えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

「実存的感情」と妄想 McLaughlin (2009)

Delusion and Self-Deception: Affective and Motivational Influences on Belief Formation (Macquarie Monographs in Cognitive Science)

Delusion and Self-Deception: Affective and Motivational Influences on Belief Formation (Macquarie Monographs in Cognitive Science)

  • Bayne,T & Fernández, J ed. (2009) Delusion and Self-Deception: Affective and Motivational Influences on Belief Formation

【目次】
Mele, A (2009) "Self-Deception and Delusions"
McLaughlin B P (2009) "Monothematic Delusion and Existential Feeling" ←いまここ

カプグラのパズル

・カプグラ妄想に関するパズルとは――
  幻覚や意味記憶の損傷はなく
  合理性もほぼ標準的で
  妄想に関係ないことに関する思考は普通に整合的
な患者が、それにもかかわらず
  <自分の愛している人が替え玉と入れ替わっている>という奇妙な妄想を
  その妄想は誤りだという圧倒的証拠のもとでも獲得し、さらに維持しようとしてしまうこと

部分的解決

・神経心理学によって、カプグラ患者には、脳の右半球の顔認知モジュールと自動反応系をつなぐ部分の損傷があることがわかった。
→親しい人の顔だという認知はできるが、自動的に親しさが感じられない(「正しく見て、間違って感じる」経験)→ 入れ替わっているという信念が形成され、こうした経験が繰り返されることで妄想は維持されていく
・しかしまだ謎は残っている

異常経験と妄想に関するマハーの見解

マハーは妄想に関して二つの主張をしている
・一要因説:妄想の中に働いている異常な要因は異常な経験のみであり、妄想患者の思考推論能力は普通の人と変わらない。
・合理性テーゼ:妄想は異常経験に対する認識論的に合理的な応答である
しかし、妄想は認識論的に合理的なものではない。いくらその妄想が異常経験を有意味にするといっても、背景となるほかの諸信念と全く整合しないからである。
→残った謎:<他の信念との整合性の欠如、圧倒的反対証拠、医者からの合理的説得にもかかわらず>どうして妄想は持たれ保たれるのか?
・思考推論能力は標準だという一要因説をとるなら、普通の信念評価プロセスのなかに現れ得る要因によりこの謎を解かなければならない

熱い要因: 欲求、情動、気分

・他の信念と整合しない信念を持つと言えば自己欺瞞主体である。カプグラ患者は欲していることを偽だと信じる「ねじれた自己欺瞞」主体なのではないか?
→しかしカプグラ患者が妄想を欲求しているとは考え難いだろう。
・自己欺瞞においては、欲求以外でも、情動や気分が信念保持の動機になり得る。こちらの要因はどうか。
→情動や気分の信念固定への影響は後述。する但し、幻肢体験という異常経験 + 不安/怒り/鬱などの気分要因をもつ事の多い四肢切断患者の大部分は、妄想を持たない。従ってこれらの要因に訴えても恐らく謎は解けない。
・幻肢体験をもつ四肢切断患者とカプグラ患者の違いは、<異常経験の種類の違い>か<その他の面での違い>のどちらかだろう。

二つ目の異常要因?

・Langdon and Colthart:<尤もらしさや他の信念との整合性に基づいて信念の候補を棄却する能力>の欠如が第二の妄想の要因
→しかしこのように一般的な能力の欠如を仮定すると、<妄想のテーマの単一性>がうまく説明できない。
・そこでDavies et al. (2001) は、<「ものごとをみえたままうけいれる」(受容ルート)ことを抑制する能力>が第二の要因だとした。
→しかしこれだと妄想患者は視覚的な錯覚をみていることになる。Daviesら本人も言っているようにこれはないだろう。
・そうすると、二つ目の要因は異常経験の種類ということになる

カプグラ妄想の獲得モデル

・「間違って感じる」が重要。感情feelingは情動や欲求とも違う熱い要因。
・幻肢体験では感覚的錯覚が経験されている。一方カプグラ妄想においては、親しみの無さの感覚とその対象がミスマッチであるという点で「感情的錯覚」が経験されている。

