えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

神経調節物質と道徳判断 Crockett and Rini (2015)

The Moral Brain: A Multidisciplinary Perspective (The MIT Press)

The Moral Brain: A Multidisciplinary Perspective (The MIT Press)

  • 作者: Jean Decety,Thalia Wheatley,Laurent Prétôt,Sarah F. Brosnan,Andrew W. Delton,Max M. Krasnow,Nicolas Baumard,Mark Sheskin,Jesse J. Prinz,Scott Atran,Jeremy Ginges,Jillian Jordan,Alexander Peysakhovich,David G. Rand,Kiley Hamlin,Joshua Rottman,Liane Young,Ayelet Lahat,Abigail A. Baird,Emma V. Roellke,Ricardo de Oliveira-Souza,Ronald Zahn,Jorge Moll,Joshua D. Greene,Molly J. Crockett,Regina A. Rini,Rheanna J. Remmel,Andrea L. Glenn,Caroline Moul,David J. Hawes,Mark R. Dadds,Jason M. Cowell
  • 出版社/メーカー: The MIT Press
  • 発売日: 2015/02/20
  • メディア: ハードカバー
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  • 道徳判断や道徳的意思決定は非常に様々な要因の影響を受ける。その多くは、問題となっている道徳的な葛藤に関連していないという意味で非規範的な要因である。
    • 嫌な臭いがしていると道徳判断が厳しくなる(Schnall et al., 2008)
    • 暗いとズルをしやすくなる(Zhong, Bohns, and Gino, 2010)
    • 食休みの後に開かれる法廷の方が、仮釈放が認められやすい(Danziger, Levav, and Avnaim-Pesso, 2011)。
  • このように無関係な要因はどのようにして道徳判断に影響するのか。そのメカニズムの一つの候補は、神経調節物質のシステムによる、文脈に応じて神経活動の調節である。
    • 神経調節物質とは、神経のダイナミクスや敏感性、シナプスの働き等を調節する化学物質のことである。
    • 神経伝達物質(例:セロトニン、ノルアドレナリン、アセチルコリン、ドーパミン)やホルモン(例:テストステロン、オキシトシン、バソプレシン)がふくまれる。
  • 近年、実験室内で神経調節物質の機能を操作することで、人間の道徳認知に影響を与えることができるということが示されている。本章ではこうした知見をレビューし、その規範的含意を検討する。

