https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/hast.612
- Timothy Caulfield (2016). Ethics Hype? Hastings Center Report, 46(4): 13–16. https://doi.org/10.1002/hast.612
「科学ハイプ」(science hype) –– 研究結果の価値や近未来の応用可能性を誇張する傾向 –– に対する懸念が近年増加している。科学ハイプの問題点としては、市民を誤解させる、分野の長期的な正統性を損なう、理想的でない資金分配が起こる、技術が未熟なまま実装される、市民からの信頼が失われる、患者に害を与える、などが指摘される。こうした危害が本当に生じるのかどうかについてはさらなるデータが必要だが(誇張の懸念を誇張しないように!)、継続的な科学ハイプが問題だという点に異議を唱える人はいないだろう。
他方、こうした科学のELSI(倫理的、法的、社会的問題)に関する研究が誇張されていないか、という点はほとんど考察されていない。科学ハイプと並んで、「倫理ハイプ」(ethics hype)が存在するとすれば、それもまた有害な結果をもたらしうるだろう。以下は、倫理ハイプの存在と影響にかんする推測である。
ハイプは複雑な社会的現象である。Caufield and Condit (2012)は、ハイプの原因について、キャリアや論文出版への不安、研究の商業化や橋渡し研究の迅速化のますますの強調、資金獲得競争、話を面白くしたいメディアのニーズ、といった様々な圧力のパイプラインの終点に生じると推測した。
この推測を支持する研究が増えてきている。例えば、より競争的な研究環境で仕事をする研究者の論文ほど、仮説は支持されたと報告したり(Faanelli & Ioannidis 2013)、高い効果量を報告する傾向がある(Yavchiz et al. 2012)。またこの数十年の間に、研究者が査読付き論文でハイプ的表現を用いる傾向は明らかに高まっている(Vinkers et al. 2015)。
研究の出版後、その結論は研究機関によってさらに増幅される。生命医療研究にかんする大学のプレスリリースのかなりの部分は、結論、助言、因果的主張、人間との関連性についての推測、などを誇張している(Sumner et al. 2014)。それを一般メディアがさらに誇張する。新しい治療法が実用化される速度を過大評価する一方で(Kamenova & Caulfield 2015)、リスク、対立する証拠、研究の限界を過小評価する(Scwitzer 2013)。
こうしたハイプへの従来の批判は、研究の「利益」の描かれかたに懸念を表明するものであった。だが、研究の「危害」のほうが誇張されることはないのだろうか?
上述したような様々な圧力は、ELSI研究にも同様にあてはまる。橋渡し研究や商業化への圧力はELSI研究とは直接関係ないかもしれないが、ELSI研究に特に当てはまる要因もある。たとえば、正しい目的だと思われるもののために情報を歪める「ホワイトハットバイアス」と呼ばれる現象が、政策課題の研究を歪めている可能性が指摘されている(Cope & Allison 2010)。道徳的に適切だと思われるELSI政策の開発を支持するように、特定のELSI研究の結果や概念的帰結が誇張されるかもしれない。この傾向は、科学分野における楽観的すぎる見通しに対抗する必要があると思われる場合に、さらに強まるかもしれない。
またELSIの専門家は、市民の議論を喚起したり、ELSIの価値ある大義を奨励するために、目が覚めるような「極端」な危害の例を挙げるという圧力を感じることがあるかもしれない。世論が「科学ハイプ」に支配されている場合は特にそうである(個人的に言えば、著者自身この圧力に屈してきた)。加えて、一般的な認知バイアスが、生命科学にかんする倫理的問題(認知的エンハンスメント)にかんする判断を否定的な方向に向かわせている可能性を指摘する研究もある(Caviola et al. 2014)。
科学ハイプに並行するような倫理ハイプがある、というのは未だ推測であり、さらなる研究が必要だ。しかし、ハイプ一般を駆動する圧力にかんする新たな証拠を考えれば、この推測には根拠があると思われる。実際、倫理ハイプが、よく知られたいくつかのELSIのトピックの勃興に寄与してきたと考える理由がある。
1990年以降、遺伝子差別が大きな注目を浴びてきた。しかしその注目の大きさに見合うほどの遺伝的差別は実際には生じていない。もちろん、こうした注目があったからこそ遺伝子差別が抑えられた、という可能性はある。だが、この分野における規制が未だパッチワーク的なものにとどまっていることを考えると、倫理ハイプの懸念には根拠があるとある程度は言えそうだ(もちろん、倫理ハイプの実際の影響の程度についはさらなる研究が必要である)。その他、クローン、遺伝子特許、遺伝子検査などにかんするELSI的懸念も、もしかすると倫理ハイプに影響されていたのかもしれない(Caulfield et al. 2013)。
現在、ゲノム編集をはじめとして、議論を呼ぶ新たな遺伝子技術の波が来ている。これは、倫理ハイプの存在や影響について検討するのには理想的なタイミングである。実際、ゲノム編集については、その危害をより冷静に評価する必要があるという声もすでに上がっている。
科学ハイプ同様、倫理ハイプも様々な悪影響を生じさせうる(すでに生じさせてきたかもしれない)。稚拙な政策決定、政策決定資源の浪費、ELSI研究資源の理想的でない分配、市民の誤解等である。これらはどれも、倫理ハイプの影響力をさらに拡大させるかもしれない。たとえば、倫理ハイプが市民の意識や不安を高め、それがさらなるハイプ、学会や政策決定の場での注目を生み、市民の懸念を正当なものにする(以下同様に続く)、という一種の予言の自己成就が生じるかもしれない。
ここで著者は、誰かが意識的に、わざと、ELSI研究を誇張していると言いたいのではない。上でも述べたように、ハイプは、ほぼ無意識に働く各種の圧力や認知バイアスによって特に生じる。だからこそ対策が難しいのだ。また、ELSI研究にはもちろん大きな価値がある。しかし科学ハイプと同様、倫理ハイプにも学術的また政策的に問題があり、長期的にはELSI分野に損害を与えるだろう。