- Knoeff, R. (2001). The Making of a Calvinist Chemist: Herman Boerhaave, God, Fire and Truth. Ambix, 48(2), 102–111. https://doi.org/10.1179/amb.2001.48.2.102
【要約】
- ブールハーフェは神学を学んだ非常に敬虔な人物であったことが知られているが、自然哲学に対する神学の影響は注目されていない。ここでは化学をとりあげる。
- ブールハーフェの化学は基本的にはニュートン主義的なものだが、溶媒のはたらきによる異なる物質の粒子の結合については「愛ないし友情」という謎の原因を導入している。
- この原因は「火」のはたらきに相当するものだと考えられる。火は自然界に遍在しており、神が自然界においてはたらくさいの手段だとされている。この見解は、神が神的な力により宇宙全体を統べているというカルヴァンの見解に基づくように思われる。
- また、演繹を拒否し観察と実験を重視するブールハーフェの方法や、化学の限界の強調は、知性は堕落しており人が神を窮めることはできないというカルヴァン主義的信念の反映である。
[101] ブールハーフェの生涯に関して、フォントネルによる記述のみが言及していることがある。ブールハーフェは神の名を口にするたびに帽子を脱いでいたらしい。当時のオランダの人々は、自由の象徴として、食事中や教会でも帽子をかぶっていた。この話の真偽はともかく、ブールハーフェは非常に敬虔な人物として知られており、ハラーは「真のキリスト教徒」と呼んでいたほどだ。ブールハーフェは一時間の瞑想から一日をはじめており、短気な性格を絶え間ない祈りと瞑想で克服していた。
これまでの科学史家は、ブールハーフェの機械論や、化学の錬金術からの解放に注目する一方で、その宗教的見解が自然哲学に与えた影響にはあまり注目してこなかった。これに対して本論文では、カルヴァン主義神学がブールハーフェの研究手法に大きな影響を与えたと論じる。
ブールハーフェの初期の経歴を確認しておく。ブールハーフェの祖父と父はカルヴァン派の牧師であり、ブールハーフェも同じ道を進むと期待されていた。[102] 哲学と神学を学ぶためにライデン大学に入学し、医学も学び始めた。だが、ハルデルウェイク大学で医学博士号を取得後にライデンに戻ると、スピノザ主義者、すなわち無神論者だという濡れ衣を着せられ、神学を断念して医師としての道を歩み始めた。
ブールハーフェが化学を学び始めたのは神学を学んでいる最中だった。しかし、これはなぜなのだろうか。本論文では、化学への取り組みは神学からの逸脱ではなかったと捉える。カルヴァン主義の重要なテーマに、神の全能性と人間の瑣末さの対比がある。人間存在は完全に神に依存しており、あらゆる知識は創造主たる神についての知識から始まる(『綱要』, I, i, 1)。カルヴァンはこの意味で、化学ないし医学の研究をしながら神学の研究をしていたのだ。
[104] 目に見える世界は目に見えない世界の像であって、世界の美しい構造は人間が神を仰ぎ見る鏡となるとカルヴァンは論じていた(I, v, 1)。人間自身もそうした構造の一つである。神は創造の後も絶えず世界に関与している(「摂理」)。これは自然の秩序全体を維持していると言うだけでなく、「被造物のひとつひとつに個別の配慮を抱き、また抱き続けている」(『神の隠された摂理の擁護』)。神は「神的な力」により宇宙を統べているとカルヴァンは繰り返し語るが(I, ix, 4; I, xvi, 1)、これは有機物無機物問わずあらゆるものの個別具体の運動を制御していることを意味する(I, xvi, 2)。神の御手の導きにより、「諸元素とその個々の粒子は定められた機能を果たすことを決してやめない」(『摂理』)。
こうした、神が聖書だけでなく創造物においても自らを啓示するという考えに、ブールハーフェは幼い頃から馴染んでいた。したがって、神学から自然哲学への転向は、研究対象の変化ではなく、あくまで研究方法の変化だった。いずれにせよ究極的な目的は、神と人間自身についての知識を得ることだったのだ。このことは化学研究によく示されている。
ブールハーフェの化学は主としてニュートンの物質論に基づいていた。その粒子(corpuscles)観はニュートンのものに似て*1、次のように定義される。「粒子は、これまで観察されたいかなる原因によっても変化を被らない。より小さな部分に分割されたり、あるいは形状を変えられたりすることがないような硬さを、自然の創造主により与えられているからである」。[105] こうした「自然の最小単位」における引力を最も正確に説明するものとして、ブールハーフェは化学を重要視した。またこれは神学的にも重要だった。そもそも自然哲学の目的とは、「事物の本性(あるいは神)が、物体に影響を及ぼす変化や変容において作用するさいの法則や規則」を知ることである。「自然の最小単位」を扱う化学は、創造物を通じて神を知るのに最も適したものだった。
『化学要論』(Elementa Chemiae, 1732)は、同時代の化学書とは異なり、ノウハウ面ではなく理論と操作を広範に説明したものだった。カルヴァン主義的な側面は、特に溶媒および(元素としての)火に関する説明に見出すことができる。対象となる物体に溶媒(menstruums)を人為的に作用させると、対象の精妙さは分割され、溶媒と対象の粒子は完全に混ざり合う。この作用は、その前後で各粒子の大きさ、形状、硬度、重力の点で変化しないという意味では機械的なものである。だが、溶媒の粒子がなぜ互いに分離して対象の粒子と結合するのかを説明するのに、ブールハーフェは神秘的な原因を導入した。それは愛ないし友情による結合だというのである。この謎めいた原因についてブールハーフェはこれ以上説明していないが、[106] 「純粋な火」に関する考えを参照するとさらなる理解が得られる。
