http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1468-0017.2010.01401.x/abstract
- Kahane, G. and Shackel, N. (2010) Methodological Issues in the Neuroscience of Moral Judgement *Mind & Language 25, 5 pp. 561–582
ジョシュア・グリーンによるトロッコ問題用いた道徳判断の神経科学研究へ、批判的な方法論上の考察を行った論考です。
グリーンらの実験は、路線変更事例(およびそれに類似する事例)と人突き落とし事例(およびそれに類似する事例)での道徳判断の違いに相関する神経過程を特定し、究極的にはこの相違を神経の観点から因果的に説明する事を目的とします。そしてそこから、人が功利主義やカント主義といった道徳理論を信じたり、それに関して論争が起こるのは何故なのかについて、一般的な説明を提供しようと望むものです。
しかしカヘインらは、グリーンの現行の方法では3点で被説明項をうまく固定できていない可能性があると論じます。
- (1)人によって行われる道徳判断のタイプ(『正しく質問する』)
問いの提示の仕方がいくつかの点で曖昧になっています
- (2)人がその判断を行う理由(『正しいジレンマを使う』)
理由を固定するためには提示するジレンマの内容(功利主義的/非功利主義的)を揃える必要があります。しかし、グリーンによって用いられる一群のジレンマ課題の分類は、狙った内容の区別とうまく対応していないようです。また、回答の容易さや直観性によってジレンマを心理的に分類する事も行われますが、これは必ずしもジレンマの内容を固定したものにはなっていません。(哲学者と協力してジレンマを作るのがオススメだよ!)
- (3)その判断によっておそらく表現されているだろう一般的な道徳原理あるいは全体的な道徳観(『ジレンマを正しい範囲で使う』)
次のような誤った推論が行われているようです。
1:哲学の論争において功利主義者は、効用を最大化すべく橋から他人を落とすべきだという主張を擁護するのが典型的であり、非功利主義者は逆の主張をするのが典型的である。
2:他人を押すのが適切だと信じ、似たジレンマでも一般に効用を最大化する傾向がある普通の人がいる。
3:従って、こうした普通の人は功利主義的判断を行う傾向にあり、だから、彼らの選択のサブパーソナルな基盤を研究すると、功利主義への信念の源泉と本性について洞察が得られる。
ところが、人の判断が功利主義に「合致している」というだけでは、その人に「善悪を決定するのはそれが福利を最大化するか否かだけ」という功利主義信念を帰属させるのにはまったく不十分です。もっと多くの事が必要です。
とりわけ、実験でみられた特定の義務に従わない判断が、しかし別の義務に従っていると言うことはかなりありえます。また功利主義と義務理論が許可/禁止する領域にはかなりオーバーラップがあるため、「だけ」の部分が功利主義にとっては重要です。功利主義に限らず、特定の道徳観を人に帰属するには、さらにかなり多くのジレンマでのテストが必要でしょう。この点は、多くの論者がこうした研究を義務論対功利主義という歴史的論争を説明するものだと主張しているために重要です。