えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ハイプとはそもそも何なのか:価値判断をふくむ概念としてのハイプ Intemann (2020)

www.cambridge.org

  • Kristen Intemann (2020). Understanding the Problem of “Hype”: Exaggeration, Values, and Trust in Science. Canadian Journal of Philosophy, 52(3), 279–294. https://doi.org/10.1017/can.2020.45

【要約者によるまとめ】

  • ハイプという概念は曖昧なまま流通しており、各種の問題がある。
  • 研究自体の問題である研究不正と、そのコミュニケーションの問題であるハイプを区別できる。
  • ハイプには誇張が含まれるが、あらゆる誇張がハイプと言われるわけではない。問題なのは「不適切」な誇張である。
    • 不適切な誇張にも、ポジティヴなものとネガティヴなものがある。ここでは前者を「ハイプ」、後者を「警戒主義」と呼ぶ。
  • 「不適切」と言うからには、ハイプは価値判断をふくむ概念である。
    • (1) ハイプには、科学コミュニケーションの目的にかんする価値判断が含まれる。
      • 科学コミュニケーションの最も重要な目的を妨げるとき、誇張はハイプである。最も重要な目的が何かを決めるには、発信者および聴衆のニーズや関心、その他の倫理的制約を、評価して重み付けする倫理的判断が必要である。
    • (2) ハイプには、誇張を支持する証拠にかんする価値判断が含まれる。
      • 証拠によって十分に支持されていない場合、誇張はハイプである。だが、どの程度の証拠なら十分なのかは、間違っていた場合のリスクに依存しており、その評価には倫理的判断が必要である。
    • したがってハイプは、発信者が認識的にも倫理的にも信頼できないというメッセージを聴衆に与えることになる。
  • 最終的に、ハイプは次のように理解される:
    • 特定のオーディエンスに(明示的/暗黙的に)向けられたコミュニケーションのなかで、科学のポジティヴな面を、不適切に誇張すること
  • ハイプ概念の価値的次元を無視すると、ハイプにかんする経験的研究にも問題が生じる。
    • ハイプでない事例をハイプだとしたり、逆にハイプ事例をハイプでないとしてしまう可能性がある。
  • また、ハイプ防止策にも問題が生じる
    • 単にリスクとベネフィットをバランス良く発信するだけでは不十分である。(1)、(2)の価値判断を行い、それを踏まえた発信が求められる。

1. 序論

  • 科学研究における「ハイプ」(大雑把に言えば、研究成果等の誇張)の蔓延とその悪影響が指摘されている。[2]だが、「ハイプ」という概念は十分理論化されていない
    • このため、互いに矛盾する定義が用いられる場合もある。例えば、ハイプは研究上の不正行為だとされる場合と(Begley 1992; Wilson 2019)、そうでない場合がある(Weingart 2017)。また、定義が曖昧すぎる場合も多い。ハイプの特徴として誇張が挙げられるが(Caulfield & Condit 2012; Weingart 2017)、何が誇張に相当しそれがいつ問題なのかについてはもっと洗練が必要である(一般化を行う研究はすべて誇張しているとも言える)。経験的研究でも、ハイプの同定のさいにあまりに広い/狭い方法が用いられている。たとえば、潜在的な利益が言及される頻度が、潜在的なリスクが言及される頻度より高いことをもってハイプを同定する方法がある。だがこの方法では、単にリスクの発生率や重要性が低いだけの事例もハイプに含んでしまう。
  • こうした曖昧さには、哲学的に見ても様々な問題がある。
    • 規範的に見て異なるものを「ハイプ」と一口に呼ぶことで、異なる解決が必要だという事実を覆い隠すかもしれない。逆に、ハイプ事例と認識論的・倫理的に同等なはずのコミュニケーションを見過ごしてしまうかもしれない。また、ハイプがなぜ問題なのかの説明を困難にしてしまう。さらに、各種の経験的研究が同じものを測定していない可能性も出てくる。
  • したがって、ハイプとは何なのかについてもっと明確な説明が必要である。本論文では、ハイプとは特定の種類の誇張だと理解したほうが良いと論じる。具体的に言えば、特定のオーディエンスに(明示的/暗黙的に)向けられたコミュニケーションのなかで、科学のポジティヴな/利益につながる面を、不適切に誇張すること、これがハイプである。
    • 「不適切」と言うからには、ハイプは価値判断をふくむ概念(value-laden concepts)である。そこには(1)個別の文脈において、科学コミュニケーションの適当な目標は何か、にかんする価値判断、および、 (2)その文脈において、何が「誇張」なのか、にかんする価値判断、がかかわる。

