えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

人々は行為者因果論者なのだろうか Turner & Nahmias (2006)

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1468-0017.2006.00295.x/abstract

  • Turner, J. and Nahmias, E. (2006) Are the Folk Agent-Causationist? Mind and Language, 21: 597-609.

  Nichols (2004) のアプローチすごくいいよね。でも自分でもやったから分かるけど(Nahmias, et al., 2005)素朴直観の記述は難しい作業だ。ニコルスの「素朴直観が行為者因果的」というテーゼは正しいのかな?

行為者因果

  ニコルスは素朴直観の持つ行為者因果的特徴を2つ挙げた。

  • 1. 行為の産出の因果的要因は行為者である(因果原理)
  • 2. 任意の行為に関して、行為者は別の行為も出来た(他行為可能性)

そして1について、子供は「相関原理」(「行為があれば行為者がいる」)から「因果原理」を導出できると論じた。しかしその議論では、「行為者因果説」が持つ「実体性」という特徴をカバーできない。なぜなら、同じ議論によって「因果原理」ではなく次の「因果原理改」を推論する事も子供には可能だからだ。

  • 4. 行為産出の因果的要因は行為者の心的状態である

選択の特殊性か、複雑性か

  続いて、2を主張するための実験のうち、子供の他行為可能性理解が条件的である事を否定する実験2を取り上げたい。ここで見られる道徳的行為と自然の出来事の間での回答の非対称性は、単にプロセスの複雑さと単純さを反映しているのではないか? もう少し複雑な自然現象(雷)を使って確かみてみよう。

【シナリオL】
あるとき、雷がある樹にあたったと想像してみてください。そして、宇宙というのは全く同じ初期状態(と同じ自然法則)から何度も何度も創り直されているのだと想像してみてください。もしそうだとすると、宇宙が何度創り直されようとも、あのときに雷が木にあたる事を含め、全ては毎回全く同じように起こるとあなたは思いますか?

【シナリオI】
ある女性がバニラアイスかチョコアイスのどちらを頼むか決めようとしており、ある時点でバニラに決めたと想像してください……〔以下同じ〕

【シナリオS】
ある女性がネックレスを盗むかどうか決めようとしており、ある時点で盗むことに決めたと想像してください……〔以下同じ〕

他の可能性はあったか はい いいえ わからない
雷(L) 42 49 8
アイス(I) 36 52 11
ネックレス盗む(S) 36 55 8

・大学生
・99人中30人は一貫して「はい」(決定論者)、40人は一貫して「いいえ」(非決定論者)、残る29人が「難しい事例」
・非決定論者の中でランダム性に訴えたのが20人、残る20人と「難しい事例」の中で人間の活動の特殊性に訴えたのは20人(自由意志に訴えたのは13人)。人間の選択は雷のように毎回同じではないと答えたのは全体の中で9人
・多くの人々は「全ての物的プロセスは決定的で、人間の選択は非決定的」と考えている訳ではない。むしろ、人々は互いに対立する見解を持っているようだ。

他行為可能性?

  最後に、そもそもニコルスは次のような推論で多行為可能性の条件的分析を否定する。

初期条件を固定してやった上で、マリーが別様に出来たと人が言うのであれば、別様に出来たという能力が事なる初期条件を必要とすると人は考えていないに違いない。

  しかしこの推論はおかしい。なぜならこの実験では、初期条件がそのようで「なくてはならない」と約定されている訳ではないからだ。
  人々は条件的に他行為可能性を理解しているが、しかし条件文の前件が許す初期条件の変異の種類が、複雑なプロセスにしか影響を与えないようなものであるために、もとの実験では道徳的行為と自然の出来事の間で回答に開きがみられたのかもしれない。

まとめ

  ニコルスの議論には問題がありそう。でも素朴直観を調べて哲学理論の直観性をテストする方法は良いと思う。