えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

自己欺瞞の問題圏 浅野 [2012]

非合理性の哲学―アクラシアと自己欺瞞

非合理性の哲学―アクラシアと自己欺瞞

  • 浅野光紀 [2012] 非合理性の哲学―アクラシアと自己欺瞞 (新曜社)

目次
第一章 自己欺瞞 ←いまここ
第二章 自己欺瞞のドグマ
第三章 自己欺瞞の帰結
第四章 アクラシア
第五章 実践推理の外へ
第六章 アクラシアの自由

1 二つのパラドックス

 自己欺瞞とは自分で自分をだますことであり、ここでは他人をだますのと同じ手続きが行われているように見えます。しかしそうするといくつかの困難が生じてきます。

信念のパラドクス〔静的パラドクス〕

まず、騙しが成功する場合、自分が真実pを、相手は虚偽¬pを信じることになるので、自己を欺く者は矛盾する二つの信念を持つことになります。しかしそんなことは可能なのでしょうか?

意図のパラドクス〔動的パラドクス〕

また、騙しというのは相手に騙そうという意図が気づかれていたら成功しません。しかし自己欺瞞者の場合、自分の欺こうとする意図が自分に気づかれていないなどということがどのようにしたら起こり得るのでしょうか。

2 自己欺瞞のプロトタイプ

しかし自己欺瞞は次のような点で他者欺瞞と近似しており、たしかに「欺瞞」と呼ぶことができます。

(1)真なる信念と偽なる信念両方の関与

 人を騙すものは、真実を知っていればこそ騙します。自己欺瞞者は、望ましくない真実に気づくからこそ自らを欺き偽なる信念に達するのですから、自己欺瞞でも真なる信念は不可欠な「原因」の一つです。

(2)偽なる事態への欲求の介在

 自己欺瞞は「話題選択的」で、自分にとって切実な問題に関して欲求や願望がかなえられなかったときにのみ発生します。つまり偽の事態への欲求も自己欺瞞の不可欠な原因の一部です。

(3)意図的な過程であること

 自己欺瞞第三の特徴は、それが意図的であることです。真なる信念と偽なる事態への欲求は、自分の欲するものを信じて安寧を得ようとする意図を導きます。自己欺瞞は心の平穏のために真理を犠牲にするのです。

※ 第二の欲求

(厳密に言うと、自己欺瞞には、偽の事態の成立を信じたいという欲求も関与しています。これこそが、自己欺瞞の目的を設定し、それを意図的なものとします)

 以上の3つの特徴を他者欺瞞と共有しつつも、欺く側と欺かれる側が同一人物という点から、上記のパラドクスが生じるのです。

3 何が問題なのか:心の分割

 他者欺瞞は、私の心が相手には直接はわからないという前提を利用して行われます。ということは、自己欺瞞の場合も、主体の心の中の不透明な部分・本人の意識には容易に接近できない部分が存在していると考えられるのではないでしょうか。自己欺瞞のパラドクス解決に必要なのは「心の分割」です。

極端な分割

 ここで、分裂というのを極端な意味でとって、完全に別人格への分割を考えることはできません。それは他者の欺きになってしまううえ、自己欺瞞主体の持つ内面的な葛藤の説明がつかなくなります。求められているのはあくまで同一人格内での分割です。

願望的思考との同一視

 一方、分割がもたらす不都合を回避するために、他者欺瞞と自己欺瞞のアナロジーを緩和する方策もあります。そこでは、上の3特徴のうち(2)だけを認め、自己欺瞞は「願望的思考」と同一視されます。しかしこれは、「欺瞞」に値しない、内面的葛藤が説明できないという弱点の他に、我々は実際に真理に気付きながらも虚偽を信じてしまうことがあるという問題を無視することになってしまいます。

 従って求められるのは穏健な心の分割論です。

4 合理性の規範

 自己欺瞞がどんないかなる点で非合理な現象かといえば、それは、信念という認知的な心の状態が、主体の欲求や感情という動機的な要因によって決定されているという点にあります。
 そもそも信念とは真理を目指すことを本性としていますが、自分がある事態を欲するということはそれが真であることの証拠にはなりません。また、我々は合理的存在者である限り、「自制の原理」(全ての事情にかんがみて最善と判断した行為をなせ)や、「帰納的推論のための全体的証拠の要請」(関連性のある入手可能な全ての証拠が支持する仮説を信頼せよ)などなどの原理に従わなくてはいけません。こうした信念のあり方や合理性の規範は、我々が信念をもつこと、そして我々がそもそも合理的な存在としての心をもつことにとって構成的なものです。
 従って自己欺瞞者は欲しただけで直接そう信じることはできません。そこで自己欺瞞者のもつ欲求は、合理性に配慮しつつ、行為に影響を与えることで間接的に信念に影響を与えることになります。この行為こそが、自分の欲する偽なる事態に真実らしさの外見を与えるための「証拠の操作」です。

5 証拠の操作

 証拠の操作には具体的に三つのものがあります

・証拠の選択的な収集
・証拠の選択的な解釈
・都合のいい証拠の生成産出(そうである「かのように振る舞う」こと)

こうした作業に従事した結果、本人の中で真の信念と偽の信念の間で逆転が生じることで自己欺瞞は起きるのです。つまり自己欺瞞は、漸進的な時間幅のあるプロセスだということです。