えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

心理学史におけるヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト Boring (1950)

A History of Experimental Psychology.

A History of Experimental Psychology.

 心理学史の古典からヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトにかんする部分を翻訳しました(生涯はのぞく)。ヘルバルトを、思弁的心理学から実験心理学に至る過渡期の人物と捉え、
・アプリオリな心理学ではない経験的な心理学の構想
・「意識の閾」の概念の導入
・観念の相互作用にかんする数学的な理論
を強調した記述になっています。観念を数学的に取り扱うやり方は実例も紹介されていておもしろいです。

   ◇   ◇   ◇

 ヘルバルトが実験心理学への道を準備したのはどういう点においてなのか、これはよく考えてみる必要がある。というのは、彼がこの運動を予見していたと言うのはかなり無理があるとおもわれるからだ。ヘルバルトは、実験を心理学的問題に適用することは不可能だとはっきり述べていたし、生理学の重要性も否定していた。しかし、彼が近代ドイツ心理学に与えた積極的な影響は大きく、彼こそが出発点なのだと考える人も存在し続けている。一体ヘルバルトは、心理学とはどのようなものであるべきだと考えていたのだろうか。


 1.この問いへの答えは、彼の第二の著作のタイトルによって実質的に与えられている。『科学としての心理学:経験、形而上学、数学という新たな根拠』。そう、心理学は科学なのであり、それは経験と形而上学と数学に基づいているのだ。

 心理学は科学である。この科学[Wissenschaft]という言葉は実験科学より広い意味を持つという点には注意せねばならないが、それでも心理学は科学だというはっきりした主張には新しさがあった。また彼は、心理学が実験的でありうるとは考えなかったが、数学的方法を擁護するところまでには至っている。数学こそ、実験科学、すなわちガリレオとニュートンの新しい科学の根本的な道具であった。ヘルバルトは心理学における実験と生理学の使用に反対したものの、心理学は一つの重要な科学なのだという認識を持っていた。だがこの認識は、心理学から哲学を取り除こうというものではなかった。むしろ逆に、タイトルからも分かるように、形而上学は経験や数学とならんで、心理学にとって基礎となるものだとされているのだ。心理学者が「反形而上学的」なことを言い出すのはかなり後のことなのであり、例えばマッハの『感覚の分析』は1886年である。さてそうすると、ヘルバルトが心理学に与えたもの、それは地位だと言うことができる。彼は心理学を哲学と生理学からとりあげ、それ自身の使命を与えて解き放ったのだ。

 心理学は経験的である。なぜなら、経験に基づいているからだ。ただしそれは、実験的であるということと同じではない。実験的か否かは、〔何に基づいているかの問題ではなく〕方法の問題だからだ。心理学の方法は実験ではなく観察であり、だからこそ心理学は経験に根を持つとされる。経験的であるということが科学のもつ属性の一つであることは明らかである。科学たるもの、経験に基づかないことはほとんどありえない。ヘルバルトは、観察に訴えるという点を明確にすることで、自らをカントのアプリオリな心理学にはっきりと対峙させた。と同時に潜在的には、自らをイングランドの経験主義的心理学と結びつけた。このイングランドの学派が、新心理学に対し最も直接的な哲学的基盤を与えるものとなっていく。

 心理学は形而上学的である。ヘルバルトの教義のうち、もちろんこれは新心理学には受け継がれなかった。しかしヘルバルトにしてみれば、このように考えることは全く自然であった。というのは彼の時代では、どんな哲学も心理学の装いをしていたからだ。心理学が形而上学的な本性をもつというのは、心理学と物理科学を分ける特徴の一つだと彼は考えていたらしい。心理学は形而上学的だが物理学は実験的であるという見解は、ヘルバルトの心理学的著作の至る所に見られる。この見解があったために、ヴントを初めとする後の心理学者は、実際はヘルバルトに多くを負ってはいたものの、彼を否定的に扱うことになった。心理学を形而上学的だとするこの見解があったが故に、ドイツにおける新心理学の始まりと言われるのはヘルバルトやあるいは方法の点で同じくらい形而上学的だったロッツェではなく、あくまでヴントだと言われるのである。

