えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

道徳心理学と倫理学の適切な関係を探る Rini (2013)

http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs10892-013-9145-y

  • Rini, Regina. (2013). Making Psychology Normatively Significant. Journal of Ethics, 17(3): 257-274

  倫理学は他のあらゆる学問領域、とくに経験科学から自立している考える人がいます。本当かな?
  道徳的思考の重要な特徴として、リニは「規範的抽象化」をあげます。これは、我々が道徳的な意味での「正当化」を行う際に、現在の個人的なパースペクティヴから自己特異的な要素を捨象し、一般的な定式で正当化を行うという事を指します。規範的抽象化を行う為には、自分パースペクティヴの自己特異的な面を特定し、それを取り除くことが出来なくてはなりません。しかし近年の様々な実験は、道徳関係ない様々な要因が、「意識下で」道徳直観に影響を与えることを示しました。とすれば、規範的抽象化の為には、こうした要因を特定できる経験科学に頼らざるを得ない。従って、倫理は経験科学から自立してはありえません。

  しかし注意が必要です。精確にはここには、「道徳判断に影響する諸々の要因の特定」という経験科学が力を発揮する仕事だけでなく、「その中のどれが自己特異的なのか決める」という仕事があり、ここは倫理学が力を発揮する場所です。ここで倫理学の出番があることは見過ごされがちですが、その事には心理的説明が出来そうです。すなわち、些細な環境要因が道徳判断が影響すると分かった時、我々はそれが〔道徳的に〕「アホらしい」と大して考えるまでもなくすぐわかってしまうので、倫理学の存在が忘れられてしまうのです。しかしこうした反応は素早いとはいえ評価的であり、背後に何らかの道徳理論があるはずです。Horowitz (1998), Greene (2008), Singer (2005) などはこの事を忘れてしまい、道徳心理学から倫理主張をおかしな仕方で導いてしまっています。
  こうした事を避けるためにも。我々はおもしろ経験知見への反応の中に潜む道徳理論の働きを明示的にすべきでしょう。経験的探求が明かしてくれる無意識のプロセスには、一見すると自己特異的に見えるけれども、注意深く思考してみれば規範的抽象化に耐えうるものもたくさんあります。反省も実験もどっちも大事なのです。