- 亀田達也 (2017). 『モラルの起源』(岩波書店)
第1章 「適応」する心
- 生物学では、生き物を「適応」のシステムとして捉える
- 「適応」=「自然淘汰に基づく進化的適応」
- この「進化時間」における適応の他に、人間の場合「歴史時間・文化時間」における適応も問題となる
- 問題となる時間によって何が適応的かも異なる
- 例:砂糖を好んで食べることは進化時間で見ると適応的だが今日の先進国の文化の中では適応的ではない
- 問題となる時間によって何が適応的かも異なる
- 適応という視点は発見の道具として役立つ
- ある事象の機能にあたりをつけることで、その仕組みの細部を理解することができる(心臓、時計など)
- 人間は群れでの生活に適応する必要性があった。
- 霊長類の群れのサイズと大脳新皮質の大きさに相関(ダンバー)
- 群れの増加に伴う情報処理量の増加から、脳の容量の増大へ
- 新皮質の大きさと「戦略的だまし」の頻度も相関(バーン)
- 霊長類の知性は群れ生活の複雑さに由来(「マキャベリ的知性」)
- 新皮質のサイズから考えて、人間にとって自然な社会集団は150人前後(ダンバー)
- ≒ 狩猟採集民のバンドの人数(キャシュダン)
- 霊長類の群れのサイズと大脳新皮質の大きさに相関(ダンバー)
- 人間は、150人程度の集団でうまくやっていくための心理・行動メカニズムを進化的に獲得していると考えられる
第2章 昆虫の社会性、ヒトの社会性
- 霊長類と並んで社会的とされる動物に社会性昆虫がいる
- 社会性昆虫も集団的意思決定をする
- 例:ミツバチの八の字ダンス
- ダンスの熱心さはそのハチの考える候補地の質に比例(評価)
- 熱心に宣伝される候補地に他のハチも向かう(同調行動)
- ある候補地へ訪問したハチが一定数を超えるとコロニー全体の引っ越しが生じる
- 例:ミツバチの八の字ダンス
- この方法でミツバチは客観的に質の高い巣を選択できる(「集合知」)
- これは、各ミツバチの評価が独立しているからだ(リスト)
- これに対し、人間の社会的意思決定は集合知を生み出しにくい
- 評価が互いに独立していない(サルガニク)
- 社会性昆虫も集団的意思決定をする
- このミツバチと人間の違いは、血縁社会と非血縁社会の差に求められる
- 血縁社会では、個体が犠牲を払っても群れ全体が生き残れば良い
- 非血縁社会では、群れレベルで望ましい結果を生む行動でも、個人の生存に不利なものは定着しない
- 周囲とは独立に評価することが個体の不利益になる可能性があるので、人は周りに依存した評価をするようになった
- 人は他個体の状況や行動に敏感である
第3章 「利他性」を支える仕組み
- 互恵的利他主義:将来の見返りを前提に、特定の相手に対して行なわれる安定した協力関係(トリヴァース)
- 動物の社会において非血縁者との協力をもたらす仕組みのひとつ
- 互恵的利他主義は、多くの個体が相互依存する社会的ジレンマのような状況ではうまく働かない
- 例:共有地の悲劇……非協力(共有地の私用)に非協力で返すと、結局共有地が減ってしまい全体のマイナスに
- 社会規範を整備し、非協力者にだけ罰を与えればどうか?
- 罰のコストをちゃんと払うか否かで高次のジレンマが発生してしまう
- しかし現実には社会規範は機能している。なぜか?
