えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

統一科学運動としての論理的行動主義 Hempel (1997)

A Historical Introduction to the Philosophy of Mind: Readings With Commentary

A Historical Introduction to the Philosophy of Mind: Readings With Commentary

  • Hempel. C. (1997). The logical analysis of psychology. In P. Marton (ed), A historical introduction to the philosophy of mind: Readings with commentary. Peterborough:Broadview Press.

※初出1935(仏語), 1949(英訳)

心理文の行動文への翻訳を唱えたとされる「論理的行動主義」の典拠として有名な本論文ですが、改めて読んでみると色々気になった点があったのでいくつかメモします。

  • そもそもこの論文の目標は、「心理学は自然科学なのか、それとも精神科学なのか」という問題の解決にある。心理文は物理的にテスト可能な文に翻訳することで、心理学は主題・方法において自然科学とは異なるという主張が否定される。同じ翻訳の方法は社会学(歴史・文化・経済過程に関する科学としての)に登場する文にも適用でき、ひいては「自然科学/精神科学」という区別が否定され、、「諸科学の統一」が成し遂げられる。
  • 心理学は精神科学だという考えに対する挑戦は、すでにワトソンの行動主義が行っている。だが心理学の自然科学としての地位を行動主義によって確立するためには、行動主義が実際に経験的に成功する必要がある。「しかし、心理学の科学としての地位という問題が、心理学自体の経験的探究によって片付くとは期待できない。この問題を解くのは、むしろ認識論の作業なのである。」(p. 166)
  • またワトソン流の行動主義との違いとして、論理的行動主義は、心や意志の存在を否定しない。というのは、心理文は物理的にテスト可能な文たちの短縮版に他ならないのだから、それを超えて心が本当に存在するかという問いは疑似問題だからだ。
  • 心理文の翻訳となる「物理的にテスト可能な文」には、神経系やさらにミクロな構造に言及する文が含まれる。〔なので、両者の文の意味の同一性は概念分析でアプリオリにはわかるものではないはず(see. Crawford 2013)〕。
    • 関連して、ある心的状態にあると巧妙に装う人がいて、「直接的観察」からは本当にその状態にある人と区別できない場合でも、神経その他のよりミクロなレベルを考えれば偽物と本物の区別はつく。「ここで人は、精神疾患のありとあらゆる「徴候」を示すが「本当は」病気ではない人の存在を認めるという形で反論してくるかもしれない。だがそういう人を「本当は健常である」と言うのは馬鹿げている」(pp. 168-169)〔モートンのコメンタリーはこの点を完全に誤解している(p. 155)〕。
  • 形而上学は、「哲学的世界観」の長い発展の中で培われた情動的要因によって、あたかも内容があるかのように見えているにすぎない。この見せかけを生み出す原因にかんする、心理学および社会学的研究がありうる(p. 1172)。