えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

世界のありかたの正しい記述の追求は客観性の追求と同じものではない Putnam (2002)

The Collapse of the Fact/Value Dichotomy and Other Essays

The Collapse of the Fact/Value Dichotomy and Other Essays

事実/価値二分法の崩壊 (叢書・ウニベルシタス)

事実/価値二分法の崩壊 (叢書・ウニベルシタス)

  • Putnam, Hilary (2002). The Collapse of the Fact/Value Dichotomy and Other Essays. Cambridge, MA: Harvard University Press. (2006, 藤田晋吾・中村正利訳, 『事実/価値二分法の崩壊』, 法政大学出版局)
    • 認識的価値と倫理的価値の違い(と、なぜその重要性が誤解されてはならないか)(pp. 31−33; 邦訳三六−三九頁)

さまざまな認識的価値は、世界のあり方を正しく記述しようという関心と結びついている。だが、正しい記述の追求は客観性の追求と同じものではない。

(1)正しい記述の追求は、整合性や単純さといった認識的価値に導かれている。このことを次のようなことだと勘違いしてはならない。「整合的な仮説とそうでない仮説を用意し、その上で、整合性の価値を前提しない客観的なしかたで両者を比べてみると、整合的な仮説の方がより正しいとわかる。なので整合性には認識的な価値をもっているのであり、整合性に導かれることが正しい記述の追求になる」。このような客観的な比較の仕方など存在しない。むしろ、私たちは一定の認識的価値を採用してはじめて、まさにその基準のもとで、正しい記述が何なのかがわかるようになるのだ。

(2)客観的だが記述的でないようなもの(”Objectivity without object”)がある。数学的真理および論理的真理がそれにあたる。数学・論理的真理は抽象的対象を措定していると言われるかもしれない。しかし、抽象的対象は私たちと相互作用するわけではないのだから、「そういうおもしろ対象が存在しなくなったとして、数学がわずかでもうまくいかなくなるなどということがあるか?」。


この議論によってパトナムは、「認識的価値-客観性/倫理的価値-主観性」という連合を、まずは認識的価値のほうから崩そうとしている。この個所につづいて厚い概念の話が登場し、倫理的価値と主観性の連合が退けられる。