えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

こんにちの哲学的直観 Alexander (2012)

Experimental Philosophy: An Introduction

Experimental Philosophy: An Introduction

  • Alexander, J. (2012) *Experimental Philosophy: An Introduction*

第1章 哲学的直観 ←いまここ
第3章 実験哲学と心の哲学
第5章 実験哲学の擁護

Alexanderは哲学的直観について5種類の捉え方をあげている。

1.信念的な捉え方

直観とは信念、あるいは信念を持つ傾向であるという説。(ルイス、ヴァン・インワーゲン)
ウィリアムソンによると、これよりもっと狭い捉え方をしてしまうと、哲学の営みの中で直観的証拠だとされているものの全てをつかまえる事が出来なくなってしまう点が×。一方、直観は信念だと考えれば直観に対する懐疑論の魅力が減るので○。

△ただし直観と他の心的状態との間の差がなくなる。

2.現象的な捉え方

直観は特殊な現象的特性をもつ。この特性は、直観経験の内観的にアクセス可能な側面であるとする説。
例えばBealerは、直観とは「知性にとっての思われることのうち必然性の見かけを持つもの」(intellectual seeming that have the appearance of necessity)であると述べる。我々にpが必然的に真であると思われた場合に、我々はpという直観をもつ。
信念などとの違いは大きく二つ。第一に我々は、真だと思われる命題について、それが偽だという信念を持つことが出来る(v.v)。第二に直観は内容を必然的なものとして提示する。

△影響力があるが批判も多い。例えばPustは、多くの命題に関して、それが必然的に真と思われるか否かは、その内容の様相的地位に対する我々の注意にも依存していると指摘。
さらにそもそも、リンチやルートヴィヒの指摘のように、必然性の見かけを伴わないような直観もある。

3.意味論的な捉え方

直観は特種な命題内容を持つとする説。
ソーザは、直観は抽象的な命題内容をもつと述べた。抽象的な命題は、どんな具体的な個物も含まない。

△しかし、哲学的主張とそれを評価する際に用いられる直観とは区別する必要がある。前者は確かに抽象的であるが、後者は往々にして具体的。

4.原因論的な捉え方

直観と他の心的状態の差異は、「何処から来たのか」という点にあるとする説。
例えばルートヴィヒは、直観とは、概念能力のみに基づいてなされた判断であると考える。ソーザ、Bealer、Kauppinenらにも似たような提案。
概念能力が個々の直観的判断の形成においてどのように働いているかを見ることで、直観と他の心的状態を区別することが出来る。

△しかし、何が概念能力で何が概念運用なのかを精確に決定するのは難しい。また何れにせよ、どの直観が適切な原因上の由来を持っているかを同定するための方法が必要だが、認知プロセスは普通無意識的/内観的にに不透明なので、この種の方法をどうやって手に入れればいいかわからない。

5.方法論的な捉え方

直観と他の心的状態との違いは、「どこから来たか」ではなく、「ともかくここにある時、それで我々は何をするか」にあるとする説。
Kauppinenは、直観は、哲学の伝統的言説の中に反省的に参加していくことの一部として、批判的吟味に晒された心的状態であると主張した。つまり、直観とは「哲学的反省」というプロセスによって認可された心的状態である。
美点として、どの心的状態が直観か決定する実用的方法を与える(4)し、その際2、3よりも取り零しが少ないように思われる。

△しかし、哲学的反省の所産であるという点が、直観の認識上の適性に対して疑問を抱かせる。哲学的反省が認識において持つ価値には限界がある。