 心理学は数学的である。これもまた、心理学と物理学を分けるポイントとなる。物理学は、計算と実験という科学的方法の両方を用いる、一方、心理学が使えるのは前者だけである。実験から切り離されたヘルバルトの形而上学的計算とはどんなものなのか、詳しくは後で取り扱うことにするが、このような数学の使用は『科学としての心理学』のなかで存分に見ることができる。そしてここからわかるのは、フェヒナーの心理測定は測定という点ではとくに新しいアイデアではなかったということだ。フェヒナーのオリジナリティは、ヘルバルトの数学の使用とウェーバーの実験の使用を組み合わせたところにある。更にいえば、フェヒナーにはヘルバルト由来のものがもっとある。たとえば、心理物理学を可能にしたと言っても過言ではない閾の概念がそれだ。

 心理学は分析的だろうか? この点で一度立ち止まろう。ヘルバルトはそうではないと主張している。心は単一的なもので部分に分けられない。これは分析に対するよくある反論であり、デカルトから今日に至るまでみられる。ヘルバルトが分析に反対する姿勢は強固であり、この点でイギリス経験主義者とはおおきく態度を違えているようにもみえる。だが考えてみれば、科学というのは分析的でなければいけないのだろうか。ヘルバルトは違うと答える。たしかに、実験的方法は分析的でなければならないが、科学そのものは違う。そして心理学は非実験的な科学なのである。というよりも、魂の統一こそが心理学が実験的ではありえない理由なのだ。ただし以上のような公式発言とは裏腹に、事実問題としてヘルバルトが分析的手法を本当に使っていないのかどうかははっきりしない。非実験的な数学的科学とは言うものの、やっていることは分析のように見えるのである。

 それはともかく、ヘルバルトの心理学は機械論的であり、魂の静学と動学を備えたものであった。ヘルバルトの言う観念(ロックの意味でのVorstellungen)は、相互に作用し合い、その結果として強度において変化する。たとえば、ある観念aは別の観念bをひきつける。そしてこの関係を支配する法則が、aとbを項とする等式で表現される。aやbは量であり、観念の強度を表現する。観念に程度あるいは大きさがあると言ってもこれは要素主義だということにはならないが、ある観念を別の観念と分離させ二つが相互作用しうるというのは完全に分析的要素主義である。カントはかつて、心理学は実験的なものでも数学的なものでもありえないと述べていた。どちらの方法も二つの独立変数の存在を必要とするが、観念は時間においてしか変化しないと考えたからだ。ヘルバルトは実験にかんする見解はカントに従ったようだが、心理学における数学の使用に関心を向ける中で、観念には時間と強度の二つの変数があると指摘するに至った。それどころか、ヘルバルトの静学によると、観念には質という第三の次元もある。質により個々の観念は個別化され、aはbと異なるものとなる。ヘルバルトは、強度において互いに独立に変化するバラバラの観念へと心を分析することによって、ことの当然、観念を数学的に扱うために必要な分析的条件を整えることになった。この分析によって魂の静学は可能になったのであり、時間を変項として加えることで動学が可能になったのである。

 〔分析を否定しつつも実際には行っているという〕混乱の角でヘルバルトを攻めるのはフェアではないだろう。分析を否定することで彼が戦っていたのは、心をバラバラの能力に分割するという考えであった。そして彼が否定したこの考え方は、二度と心理学に帰ってくることはなかった。とはいえ、ヘルバルトが観念的要素を問題としたのは確かであり、この要素は連合主義者達の考えた要素よりも厳密に定義されとらえどころのあるものだったので、数学的定式化にもフィットした。後にティチナーは心の分析こそフェヒナーがヘルバルトから学んだものの一つだと述べたが、ヘルバルト自身の要素主義否定にもかかわらず、この見解はやはり正しいのである。

