- 作者: 成田和信
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2004/05/01
- メディア: 単行本
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- 成田和信 (2004) 『責任と自由』 (勁草書房)
【目次】
I 責任
第一章 ストローソンの責任概念
第二章 責任とは何か ←いまここ
II 自由をめぐって
第三章 「別の行為も行うことができた」ということ
第四章 意志の実現
第五章 「別の意図も持つことができた」ということ
第六章 本心の実現
第七章 通時的コントロール
III 合理的<実践>能力と自由
第八章 合理的<実践>能力
1 反応的心情の「適切さ」
ストローソンの責任概念は次のようにまとめられた
- (R1)ある人Sは、行為Aを行ったことに関して責任がある = Sは対人的関係のネットワークの中に身をおいており、かつ、SがAを行ったことを理由にSに対して実際に何らかの反応的心情が向けられている。
しかし、実際に反応的心情が向けられているか否かによって責任の有無が決まるわけではない。その反応的心情を向けることが「適切」でなくてはならない。
- (R2)ある人Sは、行為Aを行ったことに関して責任がある = Sは対人的関係のネットワークの中に身をおいており、かつ、SがAを行ったことを理由にSに対して何らかの反応的心情が向けることは適切である。
ここで、この「適切さ」の意味をさらに限定する必要がある。例えば、活躍した選手を賞賛するか否か考慮する際、その選手がすぐのぼせる性格であれば、賞賛を差し控える方が適切であるかもしれない。この適切さは「帰結によって決まる適切さ」である。しかしこれは(R2)の「適切さ」ではない。(R2)でいう「適切さ」とは、「値する」という意味での適切さである。従って、
- (R3)ある人Sは、行為Aを行ったことに関して責任がある = Sは対人的関係のネットワークの中に身をおいており、かつ、SがAを行ったことを理由にSに対して何らかの反応的心情を向けることは「値する」という意味で適切である。
2 責任とは何か
行為の中には価値的に無記なものもある(例:電灯をつける)。この場合、いかなる反応的心情を向けることも適切ではないので、この行為は責任なしということになってしまう。そこで、価値判断が妥当する場合とそうでない場合を分け、後者の場合には、何らかの価値判断が妥当すると想定し、そこで反応的心情をSに向けるのが適切かどうかを考えればよい。
- (R4)ある人Sは、行為Aを行ったことに関して責任がある = Sは対人的関係のネットワークの中に身をおいており、かつ、(1)SがAを行ったことを理由にSに対して何らかの反応的心情を向けることは「値する」という意味で適切であるか、あるいは、(2)Aに何らかの価値判断が妥当するという想定のもとでは、Aを行ったことを理由に何らかの反応的心情をSに向けることは「値する」と言う意味で適切である。
(R4)が責任とは何かに対する成田の回答である。