(つまり物理的には違いが等しい)撹乱刺激「青色(b)」や「緑色」から弁別するという課題が行われました。このとき、「ターゲット刺激の色名が撹乱刺激の色名と異なると反応時間が早くなる」という効果が、ターゲット刺激が右視野にある場合にのみに見いだされました。このように、右視野において言語(色彩語彙)が認知(色の弁別)に大きく影響するという現象は「側性化ウォーフ効果」(lateralized Wholf effect)と名付けられており、この効果は色彩に注意を向けなくても生じる視覚処理の初期段階に起こるということ(Mo et al., 2011)、人工的に学習された色彩語彙に関しても生じる非生得的なものであること(Gilbert et al., 2006)、等が分かってきています。

  言語と思考の関わりを見るのに興味深いトピックに「数」があります。人間は数をおおまかに把握する近似的なシステムを動物と共有しています。このシステムはウェーバー則(弁別の精度は刺激の強さの比に依存する)に従っており、例えば6ヶ月の子供は8と16は区別出来ますが、差が小さい8と12になると区別できません(Xu and Arriaga 2007)。このシステムと、数をいちいち数え上げる人間特有の厳密なシステムとはどう関係するのでしょうか? おそらく厳密な数概念は、近似的数システムに「数詞」をマッピングすることで獲得されます。このことは、「2」以上の数詞のない言語を持つ人々が、厳密な数概念が必要な計算に正答できないことからも示唆されます(Pica et al., 2004)。
  しかしこのマッピングが可能になるには、厳密な「1」の概念や「後続関数」(S (x) = x+1;再帰的計算によって離散的で無限の自然数を産出する)の概念が生得的に必要だとも考えられています(Leslie et al., 2008)。このような、離散的な要素を再帰的に計算して無限の系列を得るという特徴は言語の特徴でもあり、言語における再帰的計算(統辞)能力から厳密な数概念が生まれたのではないか、とチョムスキーは示唆しています(Chomsky 2000)。
  こうした経験的知見は、「動物の思考」という哲学的問題にも示唆を与えます。というのは、近似的数システムによる思考は「一般性制約」を満たさないので(つまり、 同じ数概念を様々な思考の中で体系的に用いることが出来ないので)、動物の数の思考は概念的内容を持たないということになるのです(Beck 2012)。

  最後に著者は、自身の行ってきた統辞能力の神経基盤に関する様々な知見を紹介した後、これまでの言語哲学における思考と言語の関係を生成言語学の観点から再考しています。言語哲学は、言語は思考の対象である命題を表現するものであり、命題(文の意味)は外界への指示を含むと考えがちでした。しかし生成言語学が探求する文の「意味」は、文の内的属性である含意関係や数量詞の解釈にかかわるもので、外界への指示は含まれません。文の「真理条件」は、外界のあり方、発話者、文脈など複数の要素の産物であり、指示の科学は成立しないという疑念が呈されています(Stainton 2006)。
  また哲学は、思考がもつ合成性や体系性といった言語と似た特徴を説明しようと、思考を構造化する「思考の言語」があると考えてきました。しかし、例えば名詞が文の中で果たす意味役割(「行為者」、「主語」、「目的」など)が統辞構造における位置に還元できるなどの研究(Haley 2011)から、構造化された思考を生み出すのは統辞であり「思考の言語」は要らないといった提案がなされるようになってきています(Hinzen, 2013)。
  言語能力の根幹を為す計算原理に関する豊かな経験的知見を無視し、言語はコミュニケーションの道具だとかなんとかいう日常的理解から言語と思考の関係について思弁する傾向を牽制しつつ、論稿は締めくくられています。