えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

存在論的議論の枠組み 井頭 (2010)

多元論的自然主義の可能性?哲学と科学の連続性をどうとらえるか

多元論的自然主義の可能性?哲学と科学の連続性をどうとらえるか

  • 井頭昌彦 (2010). 『多元論的自然主義の可能性』. 新曜社.

第2章 自然主義における存在論的オプションの選択 ――物理主義的一元論、および代案としての多元論
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第3節・第4節

第2章の問い:「最小限の自然主義にどのようなオプションを付加すればより説得的な自然主義的立場が得られるか」(オプションをめぐって様々な対立軸があるが、ここでは存在論における対立、物理主義を焦点とした対立を中心に検討する)

第1節 存在論という問題圏

・「何があるのかについて」を手掛かりに存在論論争を整理する枠組みを提出

2.1.1 論文「何があるのかについて」における存在論的議論のための枠組み

・問:存在論的見解の不一致をどう表現するか
(例)A:「ペガサスはある」に賛成 vs B:「ペガサスがある」に反対
 Bの立場からこの対立を述べる際に、「Aは受け入れるが自分は受け入れないようなペガサスなるものがある」ということはできない ∵この発言が有意味であるためにはペガサスが存在していなくてはならず(★)、Bはペガサスの存在を認めることになってしまう
→「存在論上の立場の違いを記述しようとすると否定の側に立つものが不利を被る」問題

【解決法1】:ペガサスは「ある」が「実在」しない
欠点1:思考可能なもの全てが「ある」ことになってエレガンスさに欠ける
欠点2:「ある」とされているものの同一性が良くわからない
【解決法2】:記述の理論の導入
・★の前提を退けて問題を解消する。つまり何かについて語りつつ、その何かの存在を要請しない方法があればよい。
・つまり、有意味であるために対象への指示を必要とする「ペガサス」という名前を消せばよい。ペガサスに適切な記述、あるいは新しい述語(「ペガサスる」)を用意してやり、「ペガサスは存在しない」という文を、「ペガサス」を含まない文に書き換えてやればよい。
→こうしてラッセルのパラフレーズを使えば、「単称名辞は有意味であるために名指しを行う必要はない」。

・しかしパラフレーズを行っても、その文を真であるとして受け入れられなければならない対象がある(「存在するとは量化の変項の値となることである」)。ここから、「ある文を真として受け入れる際にどのような存在者を引き受けなければならないか」を示す「存在論的コミットメントの規準」が提出される。
「理論がコミットしている存在者とは、その理論の中で肯定される言明が真であるためには、その理論の束縛変更によって指示されることが出来なくてはならない存在者である」
・クワインが提出した規準のポイントは二つ
1)文から単称名を除去して量化文のかたちにわれわれは変形してから存在論的コミットメントを引き出す
2)ある文を真と見なす人や理論がコミットしなければならない存在者を「その文を真にするために不可欠な存在者」とみなす(不可欠性論証)

2.1.2 より一般化された存在論的枠組み

クワインの見解を相対化し、より一般的な枠組みを抽出する。その際、抽象的対象に対するコミットメントを導くクワインの議論を参照

【抽象的対象に対するコミットは避けられないよ議論】
1:ある文を真と見なすものは、そのことによって何らかの存在論的コミットメントを引き受けることになる。
2:我々は物理学や化学を含むわれわれの科学の全体を真と見なしている。
3:物理学や化学の一部は数学を必須の部分として含んでいる。
4:受け入れられている文から存在論的コミットメントを引き出す手続きとしてクワインが採用するのは「不可欠性論証である」(不可欠性のチェックは、真と見なされている文を<単称名辞を除去した量化文>の形に変形した上で行われる)
5:数学の諸文が真であるためには抽象的な数学的対象の存在が不可欠である
結論:それゆえ、われわれはこういった抽象的対象に対する存在論的なコミットメントを引き受けなければならない

・ただし2以外それぞれステップへ反論がある

5:数学の語りは可能性の語りだよ(パトナム)
4:存在論の導出は単称名辞を経由して行われるよ(新フレーゲ主義的アプローチ)
3:唯名論的プログラム(フィールド)
2:存在論的コミットメントをもつのは科学の一部だよ(マディ) 
・しかしこうした論争は結局、「存在論的コミットメントの導出元となる文集合は何か」(2、3)および「その文集合から存在論が引き出される方法はどのようなものか」(5、4)という2点から整理できる。つまり、

【存在論的議論の基本構図】
存在論的コミットメントの導出もととなる文集合(=真理)を特定する
         +
文から存在論が引き出される仕方(存在論的コミットメントの基準)を特定する

→存在者のリストが特定される

2.1.3 自然主義的存在論に課せられる制約

(1)「体系内在主義」からの制約
・文が真になる条件とは何か?
・自然主義は真理を「実在そのものとの対応」としては理解できないが、「真理を「現在」受け入れられている信念と完全に同一視」して「真理という語の通常の用法」に反してもはいけない。

