http://www.jstor.org/stable/10.1086/676566
Focus: Knowing the Ocean: A Role for the History of Science (ISIS, Vol. 105, No. 2, June 2014)
- Rozwadowski, H. M. Introduction ←いまここ
- Reidy, M. S. & Rozwadowski, H. M. The Spaces In Between: Science, Ocean, Empire (f**t note)
- Hamblin, J. D. Seeing the Oceans in the Shadow of Bergen Values (ウミガメの頃)
- Hubbard, J. In the Wake of Politics: The Political and Economic Construction of Fisheries Biology, 1860–1970
- Oreskes, N. Scaling Up Our Vision (住田 朋久 / SUMIDA Tomohisa)
海は重要だ。海に関する知識は、過去・現在・多分未来に大きな役割を果たしてきた。多くの歴史家は海を無きものとしてきたが、海盆の歴史やグローバルヒストリーの研究者なら、人々の出会いを可能にするという海の重要な役割を知っている。海そのものを歴史の中に組み込むこうした領域の中に、科学史も位置をもつはずだ。
科学史家を惹き付ける領野が2つある。漁業における科学の役割、そして、大戦以降の海洋学の発展だ。海洋学は他の地球科学同様、グローバルなモデル・理論・実践をもつ。しかしそれは同時に、特定の場所・利害・統治権との関係で形作られてきたものでもある。海洋科学が地球資源の制御に関与することで、国民国家とグローバル経済の両方と密接に接続されることを考えれば、なおさらだ。以下の論稿は、このグローバルとローカルの両面に着目する。
Reidy & Rozwadowskiは、海に対する科学の持続的関心の発端を帝国主義的権力の伸長に求める。海で働く人々の知識と経験から、多くの知識が得られるようになったのだ。しかし同じ海の研究といっても、様々な分野の間には一筋縄ではいかない関係があったことをOreskesは示している。このように帝国や国民国家あるいは海軍と結びついた海の科学の歴史を言い当てる言葉は、「知は力なり」だろう。Hubberdが描く漁業生物学の歴史は、この科学が魚にかんして発言する権威を持っていくさまを捕えた。しかし逆にOreskesは、科学に対する懐疑論をとりあげることで、力が知を生み出す場面を分析している。広大な海を知るためには技術が必要であり、「実践」への注目が不可欠だ。Hamblinは海を読解可能なものにするための表象の制作やデータ収集といった実践に着目する。同じくReidy & Rozwadowskiも実践に注目し、19世紀科学の中心的特徴がまず海の科学に現れてきたと主張する。
本特集からは、海の科学家が現代の環境問題に対し生産的発言を行うことが出来るこということも分かるだろう。Hamblinは、科学が残す遺産は目下の環境へ関心の観点から容易に見直されうることを示す。Oreskesは人間が引き起こした環境危機の背景を探求する責任を科学史家に求める。Reidy & RozwadowskiとHubberdは、19世紀の帝国主義的・資本主義的イデオロギーが次の世紀の資源利用をも方向付けていることを示す。Hubberdはまた、歴史はしばしば科学者によって書かれることと、その危険性を思い出させる。海の科学史家は、海の科学が本当に価値をおきたいものからそうでないもの抜き取る手助けができるだろう。海が極めて様々な形で徹底的に使用されている事を考えれば、海の搾取を可能にする知識生産と切り結んでいくことは科学史家の仕事のひとつなのだ。