えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ジンとガソリン Williams [1970]

Varieties of Practical Reasoning (MIT Press)

Varieties of Practical Reasoning (MIT Press)

  • Williams, B [1970] "Internal and External Reasons" in Millgram, E ed. [2001] Varieties of Practical Reasoning (A Bradford Book) Chap. 4

 行為者が、ある液体をジンだと信じているとしよう。ただし、それは実際にはガソリンなのである。また、彼はジントニックを欲しがっている。さて、彼はこの液体をトニックと混ぜ、それを飲むべき理由もしくは一つの理由〔reason, or a reason to〕をもっているだろうか? (既に下位ヒュームモデルの2つの定式化という形で示唆したように、)ここで道は2つある。一方で、彼がこの液体を飲むべき理由をもっていると言うのは端的に言って非常に奇妙であり、彼はその理由を持っていると信じているかもしれないがしかし飲むべき理由は持っていなのだと言う方が自然である。他方、もし彼が飲んでしまった場合、我々は彼がそのようなことを行ったことについての説明(何故彼がそれをしたかの理由)を持っているのみならず、この説明は行為‐への‐理由reason-for-actionの形式をとっている。この説明という次元は非常に重要であり、今後何度も戻ってくることになろう。さて、もし行為への理由が存在しているならば、人々は時折はそれに従って行為するということになっていなければならず、そしてそのように行為がなされる場合には、人々の行為の何らかの正しい説明の中には、そうした理由が現れていなくてはならない(全ての正しい説明の中に現れていなくてはならないということにはならない)。行為者の側での信念が真であろうと偽であろうと、それは彼の行為を適切な形で理解させてくれる説明の形式を変更することはできない。こう考えてくると、我々は先に言及した直観を忘れ、ジンを欲しがっている行為者の場合には彼はガソリンであるその液体を飲む理由を持っていると制定する方にひかれるかもしれない。
 しかし、私の考えではそうすべきではない。内在的理由という考え方が説明にのみ関わり、行為者の合理性には全く関わらないとほのめかしてる点で、方向を誤っているように思われるのである。そしてこのほのめかしが、合理性と結びついた別種の理由の探求を動機づけている。しかし内在的理由という考え方は、行為者の合理性と関係しているのだ。三人称視点の内在的理由言明によって我々が彼に正しく帰属させることができるものは、彼が熟慮の結果として自分自身に帰属できるものと同じものでもあるのだ。この点に関しては後に見る。  pp. 79-80