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- Buchanan, A. (2020). A plea for follow-through, Philosophy and Public Issues, 10(3): 61–66.
- Earp, B. D., & Savulescu, J. (2020). What is love? Can it be chemically modified? Should it be? Reply to commentaries, Philosophy and Public Issues, 10(3): 93–151.
- I: What is love and can it – even in principle – be affected by chemicals? Reply to Arrell (94–105)
- III: Regulating love drugs: Reply to Buchanan (116–122) ←いまここ
【要点】
- ブキャナンのコメント
- 論点1:アープとサヴァレスキュは親密関係への化学的介入を伝統的療法と並行して行うよう推奨しているが、根拠が不明である。安全性・有効性・同意さえあれば薬物使用単独でも許容可能だという議論のほうがもっともらしい。問題となりうるのは自律の毀損だが、親密関係への化学的介入が特別に自律を蝕むとは考え難い。
- 論点2:化学的介入はもっと広範囲の社会心理的問題解決にも使えるのではないか(例えば、民主主義を脅かす部族主義の改善)。
- アープとサヴァレスキュの応答
- 現状、カップルを対象としたMDMA/サイケデリック補助心理療法については実証的研究がほぼなく、安全性・有効性は確立されていない。カップルの場合、有効性をどう測定すればいいか不明という、個人使用にはない問題もある。セラピストの指導がない自由な環境下での安全性・有効性については、どう確立すればいいのかも不明である。
- 完全にリベラルな道徳の観点から考えれば、そもそも同意さえあれば薬物単独での使用も許容可能ではあるだろう。だが、それが賢明であるかは未知である。社会全体で危害よりも利益が上回るようにするためにどのような規制を行うのが望ましいかを今後は考えなければならない。
- 論点2については扱わないが共感する。
ブキャナン「最後まで突き進んでほしい」
私は本書の内容のほぼ全てに同意している。だが2点指摘したい。
第一の論点はやや批判点である。EarpとSavulescuは、親密関係への化学的介入には [62] より伝統的な療法を併用するべきだと言う。しかし『ラブ・ドラッグ』にはこの制約を正当化する根拠は示されていない。有効性と安全性が十分に確認されており、適切なインフォームドコンセントがある場合、伝統的療法なしに薬物を使用することも十分許容されるのではないか。
これに対する反論が一つだけありうる。すなわち、〔伝統的療法のように〕個人の意識的な推論や判断が直接関与するような補足介入がなければ、化学的介入はその人の自律性を損なったり、アイデンティティを傷つけてしまうというものだ。
だがこの反論は明らかに成立しない。人々は望ましくない様々な状態を治療・緩和するための化学的介入を日常的に承認しているし、非化学的治療を伴わずに承認することもある。また、伝統的な治療を伴うとしても、化学的介入にはおそらく独立した効果があるはずで、もしそれが単独で自律性やアイデンティティを損なうとすれば、伝統的な療法がそれを防げるのかは不明である。また、化学的介入がその他の療法よりも自律やアイデンティティを脅かすとも考え難い。
[63] 実際のところ、 EarpとSavulescuは以上の点に同意しているのではないだろうか。私は、「非化学的療法を併用しない限り決して行わないこと」というのは戦略的譲歩なのではないかと邪推する。つまり、このスローガンによって拒絶を和らげることで、親密関係への化学的介入の潜在的利益が大きいと読者により納得させようとしているのではないか。
第二の論点は、全く建設的なものである。EarpとSavulescuが化学的介入について示した議論を、他の心理社会的問題にも拡張してほしい。具体的に言えば、民主主義や道徳を破壊しうる「部族主義的」なメンタリティの緩和につながるかどうかを真剣に検討してほしい。[63][64][65] このようなメンタリティには人種差別が含まれることがよくあるが、最近の研究では、暗黙の人種差別的反応は化学的介入によって軽減できることが示されている。[66] 外集団に対する様々な形での敵意の根源に、より基本的な心理メカニズムがあるのか、またそれは化学的変化の影響を受けるのだろうか。