火とは、「適切な割合で適用されれば、ほぼ全ての物体を液化させるほぼ万能の溶媒」である。火の粒子は微細であり、あらゆる物体の細孔に浸透してそれらと結合している。「火の元素はいたるところに存在する〔......〕あらゆる物体や空間に、等しくかつ同量で存在する」。この性質が、多くの化学者や医学者を誤りに導いた。すなわち、炎や煙、灰、あるいは熱として知られる「火」は〔他のものと結合したものであって〕、純粋な火ではない。純粋な火とは、万物を貫く霊である。ブールハーフェはこの万物を貫く火に神学的意味を与えている。「神は元々、火の創造にあたって……重力も、特定の点へ向かう方向性も持たせず、宇宙全体とそのすべての系に均等に分布させたのではないか」。「純粋な火には究極の静寂と絶対の静止があり、さらには神がそこに宿っておられる。神はそこから、物体を動かし活かす奉仕の火を送り出しておられる」。この見解を裏付けるために、多くの聖書箇所が引かれる。「あなたの神、主は焼き尽くす火」(ヘブ12:29)*2(ほか、出3:24, 19:18, 24:17など)。
ブールハーフェの火はあくまで物質的なものである。ライデン大学の化学教授としての就任演説では、「火は物理現象ではなく」「物質と精神の中間的なもの」とする者たちや、「太陽とその子である火を神々にまで高めた」者たちを嘲笑している。だが同時に、火は独立してはたらくものではなく、神のはたらきの手段だとブールハーフェは捉えた。そのはたらきを探求することで、化学者は神について最も直接的に知ることができる。
ただし、神が創造物に関与しているというのは特にカルヴァン主義に固有の見方ではない点には注意しなければならない。[107] ブールハーフェの化学に神的原因が組み込まれているというだけでは、その化学をカルヴァン主義的だとするのには不十分である。そこで重要になるのが、真理と知識に関するカルヴァンの思想である。
カルヴァン主義に特徴的な見解として、人間の知性と意思は完全に堕落しているという考えがある。だが、人間には真理を見出そうとする一定の欲求がある。そこで、この欲求およびすべての知識は神から与えられたものだとされる(II, ii, 16)。カルヴァンはまた、自然哲学、医学、数学の成果は神が人間本性に多くの善を残してくださったことを示していると論じてもいる(II, ii 15)。しかし、人間が神から独立して自然哲学を発展させられるというわけではない。かえって、理性によって得られる知識は神についての知識に依存している(I, xv, 6)。 以上のような考えは、創造物の探究に重要な指針を与える。すなわち、自らの知性に頼ってはならない。カルヴァンも、知性は個別の事柄に降りていくほど誤りやすくなると論じている(II, ii, 23)。カルヴァン主義者が演繹に激しく反対し、[108] 感覚知覚に基づく帰納や実験をはるかに重視したことが、ここから説明できるかもしれない。
ブールハーフェもまた、理性は堕落していると信じていた。だからこそ、知識の基礎は経験や観察でなければならない。物体の真の特徴は神によって被造物に刻印されているのだから、真理は人間の外にあるのだ。この点について、ブールハーフェは次のような議論も展開している。思考主体は常に同一だが観念は常に変化している。このことは、知性が観念を生み出しているわけではなく、むしろ観念は外部から刻印されていることを示す。そのように観念を生じさせる原因こそが神である。ただし、人が何を考えているかだけを見てその人について知ることができないのと同様に、被造物を見てその原因である神を完全に理解することはできない。
植物学の場合、「創造主が植物に対してその起源において刻印した種と真の特徴は、決して変化しない」。これに対して、「人間が[植物に対して]与える効能や恣意的な特徴は[......]頻繁に変化し我々を惑わす」。ブールハーフェは、化学者があまりにも少ないデータから一般理論を構築していることを非難した。まずは正確な観察を基礎とし、そこから推論を行うべきなのだ。そして観察にあたっては、あらゆる推測、仮説、先入観を排除する必要がある。「精神は現象に何も加えず、それを知覚するにすぎない」。
さらにカルヴァン主義は、人が謙虚な心で被造物を研究するべきだとも命じる。人間は神を完全に知ることは決してできないからだ。[109] 人間がすべてを知ることができると考えることは、人間を超越的な高みにひきあげ、神の全能を否定することになる。カルヴァンは被造物を創造主の衣服にたとえる。その布地は見えるが、身体は幾重もの布の下に隠されている(『詩篇注釈』IV)。
ブールハーフェも、火があらゆる運動の原因であると思弁はしたものの、人間には第一原理を知ることは決してできないと強調している。あらゆる自然現象、さらには聖書までをも化学で説明しようとした先人の過信に対して、ブールハーフェは繰り返し警告を発している。とくに、金属を変化させようとする貪欲さは、モーセ五書、ソロモンの著作、ヨハネの黙示録を、金を作る技法の記述であると誤解させてしまった。化学は神と被造物を深く理解することを目的としているが、その結果は神の栄光の反映像にすぎないとブールハーフェは自覚していた。
カルヴァン主義は、ブールハーフェの人生だけでなく、化学研究をも決定づける文化的枠組みを提供した。火とは万物を貫く霊でありあらゆる運動の原因だとする定義は、神が神的な力を拡散させて世界を保っているというカルヴァンの見解に基づいているように見える。また、ブールハーフェの方法や化学の限界の強調は、カルヴァン主義的信念を反映している。ブールハーフェは何よりもまずカルヴァン主義者であり、教会でのキャリアを断念し医学に向かったときも、神学を諦めたわけではなかったのだ。