えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

悪意を考慮してデザインする責任 Kemper (2004) 

https://link.springer.com/article/10.1007/s11948-004-0026-4

  • Bart Kemper (2004). Evil intent and design responsibility. Science and Engineering Ethics, 10(2), pp 303–309.

 近年問題となっている大量破壊兵器による攻撃およびその懸念は、兵器としてデザインされた対象にかかわるものではなく、むしろ良性の対象を悪意をもって使用することにかかわっている。

 たとえば、イラク戦争の際には、イラク軍が油田の開口装置を開け放つことで致死性の高濃度硫化水素ガスを発生させるという危険性が懸念された。装置を開けるのに技術はほぼ必要なく、たった一つの開口装置が開いただけでも大きな脅威となる。オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件では、レンタカーと肥料(硝酸アンモニウム)が車爆弾となり168人が死亡し426人が負傷した。車爆弾による攻撃はここ30年にわたり世界中のテロリストの常道手段になっている。硝酸アンモニウムからアンホ爆弾を作るのも容易である。また9.11のWTCへの攻撃も、兵器としてデザインされたわけではない航空機によるものだ。実のところWTCは、操縦ミスによって航空機がぶつかることは想定しており、燃料の少ないボーイング707がぶつかった程度では倒壊しないようにデザインしてあった。しかし、ボーイング767のように巨大な航空機が、燃料を十分に積んだまま、明確な悪意によってぶつかってくることは想定されていなかった。またこの事件の計画には工学者が関与しており、悪意を持った工学者の危険性も示されている。

 今日のデザイン過程では、自然災害や使用者側の単なる誤用については、リスク評価と緩和が行われている。しかし以上のような例を考えるに、悪意もまた考慮すべき要因であり、そのための明確なガイドラインが必要である。既に兵器工業においては、悪意への脆弱性の評価が行われており、これは民間においても行われるべきだ。