https://www.jstor.org/stable/2381497
- Elliott Sober (1992). Hedonism and Butler's Stone. Ethics, 103(1): 97-103.
ジョセフ・バトラーの快楽主義に対する反論は次のように整理できる。
- 1: 食べ物のように外的な事物が快楽を引き起こす(ことがある)
- 2: 外的な事物が快楽を引き起こすのは、その事物に対する欲求がある場合に限る
- 3: 従って、人が外的な事物から快を受け取るとき、人はその外的な事物を欲してる
バトラーはさらに次の結論も主張している
- 4: 外的な事物から生じる快を対象とする欲求は存在しない
4は心理的快楽主義と非両立な主張だが、1-3からは出てこない。
さらに、1と2から3への推論が健全で妥当だとしても、3は心理的快楽主義を論駁していない。1-3が言うように、快は(例えば)食べ物への欲求によって引き起こされるとしよう。しかしここで、なぜ食べ物を欲するのかをさらに問うことができる。そしてその理由は、食べ物が快を与えてくれるからかもしれない。このように、外的事物への欲求が常に快への欲求にさかのぼれるなら、快楽主義は真である。快楽主義は、還元不可能な関心についての説であり、手段的関心についての説ではないのだ。