Moral Psychology: The Cognitive Science of Morality: Intuition and Diversity (A Bradford Book)
- 作者: Walter Sinnott-Armstrong
- 出版社/メーカー: A Bradford Book
- 発売日: 2007/10/26
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- Sinnott-Armstrong, W. ed. (2007) *Moral Psychology: The Cognitive Science of Morality: Intuition and Diversity*
Ch. 5 Nichols, S. "Sentimentalism Naturalized"
Ch. 5.1 Blair, J. "Normative Theory or Theory of Mind? A Response to Nichols" ←いまここ
・ニコルス論文のポイントは4つある。
(1)ネオ感情主義はありそうにない
(2)コア道徳判断は感情反応に媒介されているが、それだけが全てではない
(3)コア道徳判断は一連の規則、「規範理論」に依存する
(4)常道的反応はどの規範が生き残っていくかを決定する役割をもつ。
・(1)と(4)はなるほどです((4)に関してはミームって言えばいいのに……)。
(2)について
・この見解は、ブレア自身のVIMに対する深刻な批判として提出された(Nichols 2002a)。 VIMは、苦痛あるいはそれに関連した行為の表象をキューとして活動し、嫌悪を覚えさせるメカニズムとして想定される。しかしニコルスの指摘通り、これでは災害による苦痛などでもVIMは活動することになり、「道徳的な悪さ wrong」に関する説明ができない。
・ただし、サイコパスは他人を殴ることが悪い(少なくとも許されない)と知っている。このことは、道徳判断に感情的反応は必ずしも必要ではないと示唆しているのではないか? もちろん、道徳/慣習区別のように感情的反応を必要とする種の判断もある。つまり、いかなる道徳的推論の場合に、いかなる認知的なシステムが用いられどう機能しているのか、より特定して考えていく必要があるだろう。
(3)について
・規範理論なんて本当に必要なのだろうか? 行為が単に「悪い bad」のではなく「道徳的に悪い wrong」場合には、そこに加害者の意図が関与している。とすれば、必要なのは感情反応に関係するシステムと心の理論とのあいだの相互作用だけではないだろうか。
反例1:飲酒運転をしていたら子供が飛び出してきて轢いちゃった場合、道徳的に悪いが 轢く意図はなかっただろう
反例2:しつけのために子供に罰を与えるのは道徳的に悪くないかもしれない
・ 心の理論による相手の行為を理解には、その行為の帰結の予測が含まれる。その帰結には、嫌悪される強化もあれば好まれる強化もあるだろう。
・ 反例1では、被害者に害を与えると予想できる行為(飲酒)を加害者は意図したことが理解されるので、行為は悪いと判断される。反例2では、子供の苦痛が子供の未来の幸福を上回るかどうかで、判断が悪いと出るか良いと出るか決まる。