 ここまでで、ヘルバルトにとって心理学とは何であったかを見てきた。ではここで、彼にとって心理学は何で「なかったか」を問おう。我々としては受け入れがたいが、心理学は分析的ではないと彼が考えていたのはわかった。他はどうだろう。

 心理学は実験的ではない。カントのこの考えをヘルバルトも受け入れた。心を実験するためのはっきりとした方法は端的に言って無い。この考えは、実験心理学がどうして可能なのか見当もつかない現代のデカルト主義者とおなじものである。今日では、この点でカントもヘルバルトも誤っており、実験を可能にするのに十分なほど多くの独立変数が心にはあることがわかっている。ただ、この事実を理解しそれに従って行動せよとヘルバルトに言うのは、フェヒナーとヴントがやったことをやれと言うのとほとんど等しい。ヘルバルトが論理をたどり誤り未来を完全に予測できなかったからといって、驚いてはならない。

 心理学は記述的ではない。心理学の仕事は単に心を記述することではなく、その数学的法則を発見することである。この点で、ヘルバルトは科学の精神を反映している。今日でも、法則の定式化や数量化をともなわない単なる現象の記述は無価値だと考える人は多い。

 心理学は生理学的ではない、少なくとも本質的に生理学的であるわけではない。ヘルバルトは生理学に興味を持たず、これが心の問題に迫ることのできるものだとは考えなかった。実験にも興味を持たなかった訳だから、自分が扱っている変数を制御するための生理学的技術について考察するということもなかった。生理学的心理学と実験的心理学が同時に始まったのは偶然ではない。一方の方法は他方を要求するのである。

 ただしヘルバルトは、心と身体の関係は認識しており、両者の結合について以下の3つの原理をおいた。身体的条件は観念の覚醒を妨げることがある(例:寝ているとき)。これが抑止(Druck)である。身体的条件は、観念の覚醒を促進するときがある(例:酩酊、激情)。これが、強化(Resonanz)である。そして、感情や、あるいは(訓練を通して)観念が運動を引き起こす時(例:情動や単純な行為の場合)、魂と身体のあいだには恊働がある。しかし以上のような議論はヘルバルトにとってはあくまで生理学ではなく心理学の特殊な部分であり、心理学は根本的な性格として、あるいはその根本的な方法としては、生理学的なものではないのである。


 2.ヘルバルトの体系において単位となるもの、すなわち観念あるいは表象[Vorstellung]について考えよう(ここで「観念」という語はロックの意味で使っている。Vorstellung というドイツ語は今日の英語で言う perception と idea の両方を含むということを思い出そう)。この検討により、ヘルバルトがライプニッツから一歩進んだと言われるのはなぜか、明らかになるだろう。

 すでに見たように、ヘルバルトによれば観念とは「質」の点で互いに区別されるものであり、従って、ある観念が質の点で変化するといったことはない。この点では、ある観念から別の観念への濃淡はなく、違いは離散的である。しかしどの観念も、強度あるいは力(Kraft)の点で変化しうる。これは、明晰性と等しい。

 この力というのは、観念の明晰性という形であらわれてくるものであり、観念の「自己保存」の傾向として理解することができる。各々の観念は、互いに関係を結ぶ時、己を保存しようとする。観念は「活動的」なのであり、これはとりわけ諸観念のうちに己と対立するものがある場合にそうなる。この自己保存の傾向こそ、心の動学の根本原理であるとヘルバルトは考えた。「観念のどの運動も、二つの定点の間のどこかに位置する。すなわち、完全な抑止状態と、完全な自由状態の二点である」。そして、「どの観念にも、完全な自由(つまり抑止の不在)の状態へ回帰しようする自然かつ定常的な努力」がある。かくしてヘルバルトは、ライプニッツからフロイトに至る力動心理学者としてみることができる。

