- Berkenkotter, C. & Hanganu-Bresch, C. (2011) Occult Genres and the Certification of Madness in a 19th-Century Lunatic Asylum. Written Communication, 28(2):220−250.
19世紀英国のアサイラムには、少数の内科医とアサイラムの医療監督しか目にしなかった「隠されたジャンル」のテキスト、「入院記録」the admission recordsがあった。著者らはこの資料をもとに、患者の「不健全な精神」がどのような過程を経て証明され、入院がもたらされたかを分析する。
著者らがとりあげるタイスハーストのアサイラムの入院記録は4枚の文章からなる。1枚目は患者の居住地や職業などの一般的情報と病気に関する情報(求死念慮、てんかん持ち、など)が親族により書かれた「受け入れ要求書」。2枚目と3枚目は2人の医師による署名付きの診断書。この医師はアサイラムとは関係なく、精神疾患を診た経験は必要とされなかった。狂気と正常の境界は明確で、医学的訓練を経た合理的な者なら誰でもわかるとされたからだ。4枚目はアサイラムの医療監督による最終的な「入院証明」。これらの書類は、患者の入院の必要性を聴衆(とくに、85年の精神病者法により結成された精神病委員会)を医学的・法的に説得する役割を果たした。手続きを確かなものにするため、各書類には書くべき情報のテンプレートが用意されている。
4枚の文章の並び方は、オースティンの言う「了解」uptake(〔ある発話内行為を受け、どの発話媒介行為を行えばよいかわかること〕)の連鎖を構成していると言える。一種の「命令」である「要求書」を受けて「診断書」がかかれ、この二枚を受けて「入院証明」が書かれる。そしてこの証明を受けて実際に人は入院させられる。この事実を受け、さらなる記録がなされる。
この分析視角をもとに、筆者はまず4枚の日付に着目する。61年のアンウィン氏の入院記録では、想定される了解の連鎖の順序とは裏腹に「診断書」の日付が一番早く、次に「要求書」、「入院証明」と続く。実際、「要求書」には「診断書」から借りたと思われる専門用語(「産褥性躁病」など)が散見される。このことは、「了解」は実は双方向的なものであることを示す。
アンウィンは、知的な問題や幻覚はないが「道徳的に異常」であり、「異常性欲者」であると診断された。アンウィンは以前ある医師に性的暴行を受け、それを知った夫は彼女を別の町へ連れて行った。しかし彼女はロンドンそしてフランスへと逃亡した。その中で彼女は髪を切って男装したり、船で見知らぬ男と寝たりと、当時の中流階級における女性像、高潔さの規範から外れ、これが診断の根拠となった(性的暴行が行為に及ぼした影響は重視されなかった)。
アンウィンの「入院記録」は、「診断書」と「入院証明」の日付に7日以上の間隔があったため、入院は認められなかった。アサイラム管理者と精神病委員会には、入院のための法的手続きが適切かをチェックするシステムがあった。
だが厳密な法的手続きとは裏腹に、自分の入院は不当だと訴えた患者もいた。76年に入院したマーシャルは、鬱/興奮状態や自分の行為が全て正しいという信念等により異常だと証明された。彼はその診断は不当だと再診断を求めたが、その言動がかえって精神異常の証拠だと解釈された。また、彼はかつて梅毒にかかったことから、鬱/興奮状態は梅毒による進行麻痺の初期症状だと判断され(後知恵になるが、妻には症状がないのでこの判断の根拠は薄い)、神経質な話し方や尊大な態度、描いた絵までもが進行麻痺に関連すると解釈された。
数ヶ月後に退院したマーシャルは、精神病委員会の特別委員会のヒアリングに対し自分があまりに早急に入院させられたと訴えた。この訴えは、入院を帰結させた了解プロセスの変更について了解をとりつけようとしたものと考えられ、ここにも了解の双方向性を見て取ることができる。
マーシャルの訴えは究極的には診断の規則を変化させることが出来なかった。しかし、正常な人をも入院させうる修辞の力は当時の大衆の注意を集め、医者に金を積んで人を精神異常だと証明させる描写が小説に現れた。また、患者をアサイラムに送るか、それともスティグマを避けるべく家におくかという家族の葛藤も描かれるようになった。
「入院記録」のような医療-法的文章は、患者の人生を左右する力を持つ。その言説上のメカニズムを分析することは、それに対する抗議の声を説明する助けになるだろう。