https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs11948-009-9159-9
- John Forge (2010). A Note on the Definition of “Dual Use”. Science and Engineering Ethics. 16(1): 111-118.
「デュアルユース」という語には、未だ合意された定義がない(Resnik 2009)。定義の難しさの理由のひとつは、この語がさまざまな事象を形容するのに用いられることだ。そこで、デュアルユースでありうるものを、「研究」、「技術」、「人工物」の3つに整理するのが有効である。
「研究」は、実験や開発を含むものとして理解される。研究の結果として生まれるのが「技術」だ。同じ研究が、異なる技術を生み出すことがある(ある技術とその改良版のように)。研究がデュアルユース的なのは、それがデュアルユース的な技術を生み出すときである。技術がデュアルユース的なのは、それが良い結果と兵器開発(危害の手段)両方に寄与するときである。
研究と技術が知識であるのに対し、技術によって生じる具体的な物質的産物が、「人工物」である。人工物は、即席兵器の素材や部品として用いられうるため、デュアルユースのカテゴリに入れるのがふさわしい。ただし、人工物の中には「良い」使用法を持たないものもあり、それはデュアルユース的なものではない。たとえば、真正の兵器や病原体や毒ガスがこれにあたる。真正の兵器システムの部品もデュアルユース的なものではない。
では、即席兵器の部品の作り方に関する知識は、デュアルユース的だろうか? 硝酸アンモニウムは爆弾に使用しうるデュアルユース的な人工物である。しかし、その作りかたはごく初歩の化学的知識であり、それを規制しようとするのはポイントを外している〔。従って、この知識はデュアルユース的ではない〕。このように、デュアルユース的な人工物の作り方に関する知識は、必ずしもデュアルユース的ではない。
ところで、デュアルユース的なものとは悪用される可能性があるものだが、この可能性は理論的な可能性ではありえない。もしそうなら、デュアルユース的なものが際限なく広がり、この概念を使用するさいの「最終目標である管理や規制も維持不可能になるだろう」(p. 116)。そこで、デュアルユースの定義には文脈的要素を含めざるを得ない。そうした要素の一つが、「脅威」(threat)だろう。実際に悪用しようとしている人がいる場合には、脅威がある。また、脅威には程度がある。現在の北アイルランドで自動車が爆弾として使われる恐れ(脅威)は10年前と比較して低くなっている。
人工物を即席兵器に用いることは容易だが、研究を兵器開発に用いることができる集団はかなり限られている。たとえば核兵器の開発は、国家より小さい単位では今日のところ事実上不可能である。また、核兵器を実際に使用しそうな国はない。〔従って脅威は小さいが〕、そうだとしても、核物理学や技術の一部はデュアルユース的だろう。ここでは、脅威ではなく「リスク」に訴えるべきである。
また、デュアルユースは目的の良し悪しに言及している以上、価値という文脈的要素も考慮しなければならない。
以上の考察から、デュアルユースを次のように定義する。
- あるもの(知識、技術、人工物)がデュアルユース的なのは、以下のどちらかの場合である。それが兵器のデザインや生産に使われうる(十分に高い)リスクがある。もしくは、それが即席兵器のなかで用いられる(十分に大きい)脅威がある。ただし、いずれの場合でも兵器開発は意図されたないし第一義的な目的ではないものとする