- 作者: 西村三郎
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1997/11
- メディア: 単行本
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- 西村三郎 (1997) 『リンネとその使徒たち―探検博物学の夜明け』 (朝日新聞社)
『自然の体系』を著したリンネの最終目標は、地球上すべての自然物をその体系の中に位置づけることでした。各地の博物学探検を行いこの大事業を助けたのが、<使徒>と呼ばれたリンネの弟子たちです。本書は多くの使徒たちのうち3人の活躍を描いたものですが、その1人目であるペール・カルムにかんする章を読みました。
博物学探検には天然資源の調査という実用的な側面もあります。母国の産業の改善ためにスウェーデンと同緯度の国へ博物学者を派遣しようという計画が、啓蒙的な政治家の手によってストックホルム王立科学アカデミーに持ち込まれ、北アメリカの調査を行うようカルムに白羽の矢が立ちました。カルムは若いころからリンネの助力を得てきた才能あふれる研究者で、オーボ大学で経済学(博物学の応用分野)教授になっていました。
1747年にスウェーデンを旅立ったカルムはロンドンを経由し、イルカなどを観察しつつ大西洋を渡って48年にはフィラデルフィアに到着、ベンジャミン・フランクリンや当地の博物学者のジョン・バートラムらと知己を得ます。ここでは有用植物の採集や観察を行うとともに、ウシガエル・アライグマ・バイソン・スカンク・リョウコバトなど新大陸の風変わりな動物についてもノートを残しており、本書でもその記述が紹介されています。
49年夏、いよいよ寒地性有用植物を発見すべくカナダへ向かいます。海路でニューヨークに進んでハドソン川を上流に、シャンプラン湖からモントリオール、ケベックへという道筋です。この原生林の旅は倒木に始まりダニや毒蛇、そしてインディアン襲撃の恐怖に苛まれた過酷なものでした。ケベックでも有用植物や動物の観察や採取をおこない、カナダ最大の交易品であったビーバーに関しても記述を残しています。10月末に一旦フィラデルフィアへ戻りますが、50年の夏には再びカナダへ向かいます。この二度目の旅行で特筆すべき事として、ナイアガラの滝の克明な観察がフランクリンあての手紙に残されている点が挙げられます。本書はこの滝の記述を6pに亘って引用・紹介していますが、詳細な報告の中にカルムの興奮が伝わってくるものです。この手紙は『ペンシルヴァニア新報』に掲載されるとともに翌年にはロンドンで単行本化され、噂でしかなかった大瀑布の真の姿がヨーロッパに伝えられることになります。
信仰心篤く人柄も良かったカルムは多くの新大陸の友人を得、動植物だけではなく文化や風俗に関する多くの情報を集める事が出来ました。一方で博物学者としての学識を生かし、リンネの体系を新大陸の人々に伝えもしました。
51年に新しい妻とともにストックホルムに帰ったカルムはウプサラに赴き、新たな植物の標本をリンネに贈ります。これはリンネ53年の『植物の種』に大いに活用されることになりました。オーボ大学に戻ったカルムは、スウェーデンに絹織物業を根付かせるために重要なアメリカのクワをはじめ、アメリガトウグルミ、トウモロコシ、イネエンピツビャクシン・アメリカヤマモモなどの栽培実験を始めますが、これはどうもうまくいかなかったようです。
一方でアメリカ滞在中の日誌をもとに編纂した『北アメリカへの旅』(1753-61)は、博物学を超えて歴史学・民族学・社会学・経済学その他の領域にまたがるの豊富な内容をもち、18世紀中葉のニューイングランドとカナダの事情を詳細に記した資料として今日でも高い評価を得ています(尤も新大陸側からは精確ではないとの批判もありましたが)。とくに、直ぐに出たドイツ語およびフランス語訳によってヨーロッパで高い評価を得ました(なお後に英訳を行ったのは子フォルスター(名義は父)です)。
57年オーボ市のルーテル派教会から牧師に任命されたカルムは、その後学者としても聖職者としても名声を獲得し、学者および市民からの敬愛に包まれて幸せに暮らしたようです。恩師リンネの死後一年、79年に63歳で没。愛弟子から新大陸の植物標本を受け取ったリンネは、その功績を永遠に記念するため、北アメリカ原産の美しいシャクナゲの仲間に「Kalmia」の属名を与えています(ハナガサシャクナゲ属)。