神経調節物質はいかにして道徳認知をかたちづくるか

道徳判断
  • 道徳判断の研究には、トロリー問題のような道徳的ジレンマ課題が用いられている。こうした課題は、功利主義的判断と義務論的判断の葛藤状態をつくり出す。
  • 近年、神経調節物質の操作がジレンマ課題における道徳判断にどのような影響を与えるかが検討され始めている。
    • 典型的な方法は、まず被験者に薬剤かプラシボをランダムに割り当て、その後一連の道徳的ジレンマ課題を解かせるというもの。いくつかの研究では、顕著な情動を喚起する危害が含まれるpersonalなジレンマ(例:太った人を橋から突き落とす)と、あまり顕著ではないimpersonalなジレンマ(例:スイッチを押して路線を切り替える)が区別されることもある。
  • セロトニン
    • 一般的に、セロトニンの機能が阻害されていることは暴力や反社会的行動とむすびついており、その機能が無傷ないし強化されていると、向社会的行動と結びついている。
    • Crockett et al., (2010) が用いたシタロプラムは、シナプスにおけるセロトニンの再取り込みを阻害することで、その働きを長期化させ、セロトニンの機能を強化するものである(SSRI:選択的セロトニン再取り込み阻害薬)。
    • 結果、シタロプラムは義務論的判断を増加させることが分かった。この効果はpersonalなジレンマだけで見られ、また、共感性が高い被験者で大きくなった。
    • これは、セロトニンが嫌悪の処理を促進させるとする研究と整合的である(Crockett, Clark, & Robbins, 2009)。セロトニン投与の結果として、社会的状況における苦痛嫌悪が強化されることで、〔義務論的判断に繋がる〕と考えられる(Siegel & Crockett, 2013)。
  • ノルアドレナリン
    • ノルアドレナリンは、arousalやストレスに対する注意を先鋭にするとされている。
    • Terbeck et al. (2013) が被験者に投与したプロプラノロールは、アドレナリンβ受容体の効果を阻害するものである。
    • 結果、personalなジレンマでは義務論的判断が増加したが、impersonalなジレンマでは増加しなかった。おそらく、ノルアドレナリンは普通は、帰結主義的な反応を促進する〔ことで、personalなジレンマにおける義務論的反応をある程度押さえ込んでいるが、プロプラノロールによってこの機能が失われたために義務論的判断が増加した〕と考えられる。
    • ただし、選択的ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)によってノルアドレナリンの機能を強化しても、道徳判断への影響は見られなかった(Crockett et al., 2010)
  • ストレス
    • セロトニン作動性のニューロンも、ノルアドレナリン作動性のニューロンも、激しいストレスによって刺激されることがわかっている(Robbins and Arnsten, 2009)。
    • Youssef et al. (2012) は、 トリーア社会ストレステスト(評定者の前でスピーチや暗算を行う)がpersonalなジレンマでの義務論的判断を増加させることを示したが、この効果はimpersonalなジレンマでは生じなかった。
    • Starcke et al. (2012) は、公衆の前でスピーチすることになると被験者に思わせることで、ストレスを高めたが、この実験ではpersonalなジレンマでもimpersonalなジレンマでも義務論的判断が増加した。
  • オキシトシン
    • オキシトシンは社会行動において複雑な役割を果たしている。一つの説明によると、オキシトシンは、ストレスが生じている際に「思いやりと絆」 の社会的連帯を求める反応を促進させるという(Taylor 2006)。
    • De Dreu et al. (2011) はオキシトシンの投与が、多くの人のために一人を傷つけることに対する賛意を減少させることで、義務論的判断を増加させることを示した。ただしこの効果は、危害を受けるのが内集団の人物である場合に限る。この結果はTaylorの説明と整合的である。
  • テストステロン
    • テストステロンは、社会的優位性の追求と関連するホルモンだと考えられている(Eisenegger, Haushofer & Fehr, 2011)。
    • テストステロンが道徳判断に与える効果は、オキシトシンの反対にみえる。テストステロンの基準値が高い人は、義務論的判断を行いにくい(Carney and Mason, 2010)。また、Montoya et al. (2013) によると、テストステロン投与によって義務論的判断が減少する。ただしこの効果は、胎児期にテストステロンを多く浴びた人に特有のものである。
  • 以上の知見から、いくつかの一般的な結論を述べることができる。
    • (1)多くの神経調整物質の効果は、personalなジレンマに特有である。おそらく、神経調整物質は情動のチャンネルを介して道徳判断に影響している。
    • (2)モノアミン神経伝達物質とそれに相乗効果のあるホルモンの放出によって義務論的なスタイルが強調されるようになる、という考え方と多くの実験は整合的である。
    • (3)これらの実験は比較的少ないサンプル数で行われており、また効果量も小さい。再現されている物も少ないし、使用されているジレンマも少数である。このため、解釈には注意が必要となる。
道徳的意思決定
  • 道徳的な意思決定を実験室内で捉えるのは難しいが、攻撃・寛容・協力といった道徳に関連する行動を測定する手法がよく用いられている。
  • 攻撃
    • 攻撃行動は、敵対者に対してどのくらい金銭を損失させるか、電気ショックを与えるか、強いノイズを聞かせるか、といった手法で測定される。
    • いくつかの研究で、セロトニンの操作が攻撃行動に影響することが知られている。
      • セロトニンの前駆体であるトリプトファンが枯渇すると、攻撃行動が増える(Bjork et al., 1999)
      • また攻撃行動は、フェンフルラミン(Cherek and Lane, 1999)、トリプトファンの増加(Marsh et al., 2002)、SSRI投与(Berman et al., 2009)によって減少する。
  • 寛容
    • 寛容は、独裁者ゲームにおいてどのくらいの金額を相手ないし寄付のために差し出すかによって測定されることが多い。
    • セロトニンを放出させるMDMAは寛容を強化する(Hysek et al., 2013)。また、テストステロンの投与は、被験者が相手を罰するという選択肢をもっている場合にのみ寛容を強化することから、戦略的な社会的関心に関連していると考えられる(Eisenegger et al., 2010)。
    • オキシトシンの影響はより複雑である。Eisenegger et al. (2010) によると、オキシトシンの投与は寄付するかどうかには影響しないが、寄付した人がどのくらい寄付したかという点に影響を与える。アカゲザルを用いたChang et al. (2012) も複雑である。「相手が報酬を得る vs 誰も報酬を得ない」という選択で、オキシトシンを投与されたサルはそうでないサルにくらべてより前者の寛容な選択肢を選ぶ。だが、「相手が報酬を得る vs 自分が報酬を得る」の選択では、オキシトシンを投与されたサルはそうでないサルにくらべてより後者の利己的な選択肢をより選ぶ。
    • ストレスの影響も複雑で、寛容が増すとする研究(von Dawans et al., 2012)と減るとする研究(von Dawans et al., 2012)がある。この結果は、寛容になる相手が実験室内での他の被験者か、それともユニセフか、という違いによるのかもしれない。ストレスは内集団への寛容を高め外集団への寛容を低めるのであれば、実験結果全体と整合的である。
  • 協力
    • 協力行動は、囚人のジレンマや公共財ゲームによって測定される。
    • SSRIを投与することで協力が増し(von Dawans etal. 2012)、トリプトファンを枯渇させることで協力は減る(von Dawans et al., 2012)。
    • テストステロン投与は協力を増やすが、ただしこの効果は、胎児期にテストステロンをあまり浴びてない人に特有のものである(von Dawans et al. 2012)。
    • オキシトシンは一般的に協力を増やす(Rilling et al. 2012)。ただしいくつかの研究では、この作用は回避型のアタッチメントなどの個人差の変数と交互作用している(De Dreu, 2012)。さらに、オキシトシンが協力を増すのは親しい集団ないし内集団の人とのあいだだけであるようにみえる(Declerck et al., 2010; De Dreuet al., 2010)。
  • 以上から言えること。
    • セロトニンとオキシトシンは一般に向社会的行動を増加させる。両者の間にはおそらく相乗効果がある(Dölen et al., 2013)。
    • ただし、テストステロン、ストレス、ドーパミンの効果に関してはわからないことがおおい。
    • また、神経調整物質が道徳的決定に与える影響が文脈や個人のパーソナリティ特性に非常に敏感なことはあきらかであり、この点についての研究が待たれる。

