えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

人文学と科学の区別と言っても色々ある Bouterse and Karstens (2015)

http://www.jstor.org/stable/10.1086/681995

  • Bouterse, J. and Karstens, B. (2015). A diversity of divisions: Tracing the history of the demarcation between the Sciences and the Humanities. Isis, 106(2): 341–352.

 今日、人文学と科学の分断といえばスノーやサートンが有名だ。しかし、二人が分断の架橋を訴えた理由は全く異なっていた。スノーによれば、この分断は戦争や貧困にたいする科学技術的解決を妨げてしまう。一方サートンにとって分断を埋めるべき科学史家の責務は「伝統の擁護」だった。さらに、スノーにとって人文学の代表例は文学、サートンにとっては歴史や哲学だった。

 ここからわかるように、(i)ひとくちに人文学と科学の区別といってもその定式化は様々であり、それらは各々の提唱者の知的・制度的課題に照らして理解されねばならない。(ii)とくに19世紀後半には、区別が定式化される文脈が大きく変化した。その要因の一つは、今日でいう「社会科学」の登場だった。

 以上の2点を示すために、まず19世紀後半以前に区別を定式化した著名な人物、ヴィーコ、ミル、ヘルムホルツをみてみよう。総じて、彼らにとってこの区別は根本的に重要なものではない。ただし、彼らの区別はどれも、人間の魂についての知識という点で人文学を科学から分かつものだった。

  • 初期近代には、伝統的な人文主義と新しい自然哲学、先鋭化された心身二元論など、二つの文化を生みそうな新たな契機が現れた。しかしヴィーコは、古いものと新しいものが人文学と科学に対応するとは考えなかった。彼ははじめ両者を対置させなかったし、『新しい学』で区別をもうけた時でも、人文学と結びつけられたのは人間と制度の歴史性だった。
  • ミルもこの歴史性に着目する。心には一般的法則があるが、しかしそれは既存の制度や慣習との関連のなかで作用するのだ。そこで、道徳科学には実験的方法などではなく、経験的一般化を心理法則でチェックするという「逆演繹法」が適切である。このように道徳科学は自然科学と異なる方法を持つが、しかし心理法則の存在により諸科学の統一が可能になる。
  • ヘルムホルツは、科学は物質、人文学は精神をあつかうものとし、科学の論理的で帰納的な方法を人文学の「機知」と対比した。ただし、たとえば文法には一般法則があるし、自然誌には機知が必要であるから、けっきょく科学はより注意深いだけという結論に落ち着いた。むしろヘルムホルツは、国家の存続のための知識の獲得という目的の共通性を強調している。

 だが19世紀後半、人間を研究する新たな方法として「社会科学」(人類学、社会学、心理学など)が現れ、人文学を脅かすことになる。この様子を言語学に着目してみてみよう。

  • 19世紀初頭の言語学は規範的な学問で、語源研究により語の本質的意味を 確立しようとした。これ対し、より経験的な歴史・比較言語学的アプローチが現れた。そこでは、言語には個々の話者とは関係ない成長・衰退の法則的パターンがあるとされる。
  • だがこの考えにハイマン・シュタインタールは満足しなかった。彼の「民族心理学」は、言語は人々の魂の表現だというフンボルトのアイデアと、ヘルベルトの心理学を組み合わせる。語は心的表象、文は表象の連なりと等価であり、そして表象が組み合わされるプロセスは内観によって体系的に記述できる。言語と心理の平行関係を認める「心理主義」により、言語学と心理学は緊密に結びつく。

 
 こうした背景のもと、ディルタイや新カント派が人文学と科学の区別を行うとき、そこでは心理学にどう応答するかが重要な点となった。ただし、この応答の仕方は両者で全く異なり、結果として異なる区別がもたらされている。

  • ディルタイは、心的生がもつ生きられた整合性を根源的な所与とし、自然科学の知識の整合性は人工的な産物にすぎないとした。これが、科学の方法である自然の「説明」と、人文学の方法である心的生の「理解」の違いにつながる。そこで、心的生を記述する心理学は人文学の基礎となるのだが、この心理学の方法(記述・分析)は民族心理学やヘルバルトの心理学といった科学的心理学の方法(説明)から慎重に区別された。
  • 一方、新カント派は人文学から心理学を完全追放しようとした。これは研究対象で学問を分類するかぎりなし遂げられない。そこでヴィンデルバントは対象のとり扱い方に注目し、独自性・具体性を重視する「個性記述的」な人文学と、一般性を探求する「法則定立的」な科学を区別した。心理学は心をあつかうが法則定立的なので自然科学なのである。リッケルトは個性記述的な学でも一定の選択・抽象化が必要になると指摘し、その選択が一般化に基づくか価値に関連するかで科学と人文学を分けた。