 ヘルバルト流の観念が互いに対立するのはなぜかというと、その対立の基盤となるのは観念の質である。観念aは観念bは対立するが、観念cとは対立しないということがありうる。そして対立が各々の観念の強度に与える影響は、相互的なものである。もし、aとbが同時に存在しておりかつ対立している場合、どちらも相手を弱める。「対立する観念が互いに抵抗しあう形而上学的な理由は、諸観念の自己保存によりなりたっている魂が、その統一性を保つためである」。「もし反対する観念同志が互いに抑制することが無いなら、全ての観念は魂においてひとつの作用しか構成しないだろう。なんらかの抑制によって諸観念が多くのものに分たれていない場合に限って、諸観念は一つの作用を構成するのである」。言い換えれば、ひとつの心的活動を構成できる観念たちはたがいに抵抗し合わない。だが一般的に言って、観念は多様であるという点を考えれば、相互対立からくる抑制は意識につきものであるように思われる。実際のところここでヘルバルトは、意識されるものの範囲は限られているという根本的な事実について機械論的な説明を与えているのである。

 次のポイントとして、これが一番重要かもしれないのだが、ヘルバルトの考えによると観念は抑制によって完全に破壊されてしまうわけではない。対立物があるばあい、観念は、必要なだけのものを「生み出す」にとどまり、強度ないし明晰さを失い、そして現実状態から傾向状態へと移行してしまう。つまり、抑制された観念は存在しているのだが、単に傾向性としてのみ存在するということだ。この主張は額面通り受け入れなければならない。たしかに表面的にみれば、存在しているものは現実的であるはずだから、傾向性が現実的ではないのに存在するということはありえないと思われてしまうかもしれない。だが、もはや現実的ない何かがしかし傾向性として存在しているというのは、かならずしもパラドキシカルなことではない。実際今日ですら、「無意識」の本性に関して似たような問題が生じうる。「無意識」とは文字通りとれば、意識されていない意識のことである。だがこの言葉が一見パラドキシカルに響くからといって、心の傾向性や潜在性にまつわる多くの問題から目を背けていいということにはならないのである。

 以上のような機械論から、意識の閾という概念が出てくることになった。「意識の閾というのは何かといえば、ある観念が完全な抑制状態から現実状態に移行するさいに、その観念がとびこえると思われる境界線のことである」。ここで私たちは、観念の強さが明晰性と等値されるのが何故かを理解することができる。自己保存において強い観念というのは、閾の上にあり、したがって意識的である。本性上弱い観念や、抑制によって弱められた観念は、閾の下にあり、無意識的である。このように、強さが明晰さを与えるのだ。

 こういうわけで、ある時点における意識の組成は、多くの観念の間の機械論的なやり取りの結果であることになる。閾下にある観念のなかでも、意識の統一にかなうものは抵抗が少なく、従って浮上してくる可能性がある。そうするとあたかも見かけ上は、意識的な観念が無意識的な観念の中から自分に調和するものを「選んで」いるかのようになる。だがそれは自由な選択ではない。全ては合力の機械論に依存しているのである。この文脈の中で、ヘルバルトは「統覚」という言葉を使うことになる。ライプニッツと同じく、意識の中に現れるあらゆる観念は統握されている。だが、ヘルバルトは統覚という語に更なる意味を込める。そもそも観念というのは、既に意識的になっている観念からなる統一的な全体のなかにしか現れてこない。そこで、観念を統握するというのは、単にその観念を意識的にするというだけではなく、それを意識的観念からなる全体の中に同化させるということでもあるのだ。この後者のことをヘルバルトは「群の統握」と呼んだ。もしかするとこの統覚にかんする説が、ヘルバルトのなかでも最も有名なものかも知れない。「統覚群」というフレーズは、長年にわたって人口に膾炙していた。だが実際のところ、ヘルバルトは自身の心理学の中でそこまで統覚を重要視していない。統覚学説が重要なのは、それが教育の過程にかんする心理学的なイメージをあたえるものであったからだ。ヘルバルトは教育理論でも有名になろうとし、実際そうなったのだ。

