えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

意志の力はどのくらい行動を決定できるか Howard (2008)

Are We Free?: Psychology and Free Will

Are We Free?: Psychology and Free Will

・自由論争で争われている「決定論VS自由意志」という問題は、アホな問いのたて方をしているのではないか? 例えば、人が「女性的」か「男性的」かという問いは、一方の特徴を持つことが他方の特徴を持つことを否定するようなものではない。同じような仕方で自由意志をめぐる概念を整理してみると、この論争には二つの局面がある。

  • 【第一の局面〔決定のされ方〕】

「自己決定」の力を尊重する自由意志 VS 機械論的/非行為者的決定(遺伝的、生物学的、環境的……原因による決定)

  • 【第二の局面〔世界のあり方〕】

完全なる決定論 VS 完全なる非因果性

・第二の局面に関しては、事物のあり方/振る舞いの原因‐結果関係を調べ記録するのが科学の役割であり、もし科学者ならば「完全な決定論」の方に立った方が良い。しかしそれでもなお、第一の局面に関しては「両方を信じている」と言うことができる。

非行為者的因果の世界の中で行為者が果たす役割

・心理学者であれば、遺伝や生物学的要因などが全く因果的に効果を持たないと言う人はいない。その上で、人間の行為において自己決定がどのくらい重要かは、経験的に決められるべきである。機械論的な影響の流れの中から自己決定された行為の影響をちゃんと取り出すような方法は、次のような形でようやく最近考案された。
・実験者は「しよう条件Try to」と「しない条件try not to」に被験者を割り振る。例えば<お菓子食べるのをコントロールする力>について考えると、一方には「好きなだけお菓子を食べてください」、他方には「お菓子を食べないようにしてください」と教示する。消費されたお菓子の量の差が、被験者の意志的なコントロール能力を反映している。

自己決定の証拠

・著者らは、ピーナッツ食べるという行動が個別の外的な因果的影響と意志的コントロールの影響をどのくらいの割合で受けているのかを考察する一連の研究を行った(Howard, 1988, 1989; Howard & Conway, 1986; Howard, Curtin, & Johnson,1988; Howard, DiGangi, & Johnson, 1988; Howard, Youngs, & Siatczynski, 1988;Lazarick, Fishbein, Loiello, & Howard, 1988; Steibe & Howard, 1986)
・これらの実験から、意志の効果量の平均はおよそ0.56、〔機械論的な〕作用因(お菓子を視野の外に置くか否か/〔教示の〕書かれたメモを受け取っているか否か)の効果量の平均は0.11であり、意志は約5倍の影響力を持っていることが分かった。
(解釈に注意せよ。外的要因に効果量に対する意志の効果量の割合は、その他の外的要因を考慮に入れれば確実に低くなるはずである。従って、「意志か非意志か」という問題に関してこの研究は最初の一歩に過ぎない)

「意志による」解釈への批判

・以上の実験を「意志」によって解釈することに対する批判者は、この実験で示されているのは「ピーナッツ食べる行動が実験者のコントロール下にあることである。なぜならば、被験者は実験者に服従しているからだ」と見る。この問題を別の言い方で表現するものとして、2つの批判があげられた。
・【批判1】この実験が示唆しているのは、被験者が「良い被験者」であろうとしているということか、もしくは〔教示と〕両立しない振る舞いをすることで社会的に制裁を受けることを避けようとしているということなのではないか?
・【批判2】被験者がこのように振る舞うのは、実験というのが「公的なセッティング」だからではないか? 私的な状況では被験者は同じようには振る舞わないだろう(Hayes’s (1987))

服従仮説についての経験的探究

・そこで、「実験者の教示によるコントロール」解釈よりも「意志による」解釈の方が尤もらしいことを示すために以下のような実験が行われた。
・Howard & Conway 1986 の実験2は、被験者はコイントスによって「食べる」教示をもしくは「食べない」教示を受けており、実験者は被験者がどちらの条件に置かれているか知らないという状況で行われた。ここでも強い意志的コントロールを示したことから、「実験者が教示を与えて」いない時にも意志的コントロールは示されることが分かる。
・Howard, Youngs, and Siatzcynski 1988の実験2は、それぞれの実験日に「教示に従う」か「逆をやる」かのどちらかを被験者に選んで記録させ(メタ意志要因)た上で、ピーナッツを食べる/食べないように教示を受けた。結果、「教示に従う」メタ意志を形成した場合には、「食べない」条件より「食べる」条件の方が多くのピーナツが消費されたが、「逆をやる」メタ意志を形成した場合には、「食べる」条件よりも「食べない」条件の方が多くのピーナツが消費された。ここから〔実験者の教示よりもメタ意志の影響が強いことが分かるので〕、<実験者の教示に従うよう強いられている>という外的要因によって実験を解釈する可能性の尤もらしさは減じられる。

治療的介入における要因としての意志

・多くの心理療法家が、クライアントの問題は環境や環境に対する自分の反応をコントロールできないことに由来していると考えている。
・ピーナッツ研究のパラダイムをそのまま使う訳にはいかないが(統合失調症者に「幻聴を聴かないようにしましょう」などと言っても無駄だろう)、「問題となる行動を維持することに繋がるような条件」に対して意志的なコントロールを発揮するように促すことで、いくつかの治療の領域で興味深い知見が得られている。たとえば、

  • 異性との社会的交流の頻度(Howard & Conway (1986) 実験3)
  • 間食と運動(Lazarick et al. (1988) 実験1)
  • 職業に関する情報を調査する時間(Lazarick et al. (1988) 実験2)
  • 過食症による食べすぎ行動(Lazarick et al. (1988) 実験3; Steibe & Howard, (1986))
  • 付き合い酒(Howard, Curtin, and Johnson (1988) 実験1; Howard (1986, 1988))

⇒われわれは、非行為者的原因が方法的に操作されていてさえ、かなりの程度自分の行為をコントロールできる。その程度は、あるときは極めて小さく、ある時は大きい。つまり人間の行動は部分的には自己決定され、部分的には非行為者的要因によって決定されているのであり、片方に振り切っている行為は極めてわずかだと思われる。

未来の心理学における行為者性の位置

・20世紀の心理学は、「自分に影響を与える自分の行う行為」に焦点を当てて研究を行ってきた。しかし、21世紀にますます重要になってくると思われる問題として例えば環境問題があるが、私が何人の子供を持つかが人類全体の生態系に及ぼす影響は、他の人がどのくらい子供を持つかにかなり依存している。つまりここでは、私のもたらす結果は私の行為〔のみ〕からもたらされるわけではなく、集団レベルの行為の関数である。
・これまでは、自分の意志によって関係する条件を改善することができるという実験を見てきたが、今回のような条件ではそれはできない。このことは、我々が〔例えば〕環境にとって重要な領域において我々の行為を〔望ましい方向に〕変化させる能力をわずかしか持たないということを意味しているだろうか?
・この種の条件を改善するには、「政治的意志」を導入しなければならないことは明らかである。筆者はここでも人類は自らの行為を自己決定できると信じているが、それは極めて困難であるように思われる。