えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

大陸の観念論とイギリスの観念論では具体的認識を求めた場所が異なっていた Walsh (1960)

https://archive.org/details/philosophyofhist027581mbp

  • William Henry Walsh, (1960). Philosophy of History: An Introduction. New York, NY: Happer & Row.

 このように生じた歴史哲学へのバイアスは、英国哲学の安定した特徴として残り続けた。ここでぜひとも指摘しておくべきなのは、この反感は決して、一つの学派だけが持っていたものではないということだ。すなわち、経験主義者だけが、この研究領域を無視したわけではない。19世紀末から20世紀初頭にかけて、観念論的な精神の転回を経験した大陸の哲学者たち(例えばドイツではディルタイとリッカート、イタリアではクローチェ)は、自然科学が抽象的で一般的な知識を提供するのに対して、歴史学は具体的で個別的な知識を与えてくれるものだと考え、この(想定上の)事実をもとに自身の哲学体系を構築するようになった。しかし、対応する動きはイギリス観念論には見られなかった。なるほどたしかにブラッドリーのキャリアは、非常に興味深い試論『批判的歴史学の諸前提』(1874)をもってはじまっている。しかし、彼が一般的な形而上学体系をつくるにあたり、歴史学に特別な重要性を付与したなどということはない。また、彼の同僚であるボザンケットはよりはっきりとこう言っている。「歴史とは混合的なかたちの経験ではり、そこには十分な程度の存在や真理性はない」。真の観念論が基づくべきなのは、美的経験か宗教的経験の諸事実、ないしは社会的生活の諸事実の上である。歴史ではなくこうした場所こそが、大陸の著述家たちが語っていた具体的認識を得るために私たちが見るべき場所なのだ。このボザンケットの見解は、コリングウッド以前の全てのイギリス観念論者におおむね共有されていた。今日ですら、歴史学に疑念の目を向ける観念論者は依然として存在している。ただしそれは、歴史学に関心を持つ人々は、歴史学こそが唯一妥当な知識の形態であり、歴史学は哲学を飲み込むだろうと主張する傾向があるという、ただそれだけの理由に基づいているのかもしれないが*1。(pp. 12−13)

*1:この歴史主義と呼ばれる傾向(歴史哲学とは本質的関係を持たない)は、コリングウッドの後期の著作ではっきり表明されている。彼がこのように考えるようになったのはクローチェとジェンティーレの影響を受けたからだ。現代の観念論者が歴史主義に対してどのような態度を取っているかについては、コリングウッドの死後出版『歴史の観念』に付されたT. M. ノックス教授の序文を見よ。