【モデル】
・愛する人を見たとき、すぐさま親しみの無さが感じられる。
→この経験の情動的側面から受容ルートを介して「この人は他人だ」という信念(くさび信念)が形成される。
→しかし振る舞いは完全に親しい人と同じなので、「なぜそっくりな他人が自分の部屋にいるのか」という恐ろしい問いが出てくる
→この問いがパラノイア的な思考を生む。その一部としてくさび信念に対する注意が深められて他の信念から切り離される。
→「この人は替え玉だ」という信念(主題的信念)が形成される。
→この信念によって、恐怖や疑いは正当なものだと感じられる。
→主題的信念が更に強化される
→「何故入れ替わってしまったのか」という問いが更なるパラノイア的注意を生み、主題的信念も他の信念から切り離される。
⇒内的整合性から切り離された妄想の網ができる

・この状況で最も合理的なのは、<愛する人が本物かどうかの判断は証拠が増えるまで控える>ことである。しかし替え玉信念獲得時点では、この信念は他の信念と不整合ではない。ここでは患者の差し控え能力自体が異常なのではなく、パラノイア的注意の影響を蒙ってその能力がうまく行使できなかったのである。

妄想の存続

ではこの妄想の網は、圧倒的に不利な証拠の前でどのように維持されるのか? いくつか要因がある。
・信念体系は保守的である
・親しみ無さの感情は継続的に影響を与え続ける
・情動を伴ったエピソード記憶と、異常体験の記憶の対比が信念を保持させている。〔両者があまりにも違うので妄想に尤もらしさ与えている〕
・替え玉信念は懐疑論的仮説に似ている。基本的な証拠はそれが偽であることを論理的に含意できない。
まだまだある。マハーの一要因説に反して、認知的欠陥もあるかも知れない。しかし妄想形成と維持に第一に重要なのはやはり感情であるといえる。

証拠としての感情

・CloreとGasper [2000] は感情を以下のように分類した。
  ・認知的感情:親しみ、親しみの無さ、驚き、理解など 
  ・情動的感情:怒り、恐れ、嫉妬など
  ・気分的感情:幸せ、悲しみ、鬱
 そして、<認知的感情は、環境からくる外的証拠と競合する力を持つ、内的証拠として経験される>という「証拠としての感情説」をとなえた。
・カプグラ妄想患者は、<親しみ無さの感情>という証拠を基にくさび信念を形成している。親しみ(なさ)の感覚は普通信頼可能であり、この点での錯覚は非常にまれである。

実存的感情

・Cloreらの認知的感情は、ラトクリフが「実存的感情」と呼んだ広範なものの一部である。実存的感情とは、「世界の中に自らを発見する仕方」のこと。その中でもここでは、身体感覚、気分、情動以外の物を指して取り分け「実存的感情」と云う。

【例】
・親しみ(なさ) ・有(/無)意味さ ・理解できている(/いない)感じ ・疎遠さ ・帰属意識 ・擁護されている感じ ・意気消沈 ・力がみなぎっている(/いない)感じ ・(被)制御感 ・(非)現実感 ・むなしさ ・圧迫感 ・閉塞感 ・脅威の下にある感じ ・安心感 ・まなざされている感じ ・主観的な私秘感

・実存的感情は志向対象を持つので、錯覚があり得る。
・すべての単一主題的妄想は、実存的感情に関連した異常体験を含んでいるのではないか?(上述:全ての妄想はくさび信念をもち、くさび信念は実存的感情からの受容ルートを介して獲得される)

フレゴリ、重複記憶錯誤、コタール

〔省略〕

認知の欠陥なのだろうか?

・顔認知モジュールと自動反応系をつなぐ部分の損傷があるが、カプグラ妄想は持たない患者がいる。彼らがカプグラ患者と同じ異常体験をしているのだとすると、カプグラ患者の方には更なる認知的損傷があることになるだろう。
(但しこの患者は一般的に感情的反応を欠いているので実存的感情もなく、カプグラ患者と同じ異常経験はしていないだろう。)
・すなわち問題は一般的には、単一主題妄想患者が、「背景となる信念に照らして、実存的感情を乗り越え誤信念をさける能力」を失っているかどうかという点にかかっている。
・しかし、こんな能力は存在しないのではないか? 我々の認知的機構には錯視を乗り越える能力が自然と備わっているが、このような能力の対応物が実存的感情に対してもあるだろうか? 我々は錯覚は容易に扱えるが、実存的感情はそうではない。こうした能力はないように思われる。

結論

〔省略〕