アープ&サヴァレスキュ「ラブドラッグを規制する:ブキャナンへの応答」
[116] 我々は、カップルを対象としたMDMAないしサイケデリック補助心理療法についてのさらなる研究を求めており、[117] また研究で有望な結果が出た場合でも、関係エンハンスメントのための薬物使用は適切な訓練を受けたセラピストの指導のもとで行うことが賢明だと考えている。ブキャナンはこれが保守的にすぎると論じている。
[117] まずはエビデンスの状況について確認したい。本応答の執筆中、一方がPTSDだと診断されたカップルを対象としたMDMA補助療法に関する最初の研究が査読付き学術誌に掲載された(Monson et al., 2020)。結果は有望で、PTSD症状を含む患者の症状、さらに二人の関係についても有意な改善が見られた。[118] ただし、いずれにも精神疾患がないカップルを対象とした科学研究は一例も存在していない。つまり、親密関係への薬物的介入で、エンハンスメント目的のものについては、有効性と安全性はまだ確立されていない。
ここで次の反論がありうる。少なくとも個人に関しては、MDMAもサイケデリックスも、治療・エンハンスメント問わず安全で有効である。[119] なぜカップルに関してだけ事情が異なるのか? これに対しては二つの回答がある。第一に我々は、個人に関しても、安全性と有効性の基準をかなり厳格なものだと考えている。〔この基準をサイケデリックスやMDMAが本当に満たしているかは定かではない〕。 第二に、カップルの場合、一体何に対しての有効性が問題なのかを問う必要がある。「カップル満足度指数」という妥当性がかなり確立された指標があるが、これで薬物使用が評価された例は稀であるし、関係性の他の側面についても効果を評価を測定する必要があり、経験的・概念的療法の研究がさらに求められる(Arrrelへの応答も参照)。
[120] では、高い安全性と有効性が確認され、しかも同意があると仮定した場合には、薬物使用単独も許容可能なのだろうか。おそらくそうだろう。だがここで議論は厄介になる。第一に、MDMAやサイケデリックの場合、どのような効果が出るかは使用者側の準備と環境に極めて大きく依存している。〔セラピストの指導なしで〕自由に用いるというのは、準備や環境のコントロールを放棄している状況であり、この場合でも安全かつ有効だというエビデンスをどう入手すればいいかまったく明らかではない。
第二に、もしMDMAやサイケデリックの使用が道徳的に許容されるかどうかがインフォームド・コンセント〔のみに〕かかっているとするのであれば、そもそも安全性や有効性を示すことは不要となる。リベラルな道徳体制のもとでは、誰でも他者に危害を加えない限り〔自分にとって〕危険な行為をする権利があるため、[121] 「薬物使用の自由」という主張をすることも可能だ。しかしブキャナンはこの立場は取っていないように見える。
最近の論文でブキャナンを含む我々三人は、いわゆる「娯楽用」の薬物の即時的な非犯罪化と段階的な規制を求めた(Earp et al., 2021)。これは意見の分かれる問題で、『ラブ・ドラッグ』でも踏み込むことは避けた。が、仮に近い将来、カップルが違法性を心配せずにMDMAやサイケデリックを比較的簡単に入手できるようになったとしよう。この場合、カップル両名が十分な情報に基づき判断を下す能力のある成人であれば、[122] 薬物使用は「許容可能」であると我々も同意する。しかしそれが「賢明」(prudent)かどうかは未解決の問題であり、カップルの状況によるだろう。
ブキャナンのコメントは、議論の次の段階への扉を開くものと我々は見ている。親密関係への化学的介入は、いずれは臨床試験の段階を終えて研究室の外に飛び出すだろう。そのとき、誰が、どのような制約のもとで薬物にアクセスできるべきなのか、また、個人やカップルだけでなく社会全体で危害よりも利益が上回るようにするために、公共政策や公衆衛生の観点からの管理をどのようにするべきかを、今後議論していかなければならない(注57)。
注57:スペースの都合で部族主義については扱えなかったが、この提案には共感する。「サイケデリック・モラルエンハンスメント」の可能性については以下(Earp 2018; Earp, Douglas, and Savulescu 2017)。