えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

18世紀の経験的心理学と実験的心理学 Zelle (2001)

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1034/j.1600-0730.2001.d01-36.x/abstract

  • Zelle, Carsten. (2001). Experiment, experience and observation in eighteenth-century anthropology and psychology: The examples of Krüger's Experimentalseelenlehre and Moritz' Erfahrungsseelenkunde. Orbis Litterarum, 56(2): 93−105.
心理学の経験化

 「経験」という言葉は、もともとは決疑論の文脈で、時間をかけて多くの事例を検討することを意味した。だが18世紀中頃には、感覚によって得られる知識一般を指すようになった。さらに、人為なしに実在するものを経験する「観察」と、人為を加えることで実在するようになったものを経験する「実験」が区別された。
 この新しい「経験」概念を背景に、ヴォルフは経験的心理学と合理的心理学を区別した。だが当初より合理的心理学の評判は悪く、心理学の経験化が進んだ。例えばズルツァー(Johann Georg Sulzer; 1720-1779)は、経験的学問となることなしに心理学の発展はないとし、さらに心理学の研究領域を明晰判明な知識の領域から3点で拡張しようとした。まず、観察から生じる不正確な知識を扱うもの、すなわちバウムガルテンの言う「美学」。次に、異常な心の状態を扱うもの、すなわち後にモーリッツの言う「魂の病理学」。最後に、魂のみならず身体と魂の調和を扱うもの、すなわち後にプラトナーの言う「人間学」である。

実験的=心理学

 人間学的なアプローチを示す同時代の著作に、「哲学的医師」クリューガー(Johann Gottlob Krüger: 1715-1759)の『実験的=心理学の試み』(Versuch einer Experimental=Seelenlehre; 1756)がある。彼は心身の相互作用という反デカルト的立場(influxus physicus)に立っており、ここから、心理学と医学には密接な結びつきがあると考えた。心身相互作用の立場から言えば、医者が行うような身体の観察からも魂に関する知識が得られるはずだ。これまでの経験的心理学は内的観察を重視し外的観察を排除してきたが、これは不当である。
 こうして、診断学や症候学等をふくむ広義の「観相学」が、経験的心理学の中に入る。だが、観相学は肝心の「実験的心理学」には含まれない。なぜなら、観相学は単なる「観察」に基づくもので、「実験」に基づくものではないからだ。クリューガーは、恐らくハラーが生理学的目的のために犬に行った様々な実験を知っており、同じような実験が人間でも可能だと考えた。例えば、人間を真空状態において観察する。
 しかし倫理的理由から、クリューガーは人間に実験を行うことを控えた。その代替案として提示されるのが、犯罪者に対する実験、動物実験、そして「偶然の実験」としての医学的症例の利用である。最後のものをクリューガーは最も重視しており、『実験的=心理学の試み』の付録として非常に多くの症例の観察記録がつけられている。ただし、症例をもとにするアプローチをとったことで、クリューガーの「実験的」心理学は実質的には症例の「観察」をもとにしたものになっている。

経験的心理学

 クリューガーの著作を参考に、『実験心理学への展望』(1782)という著作を公刊したのがモーリッツ(Karl Philipp Moritz: 1756-1793)だった。だがこのときモーリッツは「経験」「観察」「実験」の用語法に通じておらず、この著作も自己と他者の観察に基づくものであった。この点をメンデルスゾーンが指摘し、再版時のタイトルには「経験的心理学」が用いられた。しかしクリューガーの「実験的心理学」も実質的に観察に基づいていることを考えると、クリューガーとモーリッツの距離はこれまで考えられているよりも実質的にはかなり近い。