 さて、ヘルバルトの心理学のなかでも以上で見てきた部分は、もちろん、ライプニッツにその直接の由来をもつ。統覚というのはライプニッツの言葉であるし、観念の活動という概念もライプニッツのものだ。ただし、表象が機械論的に相互作用するというイメージは、ライプニッツの予定調和の学説に対するはっきりとしたアンチテーゼになっている。ライプニッツの微小表象は、ヘルバルトのもとでは抑制された観念になった。またライプニッツもヘルバルトも、知覚には程度がある、観念は自己実現しよう努力する、といった考え方を共有している。ヘルバルトの「意識の閾」という考え方は、ライプニッツからわずかに進んだだけのものだ。これだけの根拠があれば、このように言ってもいいだろう。ヘルバルトの指導教官はカントではなくライプニッツであった、と。

 ここで少し話を先取りしておくのもいいだろう。ライプニッツは無意識の理論全体を予見していたが、ヘルバルトは実際それに着手しはじめた。ヴントもまた、知覚を説明するためにはじめ無意識的推論に訴え、後には統覚に訴えた。フェヒナーはヘルバルトから、意識的所与の大きさの測定というアイデア、分析というアイデア、そしてなにより、閾というアイデアを受け継いだ。さらに、閾というヘルバルトの概念をもとにフェヒナーは、閾下での強度、すなわち「否定的感覚」の概念に至った。実現を求める活動的な観念という考えからは、作用心理学にもわずかに影響し、異常心理学にはかなり影響した。初期のフロイトが無意識を描写する時のやり方も、現実にはそうはならなかったが、ヘルバルトの直接的に由来するということがあってもおかしくなかったのだ。ヘルバルトの心理学は、50年、いや100年が過ぎても、まだどこかの部分で使い道のあるものであった。さらに、もしヘルバルトを力動心理学の祖先として認めることができるのであれば、彼の遺伝子は現代に至るまで脈々と自己複製を続けているとすら言えるのである。


 3.統覚にかんするヘルバルトの見方および意識の構成一般にかんするヘルバルトの見解をみてきたが、心的なもののなかでも常に働き続けている最重要なものは抑制だとおもわれてきただろう。その印象は全く正しい。結合の働きは基本的に否定的なものである。統握された観念群はほとんどあらゆる観念を抑制しており、だがわずかのものだけが、反対物がない場合にかぎって、それ自身の力で意識にのぼってこられる。これが、新しい意識の要素が選ばれるプロセスなのだ。とはいえヘルバルトは、観念同士の衝突が少ないないし皆無である場合に生じる観念の結合についてもコメントしている。これには、三つの場合が考えられる。

 まず、諸観念の間に対立がなく、またそれらが同じ「連続体」(様相)に属している場合、それらの観念は結合し融合体[fusion]を生む。例えば、赤と青が統一して紫を生む場合がこれである。次に、諸観念の間に対立が無く、それらが違う連続体に属している場合。これは例えば音と色の場合にあたるが、この際にも観念は統一しうる。この統一体をヘルバルトは複雑体[complication]と呼ぶ。この融合体と複雑体という言葉使いはヴントやその後続者によって取り上げられた。たとえば、以前の章で見た個人方程式の問題は目からの印象と耳からの印象の統一にかかわっていたために、心理学者は複雑体の実験を行うことになっていった(pp. 142−147を見よ)。