2. 科学コミュニケーションの目的

  • [3]ハイプ概念を明確化するためには、まず、科学コミュニケーションの目的とはなにか(2節)、そして、「ハイプ」という概念を使うことで、我々が精確には何を防ごうとしているか(3節)、を考えてみるとよい。
  • 科学コミュニケーションの目的は、オーディエンスと文脈によって様々である。
    • 目的のひとつは、意思決定者に力を与えることに関連する。このためにまず重要なのは、(i) 正確な情報を伝えることである。だが、正確な情報だけでは十分根拠のある意思決定につながらない場合もある。特に一般市民を対象にする場合には、(ii)アクセスしやすく理解しやすい形でのコミュニケーションがさらに必要になる。加えて意思決定者は、分野の今後の見通しについても判断したいと思っている。だが、正確な情報のすべてが、信頼できる予測に関連するわけではない。このため、(iii)予測に関連する情報を提供することも、しばしば科学コミュニケーションの目的となる。[4]さらに、科学コミュニケーションの中には、(iv)科学一般や特定の分野、技術に対する関心や興奮を呼び起こすことを目的とするものもある。最後に、多くの文脈において、(v)科学コミュニケーションは科学者と市民の間の信頼関係を促進させることを目的としている。
  • ここまで、(i)正確性、(ii)理解可能性、(iii)予測関連性、(iv)興奮の喚起、(v)信頼の醸成、の5つを例として挙げた。ここからもわかるように、科学コミュニケーションには複数の目的があり、それらは互いに関係している。
    • 実際、各目的は互いに対立する場合もある。正確性は理解可能性と相反し、また興奮の喚起には不十分かもしれない。
  • どのような目的が妨げられるかに応じて、科学コニュニケーションの失敗にもさまざまなタイプがある。このことを踏まえると、「ハイプ」にどのような種類の誤りがあるかを、より精確に見ていくことができる。

3. 「ハイプ」というカテゴリーは何を特定しようとしているのか?

