えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

西洋形而上学まとめ コースガード (1996) [2005]

義務とアイデンティティの倫理学―規範性の源泉

義務とアイデンティティの倫理学―規範性の源泉

  • 作者: クリスティーンコースガード,Christine M. Korsgaard,寺田俊郎,後藤正英,三谷尚澄,竹山重光
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/03/23
  • メディア: 単行本
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  • コースガード・C (1996) [2005] 『義務とアイデンティティの倫理学』(寺田ら訳 岩波書店)

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第一講

序論 卓越と義務 ――西洋形而上学のごく簡潔な歴史(紀元前三八七年から紀元一八八七年まで)

 価値というのは不思議なものです。価値は経験の世界を超え、それを疑問視し、評価したりするように思われます。しかしわれわれは一体どうやってこのような価値の観念を手に入れたのか? ソクラテスによってこの問いに目覚めたプラトンは、範型のはたらきをする「イデア」が存在し、われわれは前世でそれを知っていたと考えました。プラトン、そしてアリストテレスにとって、価値は経験的事実より実在的であり、むしろ実在は価値そのものでした。
 こうした世界の見方は、倫理学では「卓越」の観念につながります。形相はそのものの完全なあり方ですが、同時にそのものをそのものたらしめるものでもある。だから、完全なあり方を達成しようという努力は、まさにあなた自身になろうとする努力なのです。
 しかし近代への移行の中で、以上のような価値と経験的事実の捕らえ方は逆転し革命が起きます。その端緒はすでに古代にあります。現実問題、一体なぜわれわれは完全になれないのでしょうか。足を引っ張っているのはわれわれ自身だとプラトンは考えました。だからプラトンは『パイドロス』で堕落の教説を語るのです。アリストテレスにおいては形相に抵抗し反発するものは「質料」という名前を与えられています。
 しかしアリストテレスは、なぜ完全になれないのかという問題をあまり重要視しませんでした。というのも、生まれが良ければ自然と卓越することができると考えたからです。では生まれが悪いものは? そこで法と義務です。義務とは反発する質料に人為的に価値をあてがうことであり、義務は形相の持つ強制力です。この点は、卓越が形相の魅力に自然と引かれていくのとは対照的です。このような背景の下、続くキリスト教世界では、堕落した人間が抵抗する質料だと理解され、義務が道徳の前面に出てきます。
 しかし今日の我々は、人間を世界の欠陥部分だとは考えません。実在的なものはむしろ質料となり、実在的なものと価値=形相はもはや同一でなくなりました。ですから、もはや古代の卓越の倫理学に戻ることはできません。形相が質料の世界に入っていく道は、人為的な義務の働きしかないのであり、近代の形而上学と調和できる唯一の倫理学は、自律の倫理学、義務の倫理学なのです。こうして我々は、理性=形相を人間が世界に課すと考え革命を完成させたカントの倫理学に連れ戻される事になるのです。