えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

旧制四高の超然主義 金沢大学資料館 (2014)

http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/handle/2297/39849

  • 金沢大学資料館 (2014) 「超然:第四高等学校の校風と学生たち」

 金沢大学資料館で行われている特別展のパンフレットが公開されていたので読みました。
 
 金沢大学の前身の一つである旧制第四高等学校には「超然主義」という校風がありました。この校風は、変わりやすい世相にながされることなく指導者となるべく努力しようという一種のエリート主義だとひとまずは言えます。このパンフレットでは超然主義誕生の背景やそのより詳細な意味内実、学生生活のなかでの現れなどが簡潔にまとめられています。

 なかでも興味深かったのは井上好人氏が書かれている「超然主義の誕生」という記事です。正史では、超然主義の発端にあるのは、炎上して機能不全となった学生寮(時習寮)にあえて止まり、不自由の中でも自らの進むべき道を求めた38人の学生である、と語られています。しかしこの記事では、校風振興という意識はなかったという寮生本人の証言や、火災の後の寮からはむしろかつての勢いある精神は失われたという証言(西田幾多郎)が紹介されています。この寮生本人の証言がちょっと面白いので引用してみます。

火災後間もない三部医科の独逸語試験に和訳問題として、「三十六(ママ)人の感心な生徒達は彼等の焼け残った学校に踏みとゞまり校風刷新のため不自由を忍びつゝ自炊生活を開始した。云々」の文が提出された。「何だ之は俺達のことを言ついてゐるのだ、私達の寮に残留してゐることが校風刷新上に関係があるのだ、かう気がついたのは少くとも私自身にとつてはこのドイツ語の試験問題からでした。(『時習寮史』)  p. 10

このように、寮生たちの行動に校風の改革という意味を最初に見出したのは教師であり、その後生徒も含む様々な関係者が校風の改革について論じる中で、寮生たちの行動は後から英雄視されるようになった、というのが本当のようです。