えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

伝統的な正義概念に対するプラトンの反論 プラトン [1976]

プラトン全集〈11〉 クレイトポン 国家

プラトン全集〈11〉 クレイトポン 国家

  • プラトン [1976] プラトン全集〈11〉 クレイトポン 国家 (岩波書店)
引用

「〔……〕善き人間であるところの友に対しては善くしてやり、悪しき人間であるところの敵に対しては害を与えること、これが正しいことなのであると」
「その通りです」と彼〔ポレマルコス〕は答えた、「それで立派な説となるように思えます」
〔……〕
「ところで正義というのは、人間としての善さ(徳)のひとつではないかね?」
「それもまた動かぬところです」
〔……〕
「では、果たして正しい人間は、自分が身につけているその<正義>によって、人を不正なものにすることができるだろうか? あるいは、一般的に言って、善き人間は、その善さ(徳)によって、人を悪い人間にすることができるだろうか?」
「いいえ、できません」
〔……〕
「かくてまた、害するということは、善き人の働きではなくて、その反対の性格の人のはたらきなのだ」
「そのように思えます」
「しかるに、正しい人は善き人なのだね?」
「たしかに」
「したがって、ポレマルコスよ、相手が友であろうが誰であろうが、およそ人を害するということは、正しい人のすることではなくて、その反対の性格の人、すなわち不正な人のすることなのだ」
「まったくあなたのいわれる通りだと思います、ソクラテス」と彼は言った。
「してみると、『それぞれの相手に借りているものを返すのが、正しいことだ』と主張する人がいて、その主張の意味が、正しい人間は敵に対しては害をなし、友に対しては益をなすことを<借り>として義務付けられている、ということであるとすれば、そんなことを言った人は知者ではなかったことになる。その言葉は、真実ではないからね。なぜなら、われわれに明らかになったところでは、およそ人を害するということは、けっして正しいことではないのだから」
「同意します」
  335A-336A

再構成

(A)正義 = 善き人間であるところの友に対しては善くしてやり、悪しき人間であるところの敵に対しては害を与えること

(B)害された人間は、人間としての善さ(徳)に関して、前よりも悪くなる
(C)正義は善さ(徳)の一つである(=正しい人間は、善い人間である)
(D)一般的に、善き人間は、その善さ(徳)によって、人を悪い人間にすることは出来ない。人を悪くするのは、善い人間の反対の性格の人間のはたらきである。
―――
(E)人を害する人は善い人間とは反対の性格の人間である (B)(D)
(F)正しい人は敵を害する (A)
(G)正しい人は悪い人間である (D)(F)

   ×   (C)(G)