えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

人間は合理的かどうかを決める前にまだまだ知るべき事がある Stein (1996)

Without Good Reason: The Rationality Debate in Philosophy and Cognitive Science (CLARENDON LIBRARY OF LOGIC AND PHILOSOPHY)

Without Good Reason: The Rationality Debate in Philosophy and Cognitive Science (CLARENDON LIBRARY OF LOGIC AND PHILOSOPHY)

  • Stein, E (1996) *Without Good Reason: The Rationality Debate in Philosophy and Cognitive Science* (Oxford University Press)

Chap 2 Competence (noscience!)
Chap 4 Charity
Chap 5 Reflective Equilibrium (noscience!)
Chap 7 Standard Picture
Chap 8 Conclusion ←いまここ

【やること】ここまで扱った中心的問いと、それへの正しそうな答えを振り返る

1.「人間は合理的なのか」問題の本性

・この問いは、「人間はその推論能力の内に規範的原理を持っているのか?」という問いだと理解された(1・2)。しかしこの問いが概念的か経験的かまだ不明であり、言語と倫理に関する2つのアナロジーが出された(2)。

問い 【言語】 【倫理】 【推論】
その領域における規範とは何か 文法性の規範とは何か(経験的問題) 道徳の規範とは何か(概念的かつ少し経験的問題) 推論の規範原理とは何か<概念的かつ経験的>
その領域における我々の能力はどんなものか 我々の言語能力はどんなものか(経験的問題) 我々の道徳能力はどんなものか(経験的問題) 我々の推論能力はどんなものか<経験的かつ少し概念的>
我々の能力は規範に合致しているか 人間は文法的か(概念的問題) 人間は道徳的か(経験的問題) 人間は合理的か<経験的問題>
  • 【我々の推論能力はどんなものか】

・これは一見完全に経験的問いだが、人間の推論能力の特定はそう簡単な話ではない(2〜3)。推論能力に関する認知科学は、様々な関連領域の研究を含み(5.4)、かつその方法に関して注意深い反省が必要になる(7.1〜3)(とりわけ、特定の推論事例を能力の発揮とみなすか運用エラーと見なすかに関しては柔軟であり続けなければならない)。この際に、概念的な考察にも少しの出番がある。

  • 【推論の規範原理とは何か】

・この問いには経験的なことは関係ないように見える。しかし、自然化された描像をとった今、それは間違いである(7.5)。広い反照的均衡は直観と科学的考慮と理論的考慮を調停させるものであり、この問いは経験的かつ概念的なものである。

  • 【人間は合理的か】

・上記の二つの問いへの回答に際しては、同じ考察が異なる重みづけを与えられるかもしれない(5.5)。従って、「人間が合理的であるか」という問い、すなわち、合理性テーゼの真理は、自然化された合理性からも、能力を決定する際に用いられる概念的考察からも、単純には出てこない。この点で状況は言語ではなく倫理に似ている。合理性テーゼも不合理性テーゼも、経験的主張である。

2 人間は合理的なのか?

・で、人間は合理的なのか? → 明白な今のところ答えはない。
・連言原理は実行可能なのによく失敗されるから、我々は不合理であるように見える。しかし推論実験が人間は不合理だと示しているかと言うと、話はそう簡単ではない。
・まず、全ての推論の失敗を実験解釈の誤りによって説明する一般的な戦略はうまくいかないだろう。しかし、個別例に関しては正しいのかもしれない。(連言実験に関して(ギゲレンツァー)3.2/選択課題に関して(コスミデス)3.1)
・次に、全ての推論の失敗をパフォーマンスエラーによって説明する一般的な戦略はうまくいかないだろう。しかし逆に、(いくつか/ほとんどの/全ての)規範逸脱がパフォーマンスエラーによる「のではない」という議論も無い。不合理性テーゼの擁護者は、規範逸脱が「実際に」推論能力に因る例が「いくつかある」と示せばよいが、ある規範逸脱の事例が能力の反映かパフォーマンスエラーかを決定するのは簡単な仕事ではない。
・推論実験は人間の推論行動の特徴に焦点を当てており、推論能力の理論を展開するのに重要である。しかし推論実験は、(a)パフォーマンスエラーの可能性(b)進化的考察(c)神経科学および計算論上の制約(d)一般的な哲学的考察(ある程度)、といった点で注意深く扱われなければならない。こうした複雑な要因を考えると、これまでの不合理性テーゼの擁護者は、早急に結論を出し過ぎているかもしれない。
・不合理性テーゼ擁護者からの反論:無限個のチューリングマシンを用意しておいて、上のような制約を満たさないものをすべて除外する。すると、それぞれが人間の推論能力の可能なあり方を表すマシンがかなりの数残るだろう。この数の多さを考えると、我々の実際の推論能力が推論の規範原理をぴったり全て含んでいる確率は極めて低い。
・ありうる再反論:制約の強さを過小評価している。

・人間は合理的だという議論は不健全であり、しかし不合理だと言う議論も時期尚早である。合理性は自然化されなければならず、結論を出すにはもっともっと多くの事を知る必要がある。これまで人間の合理性の問題に取り組んだ人々は、「十分な理由なく」強い姿勢をとっていたのだ。

人間を合理的な動物だなんて誰が定義した? 史上最も先走った定義だ。
         ――ロード・ヘンリー(オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』)