 ヘルバルトは、抑制が不完全な場合に生じる統一の法則をも探究しようとした。互いに等しい力を持った二つの観念は完全に抑制しあう。彼はこれを事実として証明したと考えていた。だが二つの観念の力が等しいために、両方ともが残存し、それらの合力が意識に対して寄与する場合もある。(この場合の数学的取り扱いについて、すぐ後で見てみよう)。三つ以上の観念の場合も、意識的な合力を生む場合もあれば、どれかが完全に抑制される場合もある。ヘルバルトはこうした事例についても数学的に取り扱っているが、この点では彼にあまりつきあいすぎなくてもよいだろう。


 4.さて、ここまで何度も、ヘルバルトの数学的方法に言及してきたが読者の中には、実験的で数量的な観察なしに数学を心理学に適用するとはどういうことなのか、皆目見当がつかないという人もいるだろう。彼のやり方を説明するには、実例を挙げるしかない。そこで、二つの不均等な強度を持つ観念を例とし、ヘルバルトの静学の根本法則の一つを導いてみよう。すなわち、強い観念が弱い観念を〔完全に〕抑制できるのは、三つ以上の観念が競合状態にある場合に限る、という法則である。

 いま、同時存在する反対の観念をaとbとし、aはbより大きいとせよ。それぞれの観念は相手に対して抑制の効果を持つので、両観念の力は減衰する。

 この際、bの力が減衰する割合は、aとbの総量(a+b)に対するaの割合に等しい。このこと言明をヘルバルトは一気に比で書くのだが、話を分かりやすくするためにまずbの減衰量をdとおこう。そうすると、私たちは上の言明から次を得る。

 a+b:a::b:d

これは以下と同値である

 d=ab/a+b

そこで、ヘルバルトが元々書こうとしていた比はこうである。

 a+b:a::b:ab/a+b

この式を一目で理解しろというのは無理な話なので、話をもう少し簡単にしてみよう。bの減衰量がdということは、aがbをどのくらいの割合減衰させたかと言えば、それはd/bだということになる。だがここでaがどのくらいの効果を及ぼすかは、aと意識の総量(a+b)との関係に依存している。というのは、aがbよりも大きければ大きいほど、bに対して大きな効果を及ぼすことになるからだ。つまり、bが低減される割合は、意識の総量に対するaの割合なのである。ここから私たちは次を得る。

 d/b=a/a+b

これはつまり、

 d=ab/a+b

これでも何を言っているか分からないという読者は、彼の数学を信用していないというよりは、式を立てる際の基盤になっている形而上学的な理性主義を信用していないのだろう。とにかく、もう少しつきあってほしい。
 bがdだけ減衰した後には、どのくらいの力が残っているだろうか。

 b−d=b−ab/a+b=b^2/a+b

ここで、b^2/a+b=0となるのは、b=0かa=∽かのどちらかの場合である。だが、このどちらの条件も満たされることはありえない。というのは、bは意識的観念なので、定義上b=0ということはありえないし、また無限の力を持つ観念というのもありえないのでa=∽ということもありえない。そこで次のことが言える。

 b−d=b^2/a+b≠0

これはつまり、aによって減衰された後のbの強さが0になることは決してない、ということだ。二つの観念が相互作用している場合には、aがbを完全に抑制するということはありえないのである。

 より強い観念がより弱いものを完全には抑制できないのだとすると、当然、弱いものが強いものを完全に抑制することもできないと期待されるだろう。それはそうなのだが、ではbがaをどのくらい減衰させるかについて上記と同じ手続きを踏むと、bはaをab/a+bだけ減衰させており、その際aに残る力はa^2/a+bだということがわかる。これはつまり、aはbによって完全に抑制できないということだけではなく、aとbはその相互作用の中で、同じだけの作用と反作用を及ぼしあっているということでもあるのだ。というのは、どちらも相手を同じ量(ab/a+b)だけ減衰させているということになるからだ。

 これが一般法則である。同時存在する不均等な力を持った二つの観念について、どちらも相手を閾下に抑圧することはできない。意識の範囲は二つの観念よりも広い、と言ってもいいだろう。

