えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ブルーメンバッハとカントの「目的機械論」 Lenoir (1982)

The Strategy of Life: Teleology and Mechanics in 19th Century German Biology

The Strategy of Life: Teleology and Mechanics in 19th Century German Biology

  • Lenoir, T. (1982). The Strategy of Life: Teleology and Mechanics in 19th Century German Biology. Chicago, IL: University of Chicago Press.
    • 1. Vital Materialism (前半)

 ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハは、今日では人種にかんする研究でしか知られていない。しかし18世紀当時、彼はドイツの生物学者たちに大きな影響力をもった人物であった。ブルーメンバッハの研究の背景には、生物の発生をめぐる前成説と後成説の争いがある。ブルーメンバッハは、はじめはハラーの前成説を全面的に支持していた。しかし前成説は、動物の発生のありかたが母親の卵において既に決まっているとするので、雑種が両親の特徴を引き継ぐという事実を説明できない。この不整合にブルーメンバッハは気づいたが、しかし前成説には、唯物論的還元主義を否定して有機体をそれ自体で原初的なものとして扱うという側面があり、これは維持したかった。しかし他方で、有機体を原初的なものとすると言っても、「物質とは独立の「生命力」ないし霊魂が、非有機的物質に働きかけた結果、有機体が生じる」とするタイプの生気論も、ブルーメンバッハにとっては尤もらしくなかった。そこで、唯物論的還元主義と生気論のあいだをくぐり抜けるためにブルーメンバッハが提案したのが、物質に形を与える力である「形成衝動」によって有機体が可能になるという説だ。
 
 形成衝動は、その物質的基盤と密接に結びついている(生気論の否定)。このことは、ポリプの実験によって示される。ポリプの部位を切断すると再生するが、再生後の部位は元々の部位と構造は同じだがサイズが小さい。このことは、ポリプが元々もっていた発生にかかわる物質が失われたので形成衝動の働きが弱まった、と解釈されるのである。しかし、形成衝動の性質は物質の観点から説明することはできない創発的なものであるとされる(唯物論的還元主義の否定)。形成衝動の原因が分からないことは、ニュートンにおいて引力の原因がわからないことに比せられる。それでもニュートンは非有機的物質の様々な規則性を統一するモデルをつくることで引力を発見したのであり、同じように、生殖・発生・栄養摂取に見られる規則性を一つの一般法則のもとで束ねるものとして形成衝動という概念を鍛えていくことこそ、ナチュラリストの課題だとされる。

 ブルーメンバッハの形成衝動説が、自らが主張する「統制的原理」の具体例となっていることにカントは気づいた。カントもまた、一方では有機体は機械論的に説明できない目的をもつと考える。しかしそのような目的は有機体自体に備わるもの(構成的概念)ではなく、人間が有機体を認識するときに欠かせない枠組(統制的概念)にすぎないと考えたのだった。ここから生物学は、有機体を支配する法則をアプリオリに導出するものではなくて、目的性を原初的なものとして採用し、それを統制的に用いることで有機体を研究する経験的な学問であることになる。

 こうした生物学構想から、カントはいくつかの実践的な帰結を引き出している。まず「哲学における目的論的原理の使用について」では、自然種は発生力ごとに分けられ、発生力は発生流体に含まれる種[Keime]と素質[Anlage]に存していると想定される。〔このようにして原初的な発生力を確保しつつ、〕カントは人種の分化に対しては機械論的説明を与える。すなわち、同じ発生力をもつ発生流体であっても、環境の違いによってどの構造・能力が優勢になるかが変化し、その結果生物の形態も変化する。さらに同一環境に何代にも渡っておかれることによって、発生流体のありかたが恒久的に固定され、形態も固定化してくる。このようにして様々な人種は、皮膚や髪など外的には異なる構造をもつが、発生力の点では同一であり、従って繁殖も可能である、とされる。 

 さらに『判断力批判』では、種のレベルよりも根源的な有機的統一体が取り扱われる。ここでカントは比較解剖学と比較生理学に訴える。これらの学問は、様々な種の形態のあいだの類似・派生関係を明らかにし、様々な種を、ひとつの基本的なプランを備えた「基幹類」(Stammgattung)へとまとめあげることができる。ただし、ある基幹類に属する様々なもののあいだの派生関係が、実際の歴史上の分化過程を明らかにするものだとは、カントは全く考えていない。というのも、もしある基幹類内部において、ある事例から別の事例への移行があるとすると、後者は新たな特徴をどこからか獲得したことになる。これは、これまで無機物だったものが有機体に変化したという見方に繋がるが、しかしこれはありえないことだとカントは考えていたのである。確かに、ある基幹類の内部には、単純なものから複雑なものへの系統がある。しかしそれは、一定の発生力がますます複雑化する環境の要求に適応するかたちで展開した結果として生じたにすぎない(この点で、基幹類とそこに属する多様なもののあいだの関係は、ある遺伝子型とその表現型の関係に近い)。なおこのことを逆から言えば、基幹類は生物が環境へどのくらい適応できるかに一定の制約をかけるものでもある。このように、比較解剖学・生理学によって再構成される有機的統一体は決して「祖先」ではない。それはむしろ、有機的世界をかたちづくる力が、具体的にどのような機能と構造をもった器官となるかが描かれている一種の計画書として理解されるべきなのである。

 このように、ブルーメンバッハとカントはどちらも、唯物論的還元主義と生気論のあいだをゆく生物学プログラムを支持していた。このプログラムを本書では「目的機械論」(Teleomechanism)と呼ぶ。目的機械論はおおきなポテンシャルをもったものであり、ブルーメンバッハおよびカントの影響を受けた人物たちが様々な領域でこの説を展開していくことになる。