【パトナム:理想化された合理的受容可能性】
 真理=合理的受容可能性ではありえない。「地球は平らである」は3000年前には合理的に重要可能だったが今はそうではないという事から、「地球が形を変えた」ことが帰結してしまうから。むしろ、真理は合理的受容可能性の理想化である

【クワイン:真理は内在的であると同時に超越的】
パースは真理が完成した科学理論によって明らかになると考えた。クワインは、科学が完成すると考えた点ではパースを否定するが、真理をパース的な理想理論と考えることで、体系内在主義をとりつつ、真理は目指されるものであって我々が制定するものではないという超越的な側面も掬うことができると考える。

→自然主義者にとっての真理は、理念として存在する「われわれの行きつく先」にある

(2)「基礎付け主義の放棄」からの制約
存在論的主張は「アプリオリな仕方で<存在するものの領域>を確定」するものではなく、「改定可能性」・「可謬性」をもった、撤回可能な作業仮説でなければならない。

第2節 存在論的オプションとしての物理主義とその位置づけ

2.2.1 物理主義はどのような立場か――パピノウの議論を手がかりに

「全ての事実は物理的事実である」という物理主義の「基本的なイメージ」に明確な定式化と論拠を与える。パピノウは「事実を表すために用いられ得る性質は、物理的性質にスーパーヴィンしなければならない」というSV関係を物理主義成立の必要条件だと考えた。∵SVが成り立たなければ、物理的に同一であるにもかかわらず何らかの事実的な性質において異なっているような二つのシステムが存在することになり、物理的でない何らかの事実が存在するということになる

物理主義:事実を表すために用いられ得るいかなる性質も物理的性質にSVする、と考える立場

2.2.2 物理主義の論拠

・物理主義が提出される論理構造を確認する

(1)物理学の完全性
「全ての物理的出来事は、物理法則に従い、先行する物理的出来事によって決定される、あるいはその見込みが決定される」
・しかしここでいう「物理学」とは「いつの」物理学のことなのか?
→ヘンペルのジレンマ:「物理的性質を現在の物理学によって規定すると物理主義は偽になる。他方、未来の理想的な物理学によって規定すると物理主義は実質的内容の特定できない空虚な主張になる」
・パピノウは、完成された物理学=「すべての物理的結果に対して十全な説明を与えるために必要なあらゆるカテゴリーについての科学」と「定義」してこの問題をかわす。

・この戦略への批判
(A)完成された物理学の定式化に現れる「物理的」の意味が理解できない
→前理論的な「物理的」概念によって、完成された物理学の説明すべき対象は特徴づけられる。
(B)こう定義した物理学が「物理学の完全性」を満たすのはトリヴィアルな真理であり、実質的主張を導き出せないのではないのか?
→はい。しかし、「完成された物理学において扱われるカテゴリーには心理学的カテゴリーは含まれない」という「経験的仮説」と一緒にすれば、物理的事実=心理的事実とはならないため、SV関係の主張は実質的なものになる。

(2)心的なものの顕在化可能性
・もし二つのシステムが心的に異なっているならば、その差異が、異なった物理的帰結から現れることになるような物理的文脈がなければならない。

(1)により、二つのシステムの物理的同一性が物理的帰結の同一性を保証し、(2)により、心的な差異には物理的な差異が要請されるので、物理的な差異を伴わない心的差異は不可能になる(SVの成立)

(2)の根拠は、「いかなる仕方でも物理的に顕在化可能でないような心的差異は根本的に検出不可能」というものである。この論拠を用いれば、心的性質以外の性質一般に関して「事実的性質一般の顕在化可能性」が成立する。そこで最終的には物理主義の基本的イメージは「事実的性質の物理的性質に対するSV関係」によって捉えられる。

2.2.3 存在論をめぐる論争における物理主義という立場の位置づけ

 ここで特徴づけられた物理主義は、「存在者」そのものにかかわるものではなく、存在者に関する見解が引き出されるべき「真理」や「事実」について制約を課すものと理解すべき
→物理主義が存在論的議論において機能するのは、「存在論的コミットメントの導出もととなる文を特定する」という第一の問題圏:物理的性質にSVしない性質によって記述される事態は<事実>ではなく、そうした性質をあらわす述語を用いて作られる文は、「導出もとの文集合」から排除される。
・例えば戸田山 [2003]は、「因果的に関与する対象しか存在しない」という存在者レベルでのコミットメントを「物理主義者の基本姿勢」と見なすが、これはSV関係からは出てこないので、別の論拠づけが必要。

・「物理的性質」は我々の信念体系内部の概念なので、物理主義は体系内在的である。また、何らかの非物理的性質の事実性承認とともに物理主義が主張される場合には、改定可能性をもつと考えられる。物理主義は自然主義的存在論の二つの制約を満たしている。