- 作者: 信原幸弘,太田紘史
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2014/05/14
- メディア: 単行本
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I 認知篇
- 第2章 飯島和樹「思考について考えるとき言語の語ること」
- 第3章 太田紘史・小口峰樹「思考の認知科学と合理性」 ←いまここ
今回は、本シリーズもう一人の編者である太田紘史氏と、哲学者であると同時に神経科学者でもある小口峰樹氏の共著になる一章を紹介します。70年代、人間の推論の誤りやすさを示した多くの心理学的研究があらわれ、人間の思考は合理的なのか否かをめぐり大きな論争が巻き起こりました。本章はこの「合理性論争」の最近の状況を検討するものです(なお90年くらいまでの動きについては伊藤 (1992)があります)。思考の合理性の問題は、近年の「実験哲学」の盛り上がりともにふたたび活発な議論を呼んでおり、太田氏はこの文脈での合理性の問題についても飯島&太田 (2014) およびIijima & Ota (2014) (本文)で論じています。本章とセットで読まれるべきでしょう。
◇ ◇ ◇
70年以降、人間の論理的推論や確率的推論に体系的な誤りがあることを、多くの心理学研究が示しました。「確証バイアス」や「連言錯誤」、「基準率無視」などが有名です。これらの推論が「不合理だ」と言う時、そこではあるべき規範と記述的事実のギャップが主張されている訳ですが、ここで規範としてよく採用されているのは「合理的であることは論理学や確率論に基づいた推論規則に従って推論することだ」という「標準的構図」(Stein 1996)です。この「記述-規範ギャップ」に対し、どのような応答がなされてきたでしょうか。
合理性論争初期には、アプリオリな議論でこのギャップを閉じようとするコーエン(Cohen 1981) のような議論もありました。著者らはその議論に反論を提示しつつ、さらに最近の議論に目を向けます。
誤りやすいとされる推論課題ですが、演繹的推論課題を社会的な内容・文脈で提示したり、確率推論課題をパーセント表記ではなく頻度表記で提示すると正答率が上がります。ギーゲレンツァーは、こうした推論の文脈依存性は適応主義的な観点から理解することができ、数学や論理学に一致しないとはいえ、「生態学的に合理的」なのだと論じています。さらに彼は、生態学的に合理的な推論が、単に生存を有利にするだけでなく、市場などの不確実性の高い場面を含む多様な場面で、真理の獲得にも役立つことを示しています(Gigerenzer & Sturm 2012)。
生態学的合理性に興味深い批判を行ったのがスタノヴィッチです(Stanovich 2004)。近年、人間の様々な認知は、強制性・迅速性が特徴のシステム1と、意識的で逐次的な分析的処理を旨とするシステム2の二重のプロセスからなると言われています。システム1を構成する様々なサブシステムは、それぞれ特定の問題解決のための進化的適応として人間に備わっています。一方システム2は、適応的利益をこえ個人の価値にそった利益を求めることが出来ます。言わば、システム1は「遺伝子」、システム2は「乗り物」の目的に資するのです。
ここでスタノヴィッチは、ヒューリスティクスのようなシステム1の推論に合理性が認められるのは、それがシステム2の目的と合致する時に限ると論じます。両システムの目的が食い違う時(たとえば正義の追求などの場面において)には、遺伝子ではなく個人の目的が優先されるべきで、システム1は不合理なのです。
「個人の目的達成の合理性」をさらに明確化するために、著者らはスタノヴィッチが最近提示した「心の三部分構造モデル」(Stanovich 2010; 2012)を参照します。ここではシステム2は分割され、規則に従った推論を行う「アルゴリズム的精神」と、個人の目標追求のために「自動的精神」(≒システム1)の活動を抑制し「アルゴリズム的精神」を作動させる「反省的精神」に分かれます。
スタノヴィッチ自身は、「反省的精神」により「自動的精神」を抑制し「アルゴリズム的精神」がはたらくことが「合理的」だと考えているようです。しかし、個人的目標の達成についても自動的精神のほうがうまく行く場合もあります。むしろ、「いつ自動的精神にまかせいつアルゴリズム的精神を作動させるか」を適切に決めることこそが重要であり、「反省的精神」が体現する合理性こそこれなのだと言えるでしょう。
結局、人間の思考は合理的なのでしょうか。人間の心には、「標準的構図」の観点から合理的な部分(アルゴリズム的精神)もあれば、生態学的に合理的な部分(自動的精神)もあり、そして個人の目標達成の合理性を追求する部分(反省的精神)もあります。答えは単純なイエス・ノーで決まるものではなく、我々には様々な合理性概念が残されることになるのかも知れません。