議論:規範的含意

  • 神経伝達物質が道徳判断に与える影響が分かってきたため、この知識を我々自身と社会の改善に利用しようと提案する哲学者もいる(Douglas, 2008; Persson and Savulescu, 2012)
  • だが、どうやって利用すればいいのかは簡単な問題ではない。
    • 例えば、たしかに私たちは裁判官に一貫してほしいと思う。そこで、何を食べても一貫した判断ができるようになる薬があれば、社会の改善に役立つようにみえる。だが、現状の空腹時の判断の方に一貫させるべきなのか、それとも満腹時の判断の方に一貫すべきなのか。これをどうやって決めればいいのか
  • 神経伝達物質の規範的含意については、次の二点を考慮しなくてはならない。
  • (1)神経伝達物質の使用を決定するのは誰か
    • 自分が摂取するもの自分で選ぶことができるというのは当然認められることのようにみえる。しかし、仮にあなたが義務論道徳はおかしいと思っているとして、人をより義務論的にするよう物質を摂取する自由を人に認めたいと思うか?
      • 道徳は個人間の問題なので、道徳的な神経物質使用は個人の自由および自律と抵触してしまう(Harris, 2011)。
  • (2)神経調節物質は道徳性そのものについての私たちの理解を変えるかもしれない
    • いままで見てきた知見は、道徳判断が非常に影響を受けやすく偶然的だと示している。だが私たちの多くは、自分の道徳判断や選択がこれほど偶然の産物だとは思っていない。
    • ここで一つ考えられるのは、道徳について考える際に、〔私たちの(誤った)道徳理解を用いるのではなくて、〕道徳的に中立な神経化学的状態の観点から考えていくべきだというものだ。
      • だが、全ての思考が何らかの神経化学的状態であることを考えると、そのうちどれが正しい思考であるかをどうやって決めればいいのか(上で見た裁判官の問題の一般的形)。
  • 結局、神経調整物質を利用することに決まったとしても、しかしどの神経調節物質を使うかをどう決定するのかという点で困難を抱えることになる。
    • しかもこの問題は避けられない。神経調節物質は私たちの判断と決定を一定方向に変えるが、このような変化を選ぶか否かを決める根拠は当の判断と決定しかないのだ。
      • 哲学者たちは「君がこの薬を飲めば、私の見解に賛同してくれるだろう」と言い合いになるかもしれない。
    • これはおそらく道徳哲学者には何らかの形で馴染みの問題だが、道徳的な神経調節が実用化される可能性があるならば、みんなで考えなければならない問題となるだろう。