 ヘルバルトはこれに続いて、三つの観念が相互作用する場合には、そのうち一つが完全に抑制されることがありうるということを示す。そしてそこから、 静学におけるその他の式を導出したり、心の動学へと進んだりしていく。その歩みをここで追いかけることはしないが、彼の方法がどういうものだったのか、基本的なレベルでは、理解することができただろう。

 さて、ヘルバルトのどこに問題があるのだろうか。数学は健全である。(最低でも)二つの観念が意識にのぼりうることも、私たち全員が認めている。だが、そうした観念にかんするあれやこれやの法則は、今日の心理学の中にまったく居場所をもってはいない。ヘルバルトの問題点は、その前提が、確かに理性には尤もらしく訴えてくるが、説得的ではないという点にあった。たとえば彼は、bがaを抑制する割合はaのa+bに対する割合に等しいと述べているが、是はあまりにも単純すぎ、あるいは、あまりにも経験のなかに根拠がなさすぎであり、正しいとは思えないのである。ヘルバルトには、実験を使えなかったにせよ、少なくともそれに何かが必要だった。このように、不適切なデータが高度な数学によって扱われるという事例は、科学においては珍しくない。数学の厳密さによって、元々のデータはその取り扱い方法と同じくらい精密であるという幻想が生まれてしまうのである。一方で数学に非常に長けた人が、しかし実験結果や理論的想定物に対して批判的になる才能を欠いているとうことは、よくあることなのだ。


 5.歴史がヘルバルトを批判してくれた。経験に基づく科学的心理学という信念は残った。数学的方法は、彼が退けた実験や生理学にむすびついてこそ重要なものとなることが分かった。意識と無意識の関係についての見方は、今日でも使用されているが、多くの点で修正を被っている。しかしながら、ヘルバルトの言う心理学の形而上学的基礎は生き残れなかった。心理学の基礎に形而上学があることが否定された訳ではない。心理学者たちは自分たちが自覚している以上に形而上学にかかわっている。心理学史が明らかにしたのは、心理学の経験的基礎と形而上学的基礎は両立しないということだ。ヘルバルトの形而上学は、観察に基づく帰納法をアプリオリな一般化でおきかえることにつながってしまった。アプリオリな方法も、後から実験による検証に訴えるという心づもりがあるのであれば、真理に導かないわけでもない。だがヘルバルトはそのような心をもっていなかった。ヘルバルトの『科学としての心理学』は、従って、実験心理学が必要としたものの一部に過ぎなかったのである。

 ヘルバルトは結局、カント、フィヒテ、ヘーゲルらの純粋な思弁から、フェヒナー、ヴント、ヘルムホルツの反形而上学的な実験主義にいたる、その移行を象徴している。なので、ヘルバルトの学派、すなわちヘルバルト派と言われた人々のなかに、実験家の名前が見当たらないのも当然である。ライプツィヒの論理学者であるドロービッシュは、卓越したヘルバルト主義者であった。彼こそ、ホーヴィッツの後任としてヴントを1874年にライプツィヒに呼んだ人物だったが、自分自身は心理学者ではなかった。ヴァイツ、ラツァルス、シュタインタールらもヘルバルト派だったが、その興味は民族誌的なものだった。W.F.フォルクマン(リッター・フォン・フォルクマー)は、もしかすると最も直接的に現代心理学に影響を与えたヘルバルト派だと言えるかもしれない。彼が1856年に書いた『心理学教本』は、ヴントの『生理学的心理学』が1874年に出版されるまで、最新の心理学教科書でありつづけたからだ。だが全般的に言えば、ヘルバルトが現代心理学に与えた影響はヘルバルト派を介したものではなかった。ヘルバルトの著作はフェヒナーとヴントに直接的な影響を与えたのであり、その影響は何を採用するかという点にも何を退けるかという点にもかかわるものであった。