  • 上で見たように、ハイプは研究不正の一種だと考えられる場合がある。
    • Wilson (2019)は、一滴の血液から複数の診断検査を行えるというある会社の主張をハイプだとしている。これは確かに、同社の技術の状態が完全に捏造されている点で、明らかな研究不正の一種だと思われる。
  • だが、研究不正とは区別された、ハイプ独自の懸念点はないのだろうか。
  • 捏造やデータ改ざんといった研究不正は、科学それ自体のインテグリティを損なうものだ。これに対して「ハイプ」という概念は、科学コミュニケーション上の問題を捉えようとしている。
  • [5] 通常、研究不正には、誰かの意図的な虚偽が含まれている。他方で科学コミュニケーションの場合、誰かを欺いたり誤解させようという意図がなくても、また虚偽の主張をしていなかったとしても、その目標が妨害されてしまう場合がある。
    • 例えば『ワシントン・ポスト』の記事「脳卒中患者が歩く、幹細胞実験にスタンフォード大研究者「唖然」」は、脳卒中患者に対する幹細胞治療の臨床試験について、その劇的な効果を伝える。また同記事と、元になった論文は、処置の安全性を強調している。だが、同研究では18人の患者のうち6人に重大な副作用が現れている。この副作用や患者数の少なさを考えると、安全性の強調は楽観的にすぎたかもしれない。しかし、同論文や記事が意図的に虚偽の主張をしたかどうかは議論の余地がある。
  • こうした事例を「研究不正」と呼ぶのがベストなのかは明確ではない。元の研究自体はより控えめな目的をもち、その限りでは適切なものだったからだ。
  • むしろこうした事例は、科学者とジャーナリストの双方による無責任な科学コミュニケーションの事例 –– 研究結果と重要性を誇張し、不当な推論や拙速な予測をするように人々を仕向けた –– と理解するのが良いように思われる。
  • [6] ハイプにかんする文献では様々な定義が用いられているが、ハイプ概念の重要な特徴は誇張である。それは、厳密に言えば虚偽ではないが、人を誤解させたり欺いたりする可能性のあるものだ。
    • 誇張されるものは、研究の前提や、特定のモデル・方法の確実性、一事例のもつ統計的な検出力、研究結果からの推論など、多種の主張や前提におよぶ。また誇張は、一定の主張だけを選択的に伝え、文脈的な事実や証拠を伝えない、という形でも生じうる。
  • したがってハイプとは、特定の理論、介入、技術的産物の利益(の証拠)を、明示的または暗黙的に、次の2つの仕方のいずれかの仕方で、誇張するものだと言える。
    • (a)その技術のリスクを曖昧にする
    • (b)今後の見込みや利益について、既存の証拠からは正当化できない推測を誘う
  • だが、すべての誇張がハイプだというわけではない
    • 科学コミュニケーションにおいては、一定程度の誇張は不可避である。
      • [7]科学的推論は帰納的であり、つねに現在の証拠を超えてより一般的な結論を導きだす。また特に市民へのコミュニケーションに際しては、単に現状の「科学的事実」の報告だけではなく、それが様々な社会的関心、実践、政策にとってどの程度重要かの分析が求められる。
    • また、技術や介入の評価にさいして、特定の利益/リスクを選択的に強調することも不可避である。
      • 限られたスペースと資源のなかで、研究やイノベーションのどの側面を伝えるかについては、いずれにせよ何らかの選択がなされなければならない。
  • したがって、強調や単純化がそれだけでハイプになるわけではない。このことは、「ハイプ」という概念を用いる時に私たちが関心を持っているのは、誇張の一部、問題ある/不適切な誇張なのだということを示唆する(4節を参照)。
  • ただし、不適切な誇張がすべてハイプと見なされるべきかどうかは、明らかではない。〔ハイプは一般に楽観的な誇張を指して言われるが〕、誇張は悲観的な方向にも向きうるからだ。
    • 一部の研究者には、悲観的な誇張もハイプに含めるものがいる(Caulfield 2016; Weingart 2017)。たしかに両者は似たような帰結(誤った信念や正当でない推論)をもたらす。ただし、楽観的誇張が「興奮の喚起」という目的のために他の目的を犠牲にするのに対し、悲観的誇張は警戒、懐疑、恐怖などの喚起を目的としている。「警戒の喚起」もまた科学コミュニケーションの目的として適切な場合があるが、興奮と警戒どちらに根拠があるかは価値判断による(4節を参照)。
  • [8]ここでは、悲観的な誇張のほうを「警戒主義」(alarmism)と呼ぶことにする。

4. ハイプと価値判断:いつ誇張は「不適切」になるのか

  • 誇張がいつ不適切になるかは、(1)その文脈におけるコミュニケーションの目的は何か、および、(2)その主張や推論を保証するのにどの程度の証拠が必要か、に依存している。どちらも価値判断を含むものである。

(1)コミュニケーションの目的

  • その文脈でのコミュニケーションの目的を妨げる時、誇張は不適切である。特にハイプの場合、問題の研究の利益/リスクにかんする十分根拠ある予測を妨げるような誇張が懸念される。これがどの程度生じるかはオーディエンスが誰かに依存する。
    • 研究者が他の専門家に向けて発信するとき(助成金の申請など)は、展望や潜在的な利益を強調することは合理的かもしれない。オーディエンス側に、そうした主張に十分な裏付けがあるかどうかを評価する能力があるからだ。他方、市民や政策決定者がオーディエンスの場合、正確性、予測関連性、信頼の醸成がより重要になるだろう。非専門家は、明示的/暗黙的な誇張に気づかず、また希望的観測をより強化してしまう可能性が高いからだ。
  • したがって誇張は、その文脈で最も重要な目的を妨げる場合に、不適切だと言える。
    • 最も重要な目的は何かを評価するためには、様々なニーズや倫理的考慮を評価し重み付けするという、倫理的価値判断が必要である。リスクについての合理的な意見の相違がある場合には、政治的な価値判断も必要になるかもしれない。
    • 倫理的考慮の例:科学者は、特定の行動の公衆衛生上のリスクについて発信する場合、人々が迅速に集合的な行動をとれるような仕方で発信する倫理的な義務があるかもしれない。