- 罰のコストをちゃんと払うか否かで高次のジレンマが発生してしまう
- 公共財ゲームからの知見(フェアとゲヒター)
- (1)罰の可能性が示されただけで非協力行動が減る
- 人間は罰の可能性に鋭敏なので規範を維持できるのかも
- 目の写真があるだけで不正が減る(ベイトソン)
- 人間は罰の可能性に鋭敏なので規範を維持できるのかも
- (2)自分が直接関係ないゲームで非協力的行動をとった人を、わざわざコストを払ってまで罰する人がいる(「第三者罰」)
- 罰行動は強い情動によって生まれている
- 合理的計算ではなく感情が社会関係を支えている
- 罰行動は強い情動によって生まれている
- (1)罰の可能性が示されただけで非協力行動が減る
- 間接互恵性:見知らぬ人相手へのその場限りの協力
- こうした協力は協力者の「評判」を高め、将来の他個体から利益をえる可能性を高めるがゆえに、適応的
第4章 「共感」する心
- 重層的システムとしての共感
- 身体・神経レベル(表情模倣、ミラーシステムなど)/情動レベル(情動伝染) /行動レベル(援助行動)
- こうした共感は自他融合的なもの(「情動的共感」)で、内集団に対して働きやすい。
- 身体・神経レベル(表情模倣、ミラーシステムなど)/情動レベル(情動伝染) /行動レベル(援助行動)
- 他方、相手の心の状態を精確に読むという自他分離的な共感もある(「認知的共感」)
- 情動的共感と認知的共感は脳の異なる部分で処理されている。
- 前者は相手の身体的苦痛を目撃した時、後者は社会的苦痛を目撃した時にも活動する(マステンとアイゼンバーガー)
- 全盲の相手が激しい光刺激に晒されている光景を見ても、ストレス反応はあまり生じない(亀田)
- 自動的に立ち上がる感情的共感が認知的共感で制御されている
- この傾向が強い人ほど、日常生活における利他行動も多い
- 自動的に立ち上がる感情的共感が認知的共感で制御されている
- 情動的共感と認知的共感は脳の異なる部分で処理されている。
- 不特定多数の人々が関与する問題の解決には情動的共感では不十分か
第5章 「正義」と「モラル」と私たち
- ミクロな分配の問題
- 最後通告ゲームでは、市場経済文化の人ほど平等な分配を好み、狩猟採集民族では提案者の取り分が多い分配が好まれる。
- ≒「市場の倫理」vs.「統治の倫理」(ジェイコブズ)
- 進化ゲームでは、みんなと協力する人(商人)か身内とだけ協力する人(武士)どちらかが多数派であれば協力関係が安定するが、両者が入り交じっていると安定しない(松尾・巌佐)
- こうした文化差があるとは言え、経済的に最も合理的な「自分99%/相手1%」の選択を好む文化は存在しない
- 不平等を嫌う効用関数の提案(フェア)
- 神経的には、不平等は不快、その解消は快と結びついている
- ただし他方で、他人の失敗を見ると報酬系が賦活する場合もある。
- 他者と比較してしまう心性が分配の正義を考えるカギになる。
- マクロな分配問題
- ロールズは「無知のヴェール」によって、「分配の正義の問題」を「不確実性下での意思決定の問題」に変換した。
- だがこの2つ問題は、人間の進化史の中でもともと近い関係にあるのではないか(例:不確実性がある狩猟で得た獲物の分配)
- そこでKameda et al. (2016) は、まずマキシミン原理に沿ったロールズ的な数列、ジニ係数が低い平等主義的数列、総和が大きい功利主義的数列を用意した。
- ロールズ的選択肢の例:300 / 400 / 1300
- 平等主義的選択肢の例:250 / 550 / 700
- 功利主義的選択肢の例:120 / 660 / 2220
- そのうえで、未知の3人に対する報酬の分配方法として好ましい選択肢はどれかを尋ねる分配問題と、確率1/3で額面通りの金額がもらえるとしたらどの選択肢を選ぶかを尋ねるギャンブル問題を実施した。
- 結果、ロールズの想定に反して、社会的分配問題にロールズ的回答をする被験者は47%であった(平等主義回答は20%、功利主義的回答は34%)
- だが、分配問題でロールズ的回答をする人はギャンブル問題でもロールズ的回答をしがちなことがわかった(功利主義にも同じことが言えた)
- さらに、どの選択肢を選ぶ被験者であっても、特に回答の決定直前に、最悪の場合の金額がどのくらいかをチェックする傾向が見られた。
- このとき、認知的共感を支える神経基盤の賦活が見られた
- この実験からわかること
- 「分配の正義の問題」と「不確実性下での意思決定の問題」にはやはり心理的なつながりがある
- 私たちは最不遇状態におかれた人の立場をとってみる自然な傾向がある
- ロールズは「無知のヴェール」によって、「分配の正義の問題」を「不確実性下での意思決定の問題」に変換した。
- これまで見てきた研究から次のことが言える。
- 正義は個人を超える
- 人間の心には、共有地の悲劇のような社会的ジレンマを解くための仕組みが備わっている。
- 自動的な感情を基盤としつつ、個々の文化・歴史によって調整されている(異なるモラルを持つ「部族」(グリーン))
- 人間の心には、共有地の悲劇のような社会的ジレンマを解くための仕組みが備わっている。
- 正義は国境を越える
- グリーンは複数の「部族」対立を乗り越えるメタモラルとして功利主義を推奨している。
- 経験的観点から言っても、自然な感情や人情に依拠していては、内集団の壁を越えられないだろう。
- ただし功利主義には、ロールズ的な最不遇状況への注目などの認知傾向を折衷する必要があるかもしれない
- 正義は個人を超える