- 作者: 信原幸弘,太田紘史
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2014/05/14
- メディア: 単行本
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]II 意識篇
- 第2章 佐藤亮司「視覚意識の神経基盤論争:かい離説の是非と知覚経験の見かけの豊かさを中心に」←いまここ
- 第5章 福田敦史「自我性を求めて:物語的自我、現象的自我、脳神経科学」
心の哲学の醍醐味の一つは、細にわたる概念的探求と最先端の経験的探求の活発な交流にあります。「意識の神経基盤」の問題を主題とした本章は、このことを鮮やかに浮かび上がらせてくれます。視覚経験を題材に、様々な意識の理論を批判的に検討したのち、「予測コーディング」[predictive cording] のフレームワークから問題に迫る論考です。近年さまざまな分野で話題となっている予測コーディング。その考え方と使い方を哲学の方面から紹介するおそらく最初の邦語文献という点でも意義深い一本です(この方面での第一人者ヤコブ・ホーウィ氏が東大で行った講義のまとめもネットでみれます)。
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近年科学者のあいだで有力な「グローバルワークスペース理論」は、意識とは役者が観客にメッセージを伝える「舞台」のようなものだと考えます(Baars 1993, 1997)。意識の舞台に立った表象は、言語報告メカニズムや運動系などにその表象内容を一斉に送信するのです。この舞台、グローバルワークスペースは、脳でいうと主に前頭皮質、帯状皮質、頭頂皮質にあたります(Dahaene et al. 2006)。この説は、「私たちは意識したものについて報告、熟慮したり、それに基づいて行動する」という意識の特徴をうまく捉えます。
ですが、報告可能性などから特徴付けられる「アクセス意識」は、主観的な感じで特徴付けられる「現象的意識」と概念的に区別できます。そして現象的意識の存在は、「感じられるものは報告できるものよりも豊かである」という意識の特徴からわかります。これは素朴に考えても尤もらしいですし、次のような実験もあります。3*3の文字配置を一瞬見せて、見えた文字を報告させると、人は平均4.3字を報告できます。しかし文字の提示の直後、特定の列の文字の報告を促す音をならすと、人はその音によってどの行を指定されても、3文字全てを答えることが出来ます(Sperling 1960)。これはまさに、被験者が9文字全てを意識していたことを示すのではないでしょうか。従って、グローバルワークスペースに入る以前に、脳で言えば感覚皮質の段階で、表象は既に現象的には意識的になっていると考えられます(Block 1995, Prinz 2012)。このように、現象的意識とアクセス意識の神経基盤が異なるとする説を、著者は「かい離説」と呼びます。
とはいえこの実験をグローバルワークスペース理論側から見れば、低い解像度で無意識的に保存されていた9文字全ての情報が、注意によって意識のレベルに上がってきたのだと解釈することができます(Byrne et al. 2007)。
著者は、2つの説明の違いは意識概念の違いしかないと診断します。そしてこの点で言えば、グローバルワークスペース理論の意識概念は私たちの意識理解とかなり食い違っています。例えば、私たちは対象の一瞬の細やかな動きやそれに伴う刻一刻の表面の色の変化を経験しますが、その細部を報告したりはできません。「意識内容は豊かである」という理解はやはり強力です。
しかし「かい離説」の意識概念が優れているとはいえ、神経基盤に関する既存の説明には共通の欠点があると筆者は論じます。ここで説明したいのは、「視界全体が豊かに思われる」という事実です。しかし既存の説は、「周辺視野にはほとんど注意が向かないし、網膜のレベルからして(特に色について)情報が貧しい」というよく知られた事実を踏まえると、「周辺視野では意識内容も貧しい」とせざるを得ないものになっています。ではなぜ私たちには「視野全体」が豊かに思われるのか、これを説明する手段が既存の理論には無いのです。
この問題に対し、ローゼンソールとラウは「意識の高階説」に訴えます (Lau & Rosenthal 2011)。周辺視野では確かに解像度の低い感覚しか生み出されません(一階)。ですが、この状態について「自分は豊かな経験をしている」と考える思考(二階)があるとします。このとき、一階の状態が意識的になるのですが、ローゼンソールは、(やや反直観的なことに)意識的経験の「内容」は一階の状態の内容ではなくて高階思考の内容によって決まると考えます。従ってこのとき周辺視野における経験は、実際に豊かであり、だから「視界全体が豊かに思われる」のです。そしてどうしてこうした高階思考が現れるかといえば、高階の思考を生み出すメカニズムは、注意が向かずノイズの多い周辺視野の情報を信頼できるものだと誤って評価しやすく、それに基づいた高階思考を形成してしまうからだとされます。
著者はこの説を様々な観点から批判しています。例えば、周辺視野からの情報はノイズが多いのですから、高階のメカニズムの判断もランダムに近くなり、周辺視野の意識経験もランダムに近くなるはずです。しかし実際はそうなっていません。また、ここまでの議論が現象的意識の神経基盤が感覚皮質にあるという「かい離説」を支持したのに対し、高階思考説では高階思考にかかわる前頭葉が神経基盤となるため、「かい離説」と相容れません。
そこで着目されるのが、「予測コーディングフレームワーク」です。脳は感覚入力を最もよく説明できるような世界のモデルを作り、そこから新たな入力の予測を生み出す。この推論メカニズムは扱う時間幅に応じて階層をなし、長い時間尺度を担当する上の層は下の層に対して予測信号を送り、下の層は予測に対するエラーの情報を上の層に送り返す。こうした階層の相互作用により、全体として入力を最もよく説明できるような世界のモデルが出来上がる、とされます。
注目すべきはトップダウンの要素です。これまで、視覚処理は低次から高次へとボトムアップで一方的に進むとされてきました。しかし近年、トップダウン要素があるモデルのほうが様々な現象をよく説明できることがわかってきました。例えば、被験者に写真や単語をごく短い時間に次々と提示して何が見えたかを報告させると、色や形などの低次の性質よりも、「何の絵か」、「何の文字か」といった高次の性質の方を正しく判定できます。このような実験をふまえ、意識的視覚が最初に成立するのはむしろ高次の視覚皮質であり、そこで生まれる内容要約的な表象のなかでも特に注意が向けられた部分の詳細を埋めるべく、低次レベルの表象が作られるという「視覚の逆転階層理論」も提起されています(Hochstein & Ahissar 2002)。
ここで著者は「見かけの豊かさ」の問題に次のような回答を与えます。周辺視野の意識経験は、色や形の細部こそ欠くものの、視覚経験の全体的性質を内容としています。例えば対象が木であることが、詳しい色や輪郭の表象なしで表象されるのです。従って周辺視野は実際には貧しいのですが、中心視野と同様の要約的内容を持つために、私たちはその貧しさに気づかず、このために「視界全体が豊かに思われる」のです。そしてこの見解は、現象的意識の神経相関物を感覚皮質における各階層の相互作用に求める点で「かい離説」なのです。