(2)十分な証拠

  • [9]証拠によって十分に支持されていない場合、誇張は不適切である。だが、予測的な主張や推論が十分支持されているかどうかの判断は、証拠が十分か否かにかんする価値判断に依存する。
    • どの程度の証拠が必要かは、受け入れた主張が間違っていた場合のリスクの大きさにかかっている。そして後者は、間違いの確率だけでなく、間違いの帰結がどの程度「悪い」かによって決まる。
  • 特定の主張の発信がもたらす社会的・倫理的影響が甚大な場合、正当化のためのハードルが上がる。
    • 例えば2020年、トランプ大統領、マクロン大統領、ボルソナロ大統領らは、小規模な研究に基づき、新型コロナの治療や予防にヒドロキシクロロキンが有効であると主張した。だがこれは、この薬の潜在的なリスクと限界を無視していた。たしかにヒドロキシクロロキンはマラリアや狼瘡の治療用に承認されているが、それはリスクを相殺するほど有益だと判断されていたからだ。結果的に、多くの国がこの薬の確保と有効性検証に多大な資源を費やしただけでなく、一部の人による過剰摂取、承認用途のための在庫の不足、他の治療法への臨床試験登録の拒否といった問題を引き起こしてしまった。


  • [10]楽観的な誇張だけでなく、悲観的な誇張が適切かどうかも、同種の価値判断に依存する
  • 具体例として、ビスフェノールA(BPA)の使用に警鐘を鳴らしたが、産業界からの反発にあった、Patricia Huntの事例をとりあげよう。
    • 1998年、Huntは、特定の洗剤で洗ったプラスチックゲージから溶出したBPAが、マウスの染色体異常を引き起こすことを発見し、BPAの危険性について積極的に発言した。これに対しプラスチック産業は、Huntは警戒主義に陥っており不必要な規制を助長すると非難した。Huntの研究は非常に限定的なもので、マウスの結果を人間に拡張できるかは疑問視された。業界は、BPAが人に毒性を持つのは極度の高用量の場合に限ることを示す研究を指摘し、現在でもBPAが人体に悪影響を及ぼした記録はないと主張している。1990年から2000年代前半はBPAの使用が広まった時期であり、哺乳瓶などにも使用されていたため、Huntは警鐘を鳴らしたほうが良いと考えたのだった。
  • Huntが警戒主義に陥っていたと言うべきかどうかは、価値判断に依存している。
    • 一方でHuntの結論は、当時の証拠に照らせばあまり支持されないかもしれない。だが、特に乳幼児にBPAが重大な影響をもたらす可能性があるのならば、その使用に警戒するのは合理的だと思えるかもしれない。


  • [11] ハイプ/警戒主義は2種の価値判断に依存するというこの理解は、さらに、オーディエンスがハイプに飲み込まれない場合でも依然としてハイプが問題であるのはなぜかを明らかにする。ハイプは、発信者の認識的および倫理的な信頼を損なわせる。
    • 実際のところ、オーディエンスはハイプを識別して無視できるという研究がある(Chubb and Watermeyer 2017)。しかしそうだとしても、ハイプは科学者への認識的信頼〔科学者が信頼できる情報の発信者であるという信頼〕を損ねる可能性がある。また信頼には、誠実さ、公正さ(integrity)、善意(benevolence)といった倫理的な次元もある。ハイプは、その発信者が、市民にリスクを課したりそのニーズを無視しているという合図となり、その誠実さ、公正さ、善意は損なわれるだろう。このことは、ハイプを実際に信じなくてもそうなのである。

5. ハイプの特定・防止への含意

  • 以上のように明確化されたハイプ概念が、ハイプを同定する経験的研究とハイプ防止の施策にどのような含意を持つかを最後に検討する。

経験的ハイプ研究

  • ハイプ/警戒主義が価値判断を含むことを踏まえると、ハイプ研究の中にはハイプ事例を同定できているかどうか不明なものがある。
    • いくつかの経験的なハイプ研究は、科学コミュニケーション文献を対象に、潜在的な利益が言及される頻度と潜在的なリスクが言及される頻度を比較するという手法をとっている。だがこの手法は、ハイプ事例を同定するさいの価値判断に注意を払っていない。例えばある大衆紙の報道がハイプかどうかは、誤りの帰結を踏まえた上で、十分な証拠に基づいて有益性が主張されているか、また、大衆紙という文脈を踏まえた上で、その科学コミュニケーションの最も重要な目的は何なのか、という問題なのである。
  • ハイプ同定の価値的な側面を無視する場合、ハイプではない事例をハイプだとしたり、逆にハイプ事例をハイプではないとする可能性がある。
    • 北米の大衆紙でのCRISPRの描写についての研究を例にしよう(Macron et al. 2019)。この研究によれば、ほぼすべての記事がCRISPERの潜在的な利益に言及している。他方で、多く(61.4%)の記事が、リスクについても言及している。そこで論文著者らは、CRISPRがハイプされているとは結論しなかった。だが、本当にそうなのだろうか。問題なのはリスクが言及される頻度ではなく、その議論のされかた(how they are discussed)である。実際、多くの記事(83%)は人間の医療と健康の文脈でCRISPRを論じているが、動物や植物に関連するリスクを論じているものは少ない(26.3%/20.2%)。しかし、CRISPRが医療応用されるのは、農業利用よりも遥かに先のことだろう。また、CRISPRの主要な懸念として挙げられているのは、「デザイナーベイビー」や人格の遺伝的改変である。これらの懸念には憶測的なものもあり、現実的な応用に伴うより差し迫った倫理的懸念(オフターゲット変異やインフォームドコンセントなど)から人々の目を逸らさせてしまうかもしれない。
  • ハイプの同定は、単に頻度の問題ではなく、より複雑な評価を必要とする難しい作業である。

ハイプ防止策

  • ハイプの同定が難しいとはいえ、ハイプを回避するために責任ある科学コミュニケーションを目指すことは重要である。
    • ハイプの懸念を受け、国際幹細胞学会(ISSCR)の新しいガイドラインは、研究者に対して「自身の研究が公共空間でどう表現されるかを監視し、[...]リスクや不確実性を過小評価しない情報資源を作製するために、[...]自身の仕事についての正確で、バランスの取れた、また責任ある公的な表現を促進する」ことを求めている。
  • だが、新技術のリスクと利益に関する議論の中では、単に「バランスの取れた」発信だけでハイプを防ぐことはできない
    • この点も上述のCRISPRの事例が示している。どのリスクとベネフィットが重要なのかについて価値判断を行い、どのリスクが深刻で差し迫っているかを評価し、特定の利益を喧伝するのに十分な証拠はどの程度かを決定する必要がある。
  • ハイプ/警告主義を防ぐには、科学コミュニケーションのすべての目標に注意を払う必要がある。
    • 発信者は、どの目的が最も重要なのかを評価し、誤りのリスクを踏まえた上でなお十分な証拠によって支持されているような主張を行う必要がある。ここには価値判断が関係しているから、発信者は価値判断や聴衆のニーズに注意を払う必要があるだろう。
  • ハイプの防止策についてはさらなる研究が必要である。
    • ISSCRが研究成果公表に求める応答性は、懸念のいくつかに対処できるかもしれない。ハイプ/警告主義は、オーディエンスのニーズや関心に無頓着な科学コミュニケーションから生じるからだ。

6. 結論

〔省略〕