えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

客観的リスト説と疎外の問題 Fletcher (2016)

The Routledge Handbook of Philosophy of Well-Being (Routledge Handbooks in Philosophy)

The Routledge Handbook of Philosophy of Well-Being (Routledge Handbooks in Philosophy)

  • Guy Fletcher (2016). Objective list theories. In G. Fletcher (ed.), The Routledge Handbook of Philosophy of Well-Being. Routledge: 148-160.

 典型的な客観的リスト説は善の「態度独立性」と「多元主義」という2つの特徴を持つ。ただし、リストの項目が一つということもありうるため(快楽主義はここに分類されることがある)、態度独立性のみをこの説の基準として使うほうが良い。「「客観的リスト説」とは、人にとっての非道具的かつ賢慮的(prudential)な善として一定の事物を指定する際、その人がその事物になんらかの賛成(反対)の態度をとっているかどうかを考慮しない全ての説のことである」(151)。

 客観的リスト説を支持する議論はいくつかある。まず、この説は常識と合致している。次に、快楽説では少なすぎ、欲求充足説では多くなりすぎな、善の種類という問題を回避することができる。また、リストの各項目について個別にそれが客観的善であることを論証していくこともできるし、幸福の本性にかんする議論から客観的リスト説を帰結させる方法もある。

 客観的リスト説に対する反論としては、まず恣意的だという批判がある。この批判は、一方では、「なぜその項目が善なのか」という批判だと考えることができる。注意すべきなのは、この批判は幸福にかんする全ての説に当てはまるという点だ(「なぜ快は善なのか」「なぜ欲求充足は善なのか」)(ただし、客観的リスト説が多元的である場合、説明しなければならない項目が多いという問題はある)。また、恣意的であるという批判は、「リストにある項目の共通点をが示されていない」という批判だと解することもできる。この批判に対しては、共通点を示す必要性に反対するか、実際に共通点を示すことで答えられる。さらに、各項目間の相対的重要性が示されていないという批判もあるが、これも同じ批判は快楽説や欲求充足説にもあてはまる。このように、たしかに恣意性の批判には答えなければならないが、それはおおむね客観的リスト説だけの問題ではないといえる。

 客観的リスト説はパターナリスティックだと批判されることもあるが、それは誤っている。そもそも幸福にかんするあらゆる説は、〔幸福とは何かを説明するものであり、〕その幸福を持たなければならないと主張するわけではないからだ。他方で、客観的リスト説は十分に主体可感的ではない、すなわち疎外的だという批判はより重要だ。この疎外直観は、幸福は当人の感情や意思に可感的でなくてはならないという批判だと解することができる。この批判は、確かに一部の客観的リスト説には当てはまる。しかし、感情や意思によって構成される事象(友情、快など)のみをリストの項目として採用することで、批判を避けることができる(「構成戦略」 constitutive strategy)。しかし、これではまだ疎外を回避できていないという批判がありうる。このとき元の疎外直観は、幸福とは当人が肯定的態度を向けるものでなくてはならないという批判だと解することができる(「対象戦略」object strategyの要求)。ただし、これは客観的リスト説に対して論点先取に当たっている。