えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

痛み、エネルギー効率、蒸気機関としての人間 Allen (1877)

https://archive.org/details/physiologicalae00allegoog

  • Allen, G. (1877). Physiological Aesthetics. London: Henry & King
    • Chapter II. Pleasure and Pain
      • §2 Pain

 日常的な観察から、痛みは身体組織の破壊[disruption]と結びついていることがわかる。だが、ねんざやけいれんの場合、組織の実際の破壊は見られない。そこで、痛みは破壊への傾向(tendency)によっても生じると考えられる。

痛みの大部分は、身体組織の何らかの部分における実際の破壊ないし破壊的傾向の、主観的な付随物である(p. 10)

しかし、例えば髪を切る場合のように身体組織の損傷が痛みと結びつかない場合がある。こうした組織には神経が通っていないからだ。また一般に意識の座は脳-脊髄システムにしかないので、次のような結論が得られる。

器官の中でも脳-脊髄〔システムに繋がる〕神経が通っている部分[…]に破壊[disintegration]が届いた場合に限り、その器官において痛みが感じられる(p. 12)

 この結論が、アレクサンダー・ベインによる痛みの分類とつきあわされる。ベインは「鋭い痛み」[accute pain]と「広い痛み」[massive pain]を区別した。前者は身体の特定の領域の変様から生じる痛みで強度[intensity]が強い。後者は身体全体ないしかなり大きな部分の変様から生じる痛みで強度が弱い。上記の結論は「鋭い痛み」によく当てはまるものだ。
 一方の「広い痛み」に対して、アレンは異なる説明を与える。「広い痛み」の具体例は、筋肉を動かした後の疲れ[fatigue]、空腹から生じるだるさ、眠さなどだ。これらは「痛み」というよりもむしろ「不快」[Discomfort]と呼ぶべきものだとアレンは指摘し、これは組織における効率性の欠乏[want of efficiency]から生じると主張する。
 以上を踏まえ、「鋭い痛み」と「広い痛み」の生理的側面は次のように整理される。

 「鋭い痛み」は、類としてみれば、〔組織を〕とりまく破壊的な要因の作用から生じる。対して「広い痛み」は、類としてみれば、過剰な機能や栄養状態の貧しさから生じる(p. 16)

 さらに、栄養不足[innutriment]という概念がエネルギーの観点からとらえなおされる。曰く、生物はゆっくりとではあるが常に崩壊に向かっているので、エネルギーを生み出す資源を刻々と供給する必要がある。この供給が無い場合に、不快感が生じる。

 「広い不快が起こるのは、〔身体〕全体であれその部分であれ、組織の消耗が回復を大きく上まわる場合である。このことは、消耗が早い場合と回復資源が不十分な場合の両方で生じる。」(p. 17)

 以上の説明をわかりやすくするために、アレンは有機体を自己保存と再生産を目的とする機械とみなす。この目的を遂行するための効率に対する干渉が、主観的には痛みや不快感に相当する。なかでも活動に必要なパーツの欠落によって生じるのが「鋭い痛み」であり、それは破壊的作用を取り除くよう有機体を強く促す。他方、活動に必要なエネルギー不足によって生じるのが「広い痛み」であり、これは「渇望」や「欲求」を通じて、エネルギーを求めるよう有機体を促す。さらにアレンはダメ押しで、人間が蒸気機関であったなら……という想像